2017年12月 8日 (金)

[2]能登・七尾城址と金沢城址

高岡市から、氷見街道と能越道(高速道路)を通って、七尾市に向かいました。
能越道は、冬の北陸地方に特有の“雨脚が強くなったり陽射しが出たり”の天気です。車窓から見える富山湾も雨雲の流れに沿って海の色が変わっていきました。

…長谷川等伯生誕の地でもある七尾市で高速を降り、道幅の狭い山道を上って城山に向かいました。

■七尾城址①・復元図(14:04)

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*七尾城址の駐車場に、畳・一畳大の復元図が描かれていました。
復元図の右下が駐車場で、ここから中央部の本丸に登ります。

■七尾城址②・説明板(14:12)

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*ボランティア・ガイドの方から、「七尾という名は、『七つの尾根(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)』が由来です。七尾城は、能登国守護・畠山氏(1408-1577)が正長年間(1428~1429年頃)に築いた城で、城山から分かれる大小の尾根に多くの砦を配置した難攻不落の名城といえます。」という説明がありました。
**城域は南北約2.5km、東西約0.8kmで、標高305mにある本丸の他、二の丸・三の丸・西の丸・調度丸・遊佐屋敷・温井屋敷・寺屋敷・桜の馬場と呼ばれる曲輪群の遺構が、山麓に延びた尾根に広がっています。

■七尾城址③・調度丸の石垣群(14:13)

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*調度丸と上部の桜の馬場の間に、野面積みの石垣が組まれていました。

■七尾城址④・本丸下の石垣(14:19)

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*本丸北面の石垣群です。写真の右側の石段を上って本丸跡に向かいました。

■七尾城址⑤・本丸跡(14:21)

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*本丸の標高は305m、城下が50mで、本丸と城下の比高は約250mです。

■七尾城址⑥・遠景(14:22)

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*本丸跡から、七尾市街や七尾湾が一望できました。

■七尾城址⑦・遠景(14:23)

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⑤⇒⑥⇒⑦とズームアップして写しました。雨が上がり、七尾市や七尾湾のみならず、能登島、和倉温泉のホテル群、その奥の能登半島も見ることができました。

■七尾城址⑧・七尾城址碑(14:24)

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*本丸跡に建つ巨大な七尾城址碑です。背後の尾根も城域(長屋敷跡)でした。

■七尾城址⑨・城山神社(14:24)

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*本丸跡の南側の高台に、城山神社が祀られていました。

■七尾城址⑩・本丸跡説明板(14:29)

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*本丸西側の土塁前に立つ説明板には、北側から見た七尾城本丸の想像図が描かれていました。
**七尾城は、1577(天正5)年に上杉謙信の策略によって開城し、169年にわたる畠山氏の領国支配が終わりました。
その後、七尾城には上杉家や前田利家が入城しますが、1583(天正11年)頃に、前田利家が七尾港に近い小丸山城に本拠を移したため、七尾城は城としての機能を失いました。

■七尾城址⑪・大手道(14:40)

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*本丸からの帰路、調度丸から桶ノ水に下る大手道を写しました。戦後期時代の武士は、城下から約2.4㎞の登城路(大手道)を上り、登城していたのですね。

■七尾城址⑫・観光案内図(14:49)

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*帰り着いた駐車場に、七尾市の観光案内図がありました。案内図の「現在地」が七尾城址で、七尾の城下町と城山・七尾城の位置関係が分かります。

…ひょっとしたら等伯が登城して眺めたかもしれない七尾城址では、ボランティア・ガイドの方が、ハンドマイクで詩吟や「古城」を熱唱していました。
松風ぇ騒ぐ 丘の上ぇ~ 古城よ独り 何偲ぶぅ~ 栄華の夢を 胸に追いぃ~ あぁ~ 仰げば侘しぃ 天守閣ぅ~ …の哀愁を帯びた歌詞がピッタリの七尾城址の佇まいでした。

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七尾から能越道と北陸道を通り、金沢城公園に着いたときは夕暮れが迫っていました。

■金沢城址①(16:31)

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*三の丸広場の内堀石垣から、橋爪門続櫓(左側)・五十間長屋(中央)・菱櫓(右側)を写しました。

■金沢城址②(16:44)

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*三十間長屋石垣前の紅葉が、ライトアップされて輝いていました。

■金沢城址③・玉泉院丸庭園(16:48)

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*玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)の入場時間は、16時45分で終了でした。…残念!
ロープで閉ざされた「いもり坂」から、玉泉院丸庭園の石垣群と色紙短冊積石垣を写しました。

■金沢城址④・一の門と橋爪門続櫓(16:52)

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*二の丸の正門である橋爪門に続く一の門(中央下)と橋爪門続櫓(右上)です。夕暮れの空には、三日月が出ていました。
**2015年12月6日に、この橋爪門で出会ったひゃくまんさんを思い出しました。

【おまけ・ひゃくまんさん2015】

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金沢・街、城、寺社巡り②:2015.12.6**
**
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2015/12/2015126-8e1b.html

■兼六園・桂坂口の大楠(17:12)

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*金沢城址・石川門と反対側にある兼六園・桂坂口では、大楠がライトアップされていました。
大楠の木の枝の間からも三日月が光っていました

北陸8城址のうち4つの城址巡りを終え、今日の宿・山中温泉へ向かいました。

 [3]福井城址と北の庄城址・柴田神社に続く

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2017年12月 4日 (月)

●北陸8城址巡り:2017.11.25-26・[1]紅葉の富山城址と高岡古城公園

今回の歩歩歩ポ~ンは、11月25、26日に訪れた北陸3県(富山県・石川県・福井県)の城址を、

[1]紅葉の富山城址と高岡古城公園
[2]能登・七尾城址と金沢城址
[3]福井城址と北の庄城址・柴田神社
[4]越前大野城(天空の城)と丸岡城

の4回シリーズで特集します。

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[1]紅葉の富山城址と高岡古城公園

早朝に羽田空港を離陸したJAL183便は、松本上空を通過して槍ヶ岳上空に出ました。

●北アルプス上空(8:24)

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*雪雲の雲海が、北アルプスの主稜線はじめ常念山脈、後立山連峰を覆っていました。

北アルプスを越えた飛行機は、高山から砺波の上空に回り込んで、徐々に高度を下げながら金沢市の上空を通過しました。

●金沢上空(8:34)

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*眼下に犀川の流れが見え、東側には金沢城址と兼六園が見えました。

●ひゃくまんさん

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*小松空港では、石川県観光PRマスコットキャラクター・ひゃくまんさんが出迎えてくれました。

●北陸8城址探訪コース

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*今回の旅は、ツアーバスで ①富山城址→②高岡城址→③七尾城址→④金沢城址→⑤福井城址→⑥北の庄城址→⑦越前大野城→⑧丸岡城の順で、8つの城址を巡ります。

…小松空港から、雨の北陸道を東進したバスは、10時20分に富山城址公園に到着しました。

■富山城址①(10:33)

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*富山城は1532(天文元)年に水越勝重が築城し、後に佐々成政や前田利長の居城となった城です。その後、前田利次(利家の孫)が入城し、以後約230年間、富山前田家13代の居城となりました。
現在の富山城址公園には、石垣や濠などの遺構が残っていて、模擬天守閣
**が建っています。
**富山城模擬天守(3層4階)は、鉄筋コンクリート構造で1954年(昭和29)年に完成し、内部は富山市郷土博物館となっていました。

■富山城址②(11:00)

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*内堀の中に造られた日本庭園から、富山城・模擬天守を写しました。

■富山城址③(11:03)

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*水堀から模擬天守と本丸石垣を写しました。
**富山城は、江戸時代には東西約680m、南北約610mの縄張りでしたが、明治政府の廃城令によって廃城となりました。
現在遺構が残っているのは、本丸、西の丸(元の城域の約6分の1)とのことで
す。

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富山市から県道44号線を走って高岡市に向かいました。

■高岡古城公園・案内図(12:13)

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*加賀前田家2代藩主の利長公は、1605(慶長10)年に隠居して富山城に移りましたましたが、1609(慶長14)年の大火で富山城が焼失したため、高岡城を造り居城としました。

■高岡城址①

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*高岡城は、1615(元和元)年に一国一城令により城廃となりましたが、3代藩主・利常公は、利長公の意を汲んで城郭の基本構造を残しました。
ガイドさんによると、「高岡城址の水濠は、日本の城の中で築城時のまま残されている唯一もの。」とのことでした。
 

■高岡城址②

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*本丸東側の内濠は、紅葉の真っ盛りでした。

■高岡城址③

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*高岡城址・大手口に石碑と高山右近の銅像が建っていました。
**高岡城は、築城の名手として有名なキリシタン大名・高山右近が縄張(設計)したと伝えられてれています。
 

■射水神社(12:29)

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*射水神社(いみずじんじゃ)は、奈良時代の創建といわれ、越中文化発祥にゆかりの深い守護神として崇拝されている越中国一宮です。
古くは二上山の麓にあり、1875(明治8)年に高岡古城公園内に遷座されました。

■高岡城址④

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*本丸広場に建つ前田利長公の騎馬像です。
富山城模擬天守(富山市郷土博物館)にも展示されていた長い兜は、銀鯰尾形兜(ぎんなまずおなりかぶと)と呼ばれ、本物は140㎝の高さとのことです。
頭に大ナマズの尾っぽを載せていては乗馬も大変だったのでは…と思いました。

■高岡城址⑤

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*小竹藪広場の紅葉その1は、中の島に向かう紅葉の道です。緑色・萌黄色・黄色・薄赤色のグラデーションが綺麗な道でした。

 

■高岡城址⑥(12:41)

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*小竹藪広場の紅葉その2は、燃えるような真っ赤な紅葉です。

紅葉狩りも楽しめた高岡古城公園でした。

[2]能登・七尾城址と金沢城址に続く

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2017年12月 3日 (日)

野川の奇跡:2017.12.2

12月1日、「野川の奇跡」が本屋の店頭に並びました。
*近くの友人が綴った初めての小説です。
調布の清流・野川を舞台に、家族や出会った人との別れと再会、縁ある人達を結ぶ不思議な糸で織りあげた素晴らしい物語です。
**「野川の奇跡」幅館章著、文芸社、ISBN978-4-286-18921-5、\1200

早速、購入し、3回目の読破!(先月いただいた本と同じなのですが…)く、新鮮な気持ちでページをめくりました。

…そこで、11月25日、26日の「北陸8城趾巡り」のUP前に、「野川の奇跡」の舞台を緊急特集します。
今日は、スマホを携帯して「野川ジョギング&ウォーキング」を実施し、「野川の奇跡」の舞台となった場所を巡りました。

●「野川の奇跡」:12月1日

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*パルコブックセンターの本棚に、
面陳列で置かれていました。

●野川の流れ①

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*主人公がジョギングする調布市を流れる野川(のがわ)です。川沿いの桜は、春、花を咲かせ、行き交う人の目を楽しませてくれます。
**野川は、国分寺市東恋ヶ窪の日立製作所中央研究所の大池が源流で、国分寺駅の南で「真姿の池湧水群」からの湧き水と合流し、流れを東に変えます。
その後、野川は小金井市、府中市の武蔵野公園から南東に流れ、野川公園に入ります。そして、「野川の奇跡」の舞台となる三鷹市と調布市の間を流れ、再び調布市に入った後は、狛江市、世田谷区を通り、約20㎞を流れて多摩川に合流するのです。

●虎珀橋付近の桜並木①

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*桜の枝の下に、野川の上流に架かる虎珀橋が見えました。

●虎珀橋

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*物語の始まりは、この虎珀橋(こはくばし)です。(虎狛橋の名は、近くの虎狛神社から頂いたのでしょう。虎狛神社共々、唯一無二の名を持つ橋です。)
今日も野川の川面に、清々しい風が吹いていました。

●虎珀橋付近の桜並木②

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*虎珀橋から桜並木と野川を写しました(桜並木①を上流から写したことになります)。
この付近のソメイヨシノの花は、野川の中でも特に美しく、ライトアップされた夜桜も楽しめる所です。

●深大寺参道と山門

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*主人公がそばを食べた参道です。深大寺境内に湧き出る湧水は、参道沿いを流れ、近くの水生植物園を経て野川に流れ出ています。

●深大寺・釈迦堂

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*釈迦堂には、「あとがき」の中で紹介された国宝の白鳳仏が安置されています。
国宝に指定される前の
白鳳仏は、参拝する人も少なかったのですが、今日は長蛇の列ができていました。

…野川には、両岸の歩道(サイクリング道)とは別に、川辺に沿って踏みならされた道筋ができています。
川辺の道から、野川の水鳥を写しました。

●野川の流れ②

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*野川には、沢山の野鳥や水鳥が生息しています。せせらぎでは、カルガモ・ファミリーが泳いでいました。

●野川の流れ③

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*クチバシの先が黄色ではなく白ですが、おそらくカルガモ?だと思われます。

今日の野川には、マガモやコサギもいました。
「野川の奇跡」に出てくるカワセミの撮影ポイントは夏の時期で、今の季節は三脚を置いて撮影する人達を見ることはできません。

…野川公園の手前で野川を離れて、武蔵野の森公園に向かいました。
調布飛行場横の武蔵野の森公園内に保存されている掩体濠(えんたいごう)は、野川から100mほどの場所にあります。

*戦時中は、旧陸軍調布飛行場の滑走路の周辺に戦闘機・飛燕を格納し、アメリカ軍の爆撃から保護する掩体壕が60基以上あったそうです。

●大沢1号掩体壕

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*この辺りは、「野川の奇跡」で綴られた空襲や飛燕の空中戦があった場所です。柵で囲まれた掩体壕の遮蔽板に、格納状態を描いた飛燕の絵がありました。

●大沢2号掩体壕

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*同じ武蔵野の森公園内に保存された大沢2号掩体壕です。中に入ることはできませんが、1号とは違い遮蔽板がなく、掩体壕の内部を見ることができました。

●大沢2号掩体壕・説明板

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*現在の地図と戦争時の地図とを重ねた説明板です。
説明板で、現在の調布飛行場と旧陸軍調布飛行場との位置関係や戦争時の掩体壕の場所を確認することができました。
 

…武蔵野の森公園と道を隔てた調布飛行場に向かいました。
飛行場の滑走路の周りは公園になっていて、小高い丘から大島、新島、神津島を結ぶ小型航空機の離発着を見ることができます。

●調布飛行場

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*滑走路の奥に倉庫群や管制塔が見え、その奥に野川の北岸に当たる国分寺崖線の紅葉が見えました。
野川の両岸を見ると、「南岸は平坦で北岸は急斜面」と両岸の高さが違っています。「ハケ」と呼ばれる北の崖の斜面からは、多くの清水が湧き、都内でも珍しい清流が残っています。

●着陸する小型飛行機①

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*離島から帰ってきた小型飛行機(Dornier 228-212 NG)です。

●着陸する小型飛行機②

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*①の5分後、別のプロペラ機(Dornier 228-212 NG)が降りてきました。

掩体壕の前で一輪車に乗って遊ぶ少女たち…、目の前の滑走路に着陸する飛行機…。
防空壕で息を潜めていた時代と平和な時代の風景が交差し、タイムスリップした様なひと時でした。

今日の歩歩歩数は、22,400歩でした。

END

2017年11月23日 (木)

[3]大島神社巡り②-三原神社と為朝神社

昨夜のTVでは、「大島付近を前線が通過するため、早朝から9時過ぎまで風雨が強まる」という天気予報でした。

朝風呂の前に、三原山の上空を観ると、内輪山に雨雲がかかり始めていました。

●ホテルから望む三原山②(6:34)

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*昨日と同じ窓から、三原山の内輪山を写しました。この後、右下の露天風呂に山を見ながら浸かっていると、雨が降ってきました。

…朝風呂の後、朝食をとっていると、風雨が強くなり窓に雨が打ち付けるようになりました。
その後、一時的に風
速25mを超える天候になり、ホテルのラウンジでは昨夜、東海汽船に乗船し、朝方に大島に到着した「三原山登山ツアー」の人たち(約40名)が待機していました。
9時を過ぎると、ようやく雨風が弱くなってきました。「三原山登山ツアー」一行もホテル前からバスに乗り、三原山頂口に向かいました。

…私たちも9時30分過ぎにホテルを出発しました。
まずは、大島の東側の観天望気をしようと霧の中を昨日訪れた三原山頂口に向かいましたが、
三原山頂口も霧で、元町や大島飛行場を見ることはできませんでした。
三原山頂口から昨日と同じルートで泉津に向かい、泉津三原神社を訪ねました。

●泉津三原神社・鳥居(10:17)

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*泉津三原神社は、三原山山頂にある三原神社の分社で、泉津集落の中に鎮座しています。

●泉津三原神社・説明板

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●泉津三原神社・社殿

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*説明板を写していた時、先に社殿に向かっていた家人が、「祠からタヌキ**が飛び出したよ!」と声を上げました。この社殿の中に、1頭のメスの小動物がいたのです。
**後で武田商店のおばあちゃんに確認すると、大島にはタヌキはいなくて、おそらく「キョン」***だろうとのことでした。
***「キョン」は外来種の小型のシカで、昔、近くの大島動物園から逃げ出した数匹の「キョン」が大繁殖し、今年は
大島全体で15,000頭を超えたそうです。
「キョン」は、大島の農作物や名産のアシタバなどを食い荒らすため厄介者になっているとのことでした。

泉津三原神社を参拝した際、車を駐車した近くの店で日干しサンマを見かけました。
参拝後、その武田商店の前で日向ぼっこ(猫の見張り番?)していたおばあちゃんに挨拶して尋ねると、日干しサンマについて次のようなことを教えてもらいました。
・北海道産のサンマはを仕入れ、天気の良い日に加工して、太陽の下で干しています。
・店頭のサンマは、今日干したもので、午後には出来上がり、買えます。
・日干しサンマは、近隣の方は自家用と知り合いに送るために買われ、遠くの方は一度食べて病みつきになりFAXで予約されているので宅配・クール便で送ります。
・この時期のみの日干しサンマは大人気で、あっという間に売り切れます。

●日干しサンマ①(10:25)

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綱に吊るされたサンマは、針金で5匹ずつ束ねられていて、1組750円でした。2組を予約してラベルを貼ってもらい、2時に受け取ることにしました

●日干しサンマ②

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*後日、家で焼いたサンマは、大島の冬の日差しと風で旨味が凝縮されていて、絶品!でした。

…今日は、昨日と逆ルートで大島の北部・岡田を経由し、最北端の野田浜を訪ねました。

●野田浜

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*空は晴天となりましたが、野田浜の展望所には塩風が吹き、海水の飛沫が飛んでいました。

●野田浜から望む富士山

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*望遠で、相模湾の奥に聳える富士山を写しました。

…野田浜からサンセットパームラインを通り、元町に向かいました。
元町では、昨日買い出ししたスーパー・ベニヤに駐車し、為朝神社に向かいました。

●元町の街並み(11:39)

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*元町警察所前の通りです。左奥の潮音寺から手前の民家にかけての通りには、松や照葉樹の防風林が続いていました。

●鎮西八郎為朝館跡・赤門

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*赤門の奥は、伊豆大島に流された鎮西八郎為朝(源為朝)**の住居跡です。
**鎮西八郎為朝は、源頼朝の叔父で保元の乱に敗れて捕らえられ、大島に流され、この地に住んでいたと伝えられています。

赤門の東側の松林の中に、為朝神社が鎮座していました。
 


●為朝神社・鳥居(12:29)

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●為朝神社(香殿神社)・説明板

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●為朝神社(香殿神社)

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●鬼夜叉の墓

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*為朝神社の境内に、為朝の妻の父親で家来となった鬼夜叉の墓がありました。

●元町・路上タイル

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…元町散策の後、大島一周道路を昨日と逆に回り、波浮港を経由して泉津の武田商店(日干しサンマ)を目指しました。

●クダッチ

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*波浮港の交差点の「クダッチ」標識です(昨日は坂を下ったところで見つけました)。
今日は逆回りなので上り口になります。「クダッチ」
**というカタカナ名がユニークです。
**
「クダッチ」の語源として、「下地」が候補の一つになっているとのことです。

●波浮港見晴台から望む波浮港

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*波浮港は、昔は波布の池と呼ばれ、838(承和5)年に大島火山の割れ目がマグマ水蒸気爆発を起こして出来た噴火口に雨水が溜まった池でした。
時代が下り、1703(元禄16)年の元禄大地震の津波によって、海側の火口壁が決壊し、海と繋がったとみられています。

●「アンコ椿は恋の花」歌碑

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*波浮港見晴台の横に「アンコ椿は恋の花」の歌碑が立っていました。
…一番の歌詞の最後は、「片便り(返事がこない手紙)」という意味だったのですね。

…波浮港の北側に位置する筆島海岸に、筆島(離れ岩)が立っていました。

●筆島①(13:21)

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*筆島は、筆島火山(240万年~数十万年前に活動)の噴火で放出された凝灰角礫岩が、海食から取り残されて離れ岩となったものです。

●筆島②

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*①を望遠で写しました。高さ30mの岩の塊はパワーに溢れていました。

…筆島展望所から北に走り、2時に武田商店で日干しサンマを受け取り、岡田港に向かいました(今日は西からの風が強く、船の発着は元町港ではなく岡田港になっていました)。

【大島の車・道・ガソリン状況】
・大島の道路を走っている車は、すべて品川ナンバーでした。
・大島の道路を走っている車の90%以上が軽自動車で、他はバスとトラックと少数の普通自動車でした。
はじめは、「島一周が約50㎞で距離が短いから」と思いましたが、実際に走ってみて、


-道幅が狭く、普通車ではバスやトレックとすれ違いができない(軽自動車は問題なし)。
-元町、波浮港、岡田などでは、道路沿いに駐・停車している車が多く、道幅が更に狭くなっている。
-「椿のトンネル」と言われるように、道路沿いの木の枝が道に張り出している所が多く、大型の車両は、枝を避けて中央線をはみ出して走っている。
-坂道やカーブが多く、時速40㎞前後のスピードで走っている(50㎞を超えるスピードで走ることが少なく、普通自動車でなくても十分)。
-普通ガソリンの価格が、176円/1L(離島ということもあり流通経費がプラスされているのでしょう)で、燃費の良さが求められる。
-スーパーベニヤをはじめ、駐車場のラインはほとんど軽自動車の大きさに区切られている。


等々の事実が分かり、軽が最も合理的な車ということが納得できました。

岡田港でレンタカーを返し、14時55分発の高速ジェット船を待つことにしました。

●セブンアイランド友①(14:26)

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*岡田港を先に出発したセブンアイランド友です。後ろには、私たちが乗船するセブンアイランド虹が停泊中です。

●セブンアイランド友②(14:27)

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*前部水中翼がよく見えました。

…セブンアイランド虹は15時に出発し、強風と荒波をものともせず順調に走って、16時40分過ぎに竹芝桟橋に着きました。

●竹橋桟橋から望むレインボーブリッジ(16:56)

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大島・2日間の歩歩歩数は、29,680歩でした。

[2]大島神社巡り①-波治加麻神社と波布比咩命神社

●ジオアート伊豆大島

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*ジオアート伊豆大島のポスターです。
このポスターは、伊豆大島を鳥の目線で俯瞰した地図で、山頂の溶岩流や裏砂漠の色などが実物の様に描かれていました。

午後から、大島の麓の神社を巡りました。
まず、三原山頂口から「あじさいレインボーライン」を通って、島の東北・泉津地区に鎮座する波治加麻神社(はじかまじんじゃ)に向かいました。

●波治加麻神社・鳥居(14:37)

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*鳥居の先には、♪村の鎮守の神様の…♪で始まる「村祭り」の歌が聞こえてきそうな杉林が続いていました。

●波治加麻神社・説明板

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●参道①

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*杉木立の参道を50mほど歩き、振り返って鳥居を写しました。
参道は淡い色の杉苔に覆われ、緑の絨毯の上を歩いているようでした。

●参道②

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*参道の奥は杉の根が張り出し、根と根の間にはシダや苔が密生していました。

●波治加麻神社・境内

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*社殿は、針葉樹や広葉樹に加えて照葉樹の木々にも囲まれていて、深山を思わせる神秘的な雰囲気が漂っていました。

●波治加麻神社・拝殿

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*波治加麻神社は、拝殿の間口約3.7m、奥行き約3.6mの小さな社ですが、奥に幣殿と本殿が続く由緒ある造りでした。

●拝殿・本殿

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*拝殿の奥に(幣殿は見えません)本殿が見えました。

…波治加麻神社の参拝を終え、泉津から周遊道路を南下して波浮の港に鎮座する波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)に向かいました。
波布比咩命神社は、地元では波浮神社(はぶじんじゃ)と呼ばれていて、「アンコ椿は恋の花」の歌で有名な波浮港の西岸に鎮座しています。

●波布比咩命神社・鳥居(15:39)

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●波布比咩命神社・社殿

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*祭神は波布比咩命で、入母屋造りに唐破風向拝がついた社殿は1938(昭和13)年に建てられました。

●波布比咩命神社・阿形狛犬

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●波布比咩命神社・吽形狛犬

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●波浮港から見上げる波布比咩命神社

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*海岸に下りて、波浮港の海岸と神社を結ぶ参道(石段)から鳥居と社殿を写しました。
昔の参詣人は、波浮港の海水で口をすすぎ、手を浄め、小石を社前に積んで参拝したそうです。

●ツワブキの花

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*波布比咩命神社の境内で、濃い緑色の葉っぱを茂らせたツワブキが黄色い花を咲かせていました。

…波浮港を出て、大島の南海岸を走っていると、道路沿いに縞模様の崖が見えてきました。

●地層切断面①(16:00)

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*地層切断面は、1953(昭和28)年の道路建設工事で発見され、道路に沿って(高さ:20m、長さ:600m)
続いていました。

●地層切断面②

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*100層ほど積み重なった縞模様の地層は、三原山の大噴火によって飛ばされた火砕物が降り積もった堆積物です。
大島で“バウムクーヘン”と呼ばれている地層切断面が、西陽に照らされていました。

…車は元町に戻り、再び三原山登山道路を軽快に上って、今日の宿泊先のホテルに着きました。

●ホテルから望む三原山①(16:00)

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*三原山の外輪山に建つ大島温泉ホテルの部屋から見た三原山の内輪山です。今日歩いたルートは右端から中央の頂までの範囲ですが、ダイナミックな展望が楽しめました。

[3]大島神社巡り②-三原神社と為朝神社に続く

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2017年11月19日 (日)

●東京都大島町へ行こう![1]三原山お鉢巡りと三原神社:2107.11.10-11

11月10日から11日にかけて、海を渡り伊豆大島を訪ねました。
歩歩歩ポ~ンでは、今回の伊豆大島の旅を

[1]三原山お鉢巡りと三原神社奥宮
[2]大島神社巡り①-波治加麻神社と波布比咩命神社
[3]大島神社巡り②-三原神社と為朝神社

の3回シリーズで特集します。

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[1]三原山お鉢巡りと三原神社奥宮:2107.11.10

竹島桟橋・8時35分出発。
レインボーブリッジの手前でテイクオフした高速ジェット船・セブンアイランド大漁は、東京湾と相模湾の海面を走って(時速約70㎞で進む船体は、海上を飛んでいる感覚でした。)、10時20分に大島・元町港に到着しました。

●元町港・セブンアイランド大漁(10:25)

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*大漁は、セブンアイランド虹・愛・友に加え、2015年1月に就航した最新鋭(4艘目)の高速ジェット船です。

…元町港で、予約していたレンタカーの手続きを終え、手配のおじさんに「近くにコンビ二ありますか?」と尋ねると、「大島にはコンビニはないよ。」との回答、元町にある大島最大のスーパー・ベニヤを紹介してくれました。
スーパー・ベニヤで昼食用のサンドウィッチと飲み物を買って、早速、三原山登山道路を上り、三原山に向かいました。
*レンタカーは軽自動車で、三原山までの坂道が心配でしたが、急坂を軽々と登り、カーブをキビキビと曲がってくれました。

●三原山頂口から望む大島飛行場(11:18)

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*三原山頂口の駐車場(680m)から元町方面を写しました。左端が元町で、中央部の滑走路が大島飛行場です。

…さぁ、いよいよ今回の目的の一つ、三原山のお鉢巡りのスタートです。

●三原山内・遊歩道案内図(11:24)

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*三原山頂口の展望所の傍に遊歩道案内図が立っていました。
今日歩くルートは、案内図の青いラインを進み、三原山火口の周り(お鉢)の茶色いラインを一周して、青いラインを戻るコースを歩くことにしました。

●三原山・内輪山(11:25)

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*遊歩道案内図が立つ展望所から、三原山の内輪山を写しました。

●三原山・遊歩道(11:28)

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*三原山頂口(外輪山)と三原山内輪の間は、アスファルトで舗装された遊歩道でした。

●溶岩流・先端部(11:35)

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*遊歩道の中間地点に、1986年11月の三原山・山頂火口から流れ出た溶岩流の先端部がありました。
右端が最先端で高さは約5mもあり、流れ出た溶岩流の量にびっくりしました。

●溶岩流・説明プレート(11:35)

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*遊歩道②の右下に設置された溶岩流・説明プレートです。
中央下の夜間の写真で、光っている溶岩流がそのまま溶岩の塊となって残っていました。

…内輪山に登る遊歩道に取り付き、スイッチバック形状の急坂を息を切らせながら登ると、三原山・内輪山に鎮座する三原神社の鳥居が現れました。

●三原神社・鳥居①(11:56)

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*晴天で空気が澄んでいると、鳥居の扁額の下に富士山が見えるそうです。今日は、相模湾が霞んでいて見えませんでした。

●三原神社・鳥居②(11:57)

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*鳥居①から10mほど下ると、鳥居②に出ます。右奥が三原神社**の奥宮です。
**三原神社の主祭神は、 阿治古命(あじこのみこと)で、島民は古くから噴火口全域を御神火として信仰し、崇めてきました。

●三原神社奥宮(11:59)

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*1986(昭和61)年の噴火で火口から流れ出た溶岩は、奥宮の社殿を避け左右に分れて流れました。
神殿の周りを確認すると、溶岩との距離は2~30㎝しかなく、溶岩流から三原神社が守られたことが分かります。

●三原神社奥宮・説明板(11:59)

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*1986年以前の噴火による火砕流も、社殿を避けて流れたこと書かれていました。この社殿を包む不思議なパワーを感じました。

●三原山・展望台(12:03)

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*展望台は、屋上の展望台とトイレ、避難所を兼ねていました。

…お鉢巡りの前に、展望台から延びる火口見学道を歩き、西側の火口展望地に向かいました。

●三原山・西側火口展望地(12:09)

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*西側展望地からは火口壁の一部が見えましたが、火口は見えませんでした。

…展望台まで戻り、お鉢巡りをスタートしました。

●お鉢巡り道(12:19)

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*展望台の屋上から南側を写しました。登山道は右手の尾根に延びていて、中央の頂が三原新山(758m)、左側の火口を見ながら尾根上を歩きます。

●三原山から望む利島(12:29)

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*一周コースの南東側の道から、南に伊豆諸島の利島(としま)が見えました。

●三原山・裏砂漠(12:40)

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*一周コースの南側に広がる裏砂漠です。

●三原山・南側から望む中央火口(12:42)

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*三原新山の南側の巻き道を通り、中央火口南展望所で噴火口を写しました。左奥には展望所が見え、お鉢巡りコースの中間に位置することが分かります。
中央火口は、直径300~350m、深さ200mのお椀のような形をしていて、1986年の噴火の時に火口の中が溶岩で一杯になり、その後の噴火でへこんで1年後には現在のような姿になったそうです。”恐るべし活火山!
です。

●三原山・剣が峰から望む中央火口(12:55)

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*三原山内輪山の剣が峰から中央火口を写しました。この地点で、お鉢巡りの3/4を歩いたことになります。

●剣が峰(12:56)

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*内輪山の東側ピーク(剣が峰)で、昼食をとりました。後ろは、火山活動監視カメラと中央火口です。

●剣が峰からの展望(13:13)

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*剣が峰から北側を写しました。中央左の尾根(ポコ)の右下がB火口列(後述)です。
奥の外輪山の右端には、今日の宿泊先・大島温泉ホテルが見えました。

●三原山・B火口列(13:17)

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*1986年11月21日の噴火によってできたカルデラ床割れ目火口列は、南東から北西の向きに約1kmに渡って8つの火口があります。写真は、南東から2番目のB火口です。

●火口一周コース図(13:25)

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*火口一周コースと裏砂漠線との分岐に、航空写真の鳥観図がありました。今日、歩いたルートが白い線となっていて、火口の縁を歩いていたことが実感できました。

●三原山・イガアザミ(13:49)

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*三原山内輪山からの下り道で写しました。
イガアザミは、大島の代表的なアザミで、葉などの刺が栗のイガのように鋭くとがっています。

今日のコースで出会った人は、展望台の近くですれ違った2人のみで、海風、山風を感じる静かなトレッキングでした。

[2]大島神社巡り①-波治加麻神社と波布比咩命神社に続く

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2017年11月 5日 (日)

[5]弘前(ねぷた村・弘前城・長勝寺)巡り

岩木山神社の参拝を終え、りんご畑が続くアップルロードを経由して、弘前市に着きました。

…弘前では、初めに「津軽藩ねぷた村」の常設展示館で弘前ねぷたを見学しました。

●弘前ねぷた①(13:15)

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●弘前ねぷた②・金魚ねぷた

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●弘前ねぷた③・扇ねぷた

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●弘前ねぷた④・扇ねぷた

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津軽藩ねぷた村から、歩いて弘前城へ向かいました。
*弘前城は、津軽藩2代目・津軽信枚(のぶひら)公が1611(慶長16)年に完成させた城です。以後、廃藩に到るまでの260年間、津軽氏の居住する城として使用されました。

北門から城内に入り、四の丸、北の郭を通って、本丸に登城しました。

●弘前城・亀甲門(北門)

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●弘前城・丑寅櫓と壕の紅葉

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●弘前城案内図

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●弘前城・天守①(14:58)

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*本丸の北側から、独立式層塔型3重3階の天守を写しました。現在の天守は、本丸の石垣修理に伴い、本丸の内側へ約70m移動しています。

●弘前城・天守②

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*東側から写した天守です。北面と西面には各階に鉄扉付きの窓があり、和風旅館のようでした。

●弘前城・天守③

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*西南側から写した天守です。
南面と東面は、矢狭間だけです。また、1、2層の中央に張り出しをつけ、切妻破風・石落としを設けるなど、古形式の天守の特徴がありました。

●弘前城・天守④

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*天守の横では、リンゴアート**が展示されていました。
**リンゴアートの絵は、東洲斎写楽の浮世絵「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」(縦17m、横9m)で、約3万個の青森産りんごを並べて作成されたそうです。

●下乗橋から見た天守建立場所

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*下乗橋から、天守が曳屋で移動する前に建っていた場所を写しました。
現在は、石垣の解体工事中で、石垣が修復する4年後に天守曳戻しが計画されています。

二の丸から東内門、三の丸を経て、東門を出ました。

●三の丸の紅葉

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弘前城から、禅林街の長勝寺(ちょうしょうじ)に向かいました。
*長勝寺は、津軽家の菩提寺で日光東照宮と並び称される江戸時代初期の代表的な建造物です。
寺は1528(享禄元)年に創建され、1610年(慶長15)年に2代藩主・信枚公が弘前城築城とともに現在地に移したとされています。

●禅林街・長勝寺周辺MAP

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*長勝寺を含む曹洞宗・33の寺院が、林のように並木道に沿って建っていることから禅林街と呼ばれ、長勝寺は、禅林街の一番奥に建っています。

●長勝寺・三門(16:08)

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●三門から見た本堂

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*本堂の屋根は、青森ヒバの薄板15万枚を
張り重ねたこけら葺きの屋根です。

●長勝寺・五棟霊廟

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*霊廟の入場受付は16時までだったので、本堂横から写しました。
左手奥の五棟霊廟は、津軽藩の歴代藩主や奥方の霊廟(津軽家霊屋)となっています。

●本堂から見た三門

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●青森・秋田周遊MAP

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…弘前から国道7号線を通って、青森空港に戻りました。
今日の羽田行の飛行機は、台風21号の影響で羽田の滑走路が1本使えなくなり、午後から青森に来る機材が大幅に遅れていました。
私たちが乗る予定のJAL150便も2時間以上遅れての離陸でしたが、無事に羽田に着陸することができました。

今回の紅葉の青森の旅(3日間)の歩歩歩数は、47,500歩でした。

END

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[4]岩木山神社と逆立ち狛犬:2017.10.23

夜半から風雨が強くなり、朝方になるとコテージの北側の窓に雨が打ち付け、関東に上陸した台風21号の影響が出始めました。
しかし、”温泉の朝風呂は嵐に勝る”がモットー?なのか、7時過ぎに車で3分ほど走って敷地内の「鍋石温泉」に向かいました。

…日本海は見えませんでしたが、無事入浴、その後、朝食をとり、天候を確認しながら9時30分の出発となりました。

ウェスパ椿山出発⇒(国道101号線)⇒深浦町⇒(101号線)⇒鯵ヶ沢町・海の駅わんど⇒(県道3号線)⇒岩木山神社・11時55分到着

101号線は予想通りの強い風雨で、ワイパーを「強」にして安全走行を心掛けました。
岩木山の麓を通る3号線では、雨と霧で裾野しか見えない岩木山でしたが、しっとり色づいた広葉樹林の中を走ることができました。

…岩木山(1625m)の南東麓に鎮座する岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、北からの風が岩木山に遮られて風がなく、静謐な境内でした。

●岩木山神社・一の鳥居

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*参道が社殿に向かって真っすぐ延びています。一の鳥居からは、正面に岩木山山頂**が見えるとのことですが、今日は雨と霧に遮られていました。
**岩木山は、「お山」、「お岩木様」と呼ばれています。津軽の人々の象徴であり、信仰の山です。

●岩木山神社・説明板

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●楼門

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*楼門を含め、境内に建つ社殿群(本殿・奥門・瑞垣・拝殿・中門)は、江戸時代初期から元禄時代にかけて代々の弘前藩主が造営したもので、重要文化財に指定されています。

●楼門から振り返った参道

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*楼門前の狛犬に加えて、瑞垣の左右で狛犬が睨みを効かせていました。

●瑞垣・狛犬①

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*瑞垣を登る狛犬です。

●瑞垣・狛犬②(逆立ち狛犬)

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*もう1体の狛犬は、頭を下に向け、逆立ちの姿勢をとっていました。
2体とも石柱や台座と同じ石を刳り抜いて彫られているとのこと、石工職人の強いパワーを感じました。

●中門と拝殿

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*岩木山神社は、780(宝亀11)年に岩木山山頂に社殿が建てられ、征夷大将軍・坂上田村麿が800(延暦19)年に山頂社殿を再建したと伝わっています。
その後、1091(寛治5)年に十腰内の下居宮を岩木山東南麓(現在地)に遷座し、現在の岩木山神社となりました。

●拝殿内部

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*岩木山神社に祀られている祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)、多都比姫神(たつびひめのかみ)、宇賀能賣神(うかのめのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、坂上刈田麿(さかのうえのかりたまろのみこと)の5柱です。
この5柱の神を総称して岩木山大神(いわきやまおおかみ)と呼ばれています。

●拝殿と白雲大龍神参道

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*拝殿脇に白雲大龍神へ続く参道がありました。

●白雲大龍神

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*白雲大龍神の祠には、水神信仰の龍神様が祀られています。

●本殿

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*白雲大龍神の参拝後、拝殿の奥に荘厳な岩木山神社の本殿を観ることができました。

【おまけ】
昼前、鯵ヶ沢町で偶然立ち寄った「海の駅わんど」の食堂で、鯵ヶ沢町出身の舞の海と並ぶスター・ブサかわ犬「わさお」君像を見つけました。
食堂のおばちゃんから「わさお君はここから3㎞位東に住んでいて、散歩していなければ会えますよ。」と教えてもらいましたが、暴風雨の中の安全走行で時間がかかっていたので、断念しました。

●「わさお」君像

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*「わさお」君像は、鯵ヶ沢ねぷたと同じ様式で作られているようです。

●「わさお」君シール

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*記念に「わさお」君のぷっくりシールを買いました。

[5]弘前(ねぷた村・弘前城・長勝寺)巡りに続く
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2017年11月 3日 (金)

[3]十二湖散策と深浦町椿山:2017.10.22

9時に十和田湖を出発⇒発荷峠⇒(樹海ライン)⇒大館市⇒(国道7号線)⇒能代市⇒(国道101号線)⇒13時過ぎ、十二湖駅に到着しました。

日本海の海岸すれすれを通る101号線では、五能線と並んで(時々、交差しながら)走り、五能線を走る列車を何度も見ることができました。
*JR東日本・五能線は、青森県・川部駅(五所川原市)と秋田県・東能代駅(能代市)を結ぶ全長147.2㎞、43駅のローカル線です。

●十二湖駅・「リゾートしらかみ3号・青池」(13:05着)

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*十二湖駅に到着した「リゾートしらかみ・青池」(下り・鰺ケ沢方面行き)を写しました。

十二湖駅で”撮り鉄”ができ、”ルンルン気分”で十二湖を目指しました。
…十二湖ビジターセンターを経て、落口の池(おちくちのいけ)西岸の駐車場に車を置いて歩き始めました。

●十二湖・落口の池(13:23)

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*池の周りは、広葉樹が赤や黄色に色づき始めていました。

●十二湖案内図(13:32)

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*森の物産館キョロロの
近くに、十二湖案内板が建っていました。

鶏頭場の池(けとばのいけ)を通って、青池(あおいけ)を目指しました。

●十二湖・青池(13:38)

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*曇り空のためか、青緑がかった青池です。水面には黄色の落葉が浮かんでいました。

●青池のニホンザル(13:39)

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*青池の岸辺を歩くニホンザルです。突然現れたので望遠がちょっとピンボケになりましたが、綺麗な毛並みのオス猿で、堂々としていました。

●十二湖の由来・説明板(13:45)

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散策路は、背の高いブナが生い茂る自然林に入りました。

●十二湖・ブナ原生林(13:48)

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*池と池の間には、背の高いブナの原生林が続いていました。

●十二湖・長池への分岐(14:00)

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*ブナの森の散策路から離れ、長池(ながいけ)と四五郎の池(しごろうのいけ)に向かいました。

●十二湖・長池(14:04)

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*長池は、細長いL字型をした池で、山崩れによって沢がせき止められてできた池だということが分かりました。

●十二湖・四五郎の池(14:11)

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*四五郎の池は、木立が数十㎝水に浸かった浅瀬の池だそうですが、今は枯れていて草地になっていました。奥は大崩(694m)です。

四五郎の池から引き返して西に歩き、子宝の池を経て十二湖リフレッシュ村に着きました。
ここで一休みした後、沸壺の池(わきつぼのいけ)に向かい、そこから最初に見た落口の池まで下ることにしました。

●十二湖・沸壺の池(14:46)

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*沸壺の池は、青池以上に青く透明度のある神秘的な池でした。

駐車場に戻り、車で王池(おういけ)に向かいました。
王池は、東湖と西湖という2つの池に分かれていて、間に紅葉に囲まれた駐車場があります。


駐車場でシベリアンハスキーに会いました。名前は「天」君で7歳、白黒のロン毛で活発なハスキーです。
車の長旅だったのか、駐車場の隅で背伸びしたり、元気に跳ねていました。

●十二湖・王池東湖(15:06)

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東湖の湖畔まで下りて、湖面を写しました。東湖は紅葉が早いようで、岸辺の木々の葉が落ち始めていました。

●王池東く湖の落ち葉(15:07)

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駐車場に戻ると、今度は「蓮」君(4歳)と「まる」君(12歳)に会いました。
しばらくの間、「まる・天・蓮」ママさんに話を伺いました。
十二湖は、那須で開催されたルアーコーシング大会に参加した帰りに立ち寄り、紅葉を見て黒石市に戻るとのことでした。

*電動モーターで巻き取られるワイヤーに引っ張られたルアー(擬似餌のウサギ)を追いかけるドッグスポーツ競技。
**
那須大会に「蓮」君と「天」君が出場し、「天」君がチャンピオンになったとのこと。オメデトウ!

●シベリアンハスキー「蓮」君(15:10)

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●ビーグル「まる」君(15:15)

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*「まる」君は、昔、東北地域でティシュのCMに出ていて、カメラ撮影に慣れているとのこと。”流石のカメラ目線”でした。
*シベリアンハスキーの「天」君は、車に戻っていて写せませんでした。残念。

「まる・天・蓮」君に元気をもらい、ママさんの話でホッコリして、十二湖で別れました。そして、今日の宿泊地の椿山に向かいました。

…15時40分、青森県深浦町のウェスパ椿山に到着、チェックインの前に展望モノレールに乗車しました。

●しらかみ号①(15:52)

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*「スロープカー」とも言われるしらかみ号は、物産館コロボックル(左側の建物)から展望台**まで、片道約10分間で運行しています。
**しらかみ号が走る軌道は、最大斜度25度、距離561m、高低差102mです。車両は2両編成で、定員40名、車両床面水平自動制御装置で勾配が変化しても水平を保っていました。

●しらかみ号②(16:11)

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*展望台駅に到着したしらかみ号です。最終便(16:00上り⇔16:30下り)のしらかみ号は、ガイドさんと私達3名の貸し切り車両でした。

●しらかみ号③(16:12)

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*下りの最終便も同じメンバー(3名)でした。やはり台風前で雨模様の天候では、乗車する人はいなかったのでしょう…。2017年7月にリニューアルしたばかりのしらかみ号の車両は、最新の技術が集約されていて、下りも快適でした。

●深浦風力発電所(16:13)

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*展望台の屋上から深浦風力発電所**を写しました。台風21号の影響で、強くなった風を受けて、ローターが元気に回っていました。
**台地に建つ9基のタワーは、高さ:78m 、ローター径:82m、1基当たりの発電量:2300kw で、2012年12月に稼動開始とのことです。

●白神山地(16:13)

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*展望台の屋上から白神山地を写しました。右側が日本海、その奥が白神山地、中央の谷間の奥が十二湖です。

●ウェスパ椿山・遠景(16:15)

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*展望台から、今日の宿泊地・ウェスパ椿山の施設とコテージを写しました。ガイドさんから「右側の岬が椿山(標高60m)で、ヤブツバキの自生北限地で海側ではヤブツバキの花が一斉に咲きます。」との説明を受けました。

近くの不老不死温泉と同じ源泉の展望温泉「鍋石温泉」に浸かり、青森の旅2日目を終えました。

【追伸】
11月15日にまる&天&蓮ママから、コメントが届きました。
「紅葉も終わり、16日から雪が…」とのこと。「これからワンズ達の季節」とも書かれていました。 ([4]岩木山神社と逆立ち狛犬のコメントより)

雪原の中で走る「まる」「天」「蓮」君の元気な姿が浮かびます。
…これからも元気で走ってくださいね。

[4]岩木山神社と逆立ち狛犬に続く

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2017年10月29日 (日)

[2]十和田湖・乙女の像から十和田神社へ:2017.10.21

宿泊先でチェックイン後、十和田湖畔を歩いて、乙女の像と十和田神社へ向かいました。

●十和田湖・ボート乗り場(15:46)

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*休屋のボート乗り場です。沖には子の口で見た遊覧船(子の口発・15:00→休屋着・15:50)が休屋の船着き場に向かっていました。

●恵比寿大黒島(15:49)

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*御厨ヶ浜の沖に浮かぶ恵比寿大黒島には、キタゴヨウ(五葉松の一種)と紅葉したツツジに囲まれた赤い祠(大黒神社・恵比寿神社)が見え、天然の巨大盆栽のようでした。

●御前ヶ浜(15:53)

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*御前ヶ浜の右手奥に見える中山半島には、紅葉の森が広がっていました。

●乙女の像(15:55)

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*御前ヶ浜の奥まった所に、乙女の像[高村光太郎・1953(昭和28)年作]が建っていました。

…乙女の像から十和田神社に向かいました。

●十和田神社・二の鳥居(15:58)

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●十和田神社・拝殿①(16:01)

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*十和田神社の歴史は古く、807(大同2)年に東征で訪れた征夷大将軍・坂上田村麻呂が、この地に日本武尊を祀ったのが始まりとされています。
その後、平安時代(915年)の大噴火(有史以来、日本最大の噴火と言われています)で壊滅しましたが、鎌倉時代に修行者によって再び開山され、江戸時代には恐山とともに南部藩の二大霊場と霊場として発展した神社です。

●十和田神社・拝殿②(16:02)

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●十和田神社・拝殿・本殿・熊野権現(16:03)

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*左側・拝殿の奥が本殿(中央)で、右側が境内社の熊野権現です。

十和田神社を参拝した後、江戸時代に植えられた大杉(樹齢約400年)が並ぶ参道を900mほど歩き、一の鳥居に出ました。

●十和田神社・一の鳥居(16:12)

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*参道入口から、振り返って一の鳥居を写しました。鳥居前に狛犬、後ろには大杉の並木が続いています。

●一の鳥居・阿形狛犬

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*口を大きく開いた阿形狛犬です。目元パッチリで江戸流れの尾を持つ狛犬でした。

●一の鳥居・吽形狛犬

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*吽形の狛犬も目元パッチリで見目麗しい表情です。こちらも江戸流れの尾でした。

再び十和田湖畔に戻り、休屋(やすみや)の十和田ビジターセンターに立ち寄りました。

●十和田湖・ジオラマ(16:25)

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*センターに設置された、十和田湖のジオラマです。十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖の構造がよくわかります。

●十和田湖・地形図(16:28)

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…夜、台風21号の影響で、雨脚が強くなってきました。
明日の予報は「曇りのち雨」、温泉に浸かりながら、明日の十二湖散策まで雨が降らないよう祈りました。

[3]十二湖散策と深浦町椿山に続く
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