2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

2017年8月11日 (金)

みかも山と茂林寺散策:2017.8.3

夏休みの一日、館林の野口師匠が定期的に歩いている定点観測地を一緒に散策しました。
*師匠の定点観測地は、栃木県・佐野市のみかも山や群馬県・館林市の茂林寺湿原、渡良瀬遊水地などで、四季に亘る動植物の営みをブログ「つれづれ野山あるき」**の写真で紹介しています。 
**「つれづれ野山あるき」コピー:「つれづれなるままに館林周辺に残された森や林や近郊の低山をぶ~らぶらしながら見つけたお気に入りをメモしています。」

今日は、野口師匠にガイドをお願いして、みかも山公園と茂林寺を一緒に散策しました。

9時10分に茂林寺前駅で下車し、師匠と合流。”まず、涼しい午前中にみかも山を登ろう。”ということになり、佐野に向かいました。
*みかも山(三毳山)は、関東平野の北端に位置し、南北約3.5kmにわたって連なる細長い山で、その一角が栃木県営都市公園・みかも山公園となっています。

●みかも山・竜ヶ岳

Dsc04982_r

*東口広場・駐車場から見たみかも山の最高峰・青竜ヶ岳(229m)です。

●みかも山公園・案内図

Dsc04983_r

*案内図の中央下の東口広場から登り始め、山の斜面を中心に歩きました。

●キツネノカミソリ①

Dsc04989_r

*尾根の斜面の明るい所に、キツネノカミソリが群生していました。

●みかも山・登山道

Dsc04992_r

*コナラやクヌギの広葉樹林の中の登山道は、遊歩道のようでした。広葉樹林の中はひんやりしていて、正に「納涼山登り」です。

●キツネノカミソリ②

Dsc04993_r

*中岳の尾根の斜面に広がるキツネノカミソリの群生地**です。
「キツネノカミソリは、明るい広葉樹林に生育するヒガンバナ科の多年草で、名前は葉の形がカミソリに似ていて、花の色がキツネの体毛に似ていることが由来」と師匠が教えてくれました。
**みかも山は、カタクリの群生地としても有名です。山の斜面に一斉に咲くカタクリの花も観てみたいと思いました。

●キツネノカミソリ③

Dsc04994_r

*キツネノカミソリを望遠で写しました。キツネノカミソリの花は、ヒガンバナをオレンジ色にしたような山野草でした。

●カラマツソウ

Dsc04995_r

…中岳(210m)から青竜ヶ岳に延びる尾根道をしばらく歩くと、山頂広場に出ました。
歩き始めて約1時間、広場の長机とベンチを見て「お茶会にしよう。」ということになりました。

●山頂広場

Dsc04996_r


●ずんだ餅とコーヒー

Dsc04999_r

*いつもの吉木堂のずんだ餅とコーヒーは、師匠の差し入れです。どちらも旨かった!

●机の上の蟻

Dsc05000_r

*机の上に落ちたずんだ餅の餡(すりつぶした枝豆)を、蟻がせっせと運んでいました。ピントがずれてしまいましたが、右下の茶色い粒(蟻)が白っぽい粒を運んでいます。

●山頂広場・道祖神

Dsc05002_r

*お茶会した山頂広場には、石の祠がありました。

●道祖神と説明板

Dsc05003_r


●オトコエシ

Dsc05004_r

*名前を師匠に教えてもらいました。 「オトコエシ(男郎花)は、オミナエシ(女郎花) と同じ仲間で、花の色がオトコエシが白、オミナエシが黄色だよ。」とオミナエシのことまで教えてもらい感謝。

●バッタの幼虫

Dsc05005_r

*公園のコンクリート製の丸太の上にいました。全身が綺麗な緑色のバッタでした。
トノサマバッタの幼虫と思いましたが、帰って「バッタの幼虫」で調べると、トノサマバッタは幼虫でも足が茶色なので、ヤマトフキバッタの幼虫のようです。

●みかも山公園・木道

Dsc05007_r


●タチギボウシとミソハギ

Dsc05009_r


●トチノキ

Dsc05011_r

*トチノキ(左奥)とトチノキの葉を観る野口師匠です。

●トチノキの葉

Dsc05012_r

*トチノキの葉は大きく、葉柄から葉先までの長さは40~50cmになります。「長い葉柄の先に小葉5〜7枚ついているけど、全部で1枚の葉(掌状複葉)
だよ。」と教えてくれました。

●トチノキの実

Dsc05013_r

*これが実ると、トチ餅になるんですね。

●シオカラトンボ(望遠)

Dsc05016_r

*みかも山の麓で、シオカラトンボを見つけました。羽の模様が綺麗です。
 

みかも山を下りて、館林市に戻りました。
途中、蕎麦を食べて、茂林寺に向かいました。

*茂林寺(もりんじ)は、1426(応永33)年に大林正通大和尚によって開山され、文福茶釜ゆかりの寺として知られる曹同宗の名刹です。

●茂林寺・総門(黒門)

Dsc05017_r

*総門は、1468(応仁2)年に建立されました。

●茂林寺・山門と狸像

Dsc05018_r

*総門と 山門間の参道では、20体ほどの夏バージョンの狸像(フラ狸)が出迎えてくれました。

●フラ狸①

Dsc05019_r


●フラ狸②

Dsc05020_r


●茂林寺・守鶴堂

Dsc05022_r

*大林正通大和尚と共に茂林寺を開いた守鶴和尚を祀る堂です。守鶴和尚は、分福茶釜を茂林寺にもらたしたと伝えられています。

●守鶴堂・こま狸①

Dsc05023_r

*守鶴堂の左側に、口を閉じた吽形(うんぎょう)のこま狸(石製)が立っていました。

●守鶴堂・こま狸②

Dsc05025_r

*守鶴堂の右側には、口は開いていませんが、巨大なカタツムリで遊ぶ阿形(あぎょう)のこま狸(陶器製)が立っていました。

●茂林寺・本堂①

Dsc05026_r

*茂林寺は木曜日が定休日とのこと。本堂の扉は閉まっていて、本堂内に安置された分福茶釜を見ることはできませんでした。

●茂林寺・本堂②

Dsc05028_r

*茂林寺裏の墓地から本堂を写しました。茅葺の屋根の一画には、野草がたくましく育っています。

…茂林寺の裏手の茂林寺沼湿原(師匠の定点A :湿原入り口)に向かいました。

●茂林寺沼湿原・入口

Dsc05029_r


●茂林寺沼湿原・説明板①

Dsc05031_r


●茂林寺沼湿原・説明板②

Dsc05032_r


●茂林寺沼湿原・中央通路

Dsc05034__r

茂林寺と茂林寺沼湿原を散策した後、館林駅に向かいました。

●館林駅前・温度計

Dsc05035_r

*日本一の暑さの館林、今年も38.8度(8月9日)を記録しましたが、3日は、なんと29度(低い!)でした

今日の歩歩歩数は、14,500歩でした。

END

2017年8月 1日 (火)

[5]花の山・至仏山 ②:2017.7.21

………………………………………………………………………………………………

[5]花の山・至仏山 ②

至仏山から小至仏山を通り、鳩待峠に下山しました。
[5]花の山・至仏山 ②では、下山道で見つけた高山植物と尾瀬の風景をUPします。

●至仏山・石碑[10:08]

Dsc04943_r_2

*至仏山は、太平洋側と日本海側の分水嶺です。この石碑の奥に降った雨は、水上の方に流れ下り、利根川と合流して太平洋に注いでいます。
逆に、石碑の手前に降った雨は、尾瀬ヶ原のヨッピ川に流れ、奥只見ダムを経て阿賀川や阿賀野川となり、日本海に流れ出るのです。

🌼ウラジロヨウラク② [10:20]

Dsc04945_r

*ウラジロヨウラクは、別名をツリガネツツジというそうです。釣鐘状で紅紫色の花がぶら下って咲いていました。

●至仏山・南尾根[10:22]

Dsc04946_r

*水上側の谷から稜線にガスが吹き上げてきました。

🌼ホソバヒナウスユキソウ②[10:33]

Dsc04950_r

🌼ハクサンシャクナゲ③[10:34]

Dsc04951_r

●小至仏山・北尾根[11:00]

Dsc04954_r

*小至仏山に登り返す途中、尾瀬ヶ原と燧ケ岳を写しました。小至仏山の尾根道も蛇紋岩(下部)とハイマツの間を抜ける道でした。

🌼タカネナデシコ②[11:04]

Dsc04955_r

*至仏山に登る途中で見たタカネナデシコ①に比べると、花の色が濃いタカネナデシコです。中央部に蕾も見ることができました。

●小至仏山・山頂[11:09]

Dsc04958_r

*石碑には、「小至仏山頂 二、一六二米」と記されていました。

🌼シナノキンバイ②[11:32]

Dsc04963_r

●小至仏山・南尾根の雪渓[11:33]

Dsc04965_r

🌼チングルマ③とオゼソウ②[11:34]

Dsc04966_r

●小至仏山・南尾根の道

Dsc04969_r

*尾根の登山道は、いたるところに蛇紋岩があり、その間を通ります。
長年登山靴で踏まれた岩は、
丸く削られ磨かれます。雨やガスで水分を含むと滑りやすいので、3点確保で慎重に歩きました。

🌼イワカガミ②とチングルマ④[11:49]

Dsc04970_r

●オヤマ沢田代・分岐[11:56]

Dsc04973_r

●至仏山と小至仏山[12:18]

Dsc04976_r

*下山道から、至仏山(右奥)と小至仏山(中央)を写しました。
地図上では短い距離でも、実際に歩いた登山道を観ると”あんな遠くから歩いてきたんだ…”と足に感謝し、感慨深くなってしまうものです。

●尾瀬ヶ原と鳩待峠[12:21]

Dsc04977_r

*下山道から尾瀬ヶ原(左奥)と鳩待峠(右側中央・尾根の鞍部)を写しました。今日歩いたコースとスタートした鳩待峠休憩所も見え、尾瀬の西側を俯瞰することができました。

●鳩待峠・登山者カウンター[13:14]

Dsc04978_r

*鳩待峠・至仏山口の手前で登山者カウンターを通過しました。
尾瀬ヶ原周辺では、鳩待峠の3ヶ所を含め6ヶ所のカウンターで入山者数の自動計測を行っています。

13時15分、樹林の中の登山道から明るい広場に出て、鳩待峠に到着しました。

●鳩待峠休憩所前広場から見た至仏山[13:25]

Dsc04980_r

●尾瀬探勝図

Dsc04979_r

*鳩待峠休憩所内に架けられた尾瀬探勝図です。今日は、左下の赤いラインの内側とライン上の一部の登山道を歩いたことになります。

鳩待峠休憩所で、「無事に下山できたこと」、「数多くの山の花を観ることができたこと」「尾瀬ヶ原と燧ケ岳と至仏山の素晴らしい風景のこと」等々、を振り返りながら、至福のBeer timeとなりました。

遥かな尾瀬の第一次山行(7/7-9:59,230歩)と第二次山行(7/20-21:23,270歩)の歩歩歩数の合計は、82,500歩でした。

END
 

[4]花の山・至仏山①:2017.7.21

………………………………………………………………………………………………

[4]花の山・至仏山①

至仏山の登山口を7時10分に通過しました。
登山口の標高が約1,400mなので、これから828mの上りとなります。気合を入れて木の階段を登りました。

[4]花の山・至仏山①では、登山道で見つけた高山植物と、高度を上げるごとに変化する尾瀬ヶ原と燧ケ岳の写真をUPします。

🌼ハクサンシャクナゲ①[7:15]

Dsc04871_r

🌼ハナニガナ[7:53]

Dsc04875_r

●登山道から望む尾瀬ヶ原①[8:04]

Dsc04877_r

*登山道の展望が開けたところで、尾瀬ヶ原を写しました。池塘が朝陽を反射して鏡のようでした。

●至仏山の大盆栽①[8:00]

Dsc04878_r

*白骨化した木が太陽の塔のようにも見えましたが、周りの松と合わせると巨大な盆栽です。

●登山道から望む尾瀬ヶ原②[8:47]

Dsc04885_r_2

*急登に作られた木の階段です。この辺から、登山道の周りに数多くの高山植物が見られるようになりました。

🌼ヨツバシオガマ[8:59]

Dsc04889_r

🌼ウラジロヨウラク①[9:00]

Dsc04891_r

🌼タテヤマリンドウ①[9:04]

Dsc04894_r

🌼ハクサンシャクナゲ②[9:05]

Dsc04895_r

🌼コオニユリ①[9:12]

Dsc04901_r

🌼タカネナデシコ①[9:12]

Dsc04902_r

●登山道から望む尾瀬ヶ原③[9:15]

Dsc04907_r

*尾瀬ヶ原と雲がかかっていた燧ケ岳の全容が見えてきました。

🌼チングルマ①[9:16]

Dsc04909_r

*チングルマ②の花後の状態です。花弁が落ちると、花柱が長くのび羽毛状となります。 

●至仏山の大盆栽②[9:17]

Dsc04911_r

🌼ホソバヒナウスユキソウ① [9:21]

Dsc04914_r

*至仏山の蛇紋岩の崩壊地帯に咲いていました。
ホソバヒナウスユキソウは、ミヤマウスユキソウが蛇紋岩の酸性土壌に適応した変種といわれています。
 

●至仏山・高天原①[9:22]

Dsc04915_r

*高山植物の宝庫・高天原です。ハイマツを抜けた蛇紋岩の崩壊地帯の周りには、至仏山固有の高山植物が花を咲かせていました。

●登山道から望む尾瀬ヶ原④[9:23]

Dsc04918_r

*高天原①の地点から、反対側を写しました。登山者が、天上の花園を回遊しているような風景でした。

🌼コオニユリ②[9:27]

Dsc04921_r

*木道の階段の間に、コオニユリの花が咲いていました。

🌼タカネシュロソウ[9:28]

Dsc04922_r

🌼ジョウシュウアズマギク [9:36]

Dsc04925_r

*ジョウシュウアズマギクは、朝日岳、谷川岳、至仏山の蛇紋岩の崩壊地だけに生える高山植物です。
淡紫色の花びら状のものは舌状花で、中心部の黄色い部分は筒状花の集まりです。

 

🌼タテヤマリンドウ②[9:37]

Dsc04926_r

*タテヤマリンドウ①の青紫色に比べると、白色の小粒の花でした。

●至仏山・雪渓[9:38]

Dsc04927_r

🌼イワカガミ①[9:41]

Dsc04929_r

*岩場に生え、葉に光沢があることから「岩鏡(イワカガミ)」と名付けられました。

🌼ハクサンイチゲ①[9:41]

Dsc04930_r


🌼ハクサンイチゲ②[9:42]

Dsc04931_r

*このハクサンイチゲは、①の近くの登山道沿いの風の強い所に健気に咲いていました。

🌼オゼソウ①[9:43]

Dsc04932_r

*尾瀬の至仏山で発見されたため、オゼソウという名がつけられたそうです。

🌼シナノキンバイ①[9:49]

Dsc04934_r

*漢字では、
「信濃金梅」と書きます。「黄金の花びら」に見えるのは、萼片です。

🌼チングルマ②[9:50]

Dsc04936_r

9時50分、至仏山のピークに着きました。山頂には30名くらいの登山者がいて、石碑の前で写真を撮ったり、水分補給をしていました。

●至仏山・山頂三角点[9:52]

Dsc04941_r

*至仏山・山頂には、標高2,228.1mの二等三角点が設置されていました。

[5]花の山・至仏山②に続く

………………………………………………………………………………………………

2017年7月30日 (日)

[3]再びの尾瀬ヶ原:2017.7.21

[3]再びの尾瀬ヶ原

7月20日、「我が家の龍宮現象」効果で、再び新宿発の高速バスに乗っていました。
*「前回の尾瀬で、数輪しか見られなかったニッコウキスゲを見に行こう」、「登りたかった至仏山に登って高山植物を見よう」の思いが動機づけになりました。

戸倉で大清水組と分かれ、マイクロバスに乗り換えて前回のゴール・鳩待峠に向かい、5時15分に鳩待峠に着きました。

●鳩待峠[5:16]

Dsc04835_r

*前回のゴールで見た鳩待峠の案内板です。今日は、スタートとゴールで出会うことになります。

●鳩待峠休憩所[5:16]

Dsc04834_r

*同じ時間帯のマイクロバスや乗合いタクシーで上ってきた登山客が、休憩していました。

●山ノ鼻への登山道[5:26]

Dsc04836_r_2

*鳩待峠から山ノ鼻への登山道は、最初の急登を除くとほとんどが木道と木の階段が続く快適な下りの道です。

🌼ヤマオダマキ[5:52]

Dsc04838_r

*山ノ鼻の近くの樹林帯で、ヤマオダマキを見つけました。

6時に山ノ鼻に到着。
まだビジターセンターも閉じていて、登山者の姿も見かけない静かな山ノ鼻でした。

●至仏山荘[6:01]

Dsc04840_r

*至仏山荘前の木のベンチです。手前のベンチで、山荘の軒下のイワツバメの囀りを聞きながら、朝食のおにぎりを食べました。

尾瀬ヶ原(上田代)付近の花の開花が、7月9日からどう変わったのか見てみたかったので、山ノ鼻を6時30分に出発し、原の川上川橋まで往復しました。

●原の川上川橋からの展望[6:47]

Dsc04847_r

*折り返し地点の原の川上川橋で、橋と上田代の湿原と至仏山を一緒に写しました。
至仏山の雪渓は、10日間で半分の大きさになっていました。

🌼ニッコウキスゲ①[6:53]

Dsc04849_r

*復路の木道で、満開のニッコウキスゲとこれから開花するニッコウキスゲを写しました。

🌼ニッコウキスゲ②[6:53]

Dsc04852_r

*湿原のニッコウキスゲの花は、3割くらいの開花状況といったところです。至仏山(2,228m)の山頂部には、雲がかかっていました。

🌼ノアザミ[6:57]

Dsc04854_r

🌼カラマツソウ[6:55]

Dsc04855_r

●至仏山荘・イワツバメ(望遠)[6:58]

Dsc04857_r

*至仏山荘の屋根裏の軒先に作られた巣で、巣立つ前のイワツバメが親鳥が運ぶ朝食を待っていました。右端が餌を運んできた親鳥です。

7時ちょうどに至仏山に向けて出発しました。登山ルートは、初めは前回周った植物研究見本園の中を歩きます。

🌼キンコウカ[7:06]

Dsc04863_r

*植物研究見本園のキンコウカは、咲き始めでした。

🌼サワラン[7:08]

Dsc04867_r

*トキソウの蕾だと思ったら、トキソウと同じ時期に咲くサワランのようです。周りの草花の葉には朝露の玉ができていました。

🌼ワタスゲ[7:09]

Dsc04868_r

●至仏山・登山道入り口[7:10]

Dsc04870_r

植物研究見本園が山の端と交わる地点が、至仏山の登山口でした。

[4]花の山・至仏山①に続く

………………………………………………………………………………………………

2017年7月29日 (土)

[2]尾瀬ヶ原と龍宮現象:2017.7.9

[2]尾瀬ヶ原と龍宮現象

…さすがに、8時前の就寝だと4時前には起きてしまうことが証明された朝でした。
今日の準備をして、交代制の朝食(2回目)まで時間があったので、小屋の周りを散策することにしました。

●弥四郎小屋①[5:24]

Dsc04736_r

*今日も晴れそうな朝霧が弥四郎小屋を包んでいました。

🌼ヒオウギアヤメ[[5:27]

Dsc04737_r

*朝霧の中に咲くヒオウギアヤメです。葉先に水玉が光っていました。

🌼ワタスゲ[5:29]

Dsc04738_r

*ワタスゲも朝霧の中でした。

🌼ハクサンチドリ[5:29]

Dsc04739_r

●尾瀬ヶ原・木道から見た燧ケ岳①[5:49]

Dsc04750_r

*朝霧に霞む見晴の山小屋です。ちょうど燧ケ岳の稜線に朝日が昇ってきました。

●尾瀬ヶ原・木道から見た至仏山①[5:53]

Dsc04753_r

*六兵衛堀の方向に、朝霧が白妙のように流れていました。

●弥四郎小屋②[6:33]

Dsc04757_r

*朝食を食べ、第一陣が出発した後の弥四郎小屋を撮影しました。手前の弥四郎清水は滔々と流れています。

6時52分、弥四郎小屋を出て、尾瀬ヶ原を東から西に縦走しました。

●尾瀬ヶ原・木道から見た至仏山②[7:06]

Dsc04763_r

*竜宮十字路の樹林帯の手前の六兵衛堀で、至仏山と湿原を写しました。朝霧が消えた湿原は、朝陽に照らされて輝いています。

竜宮十字路を過ぎると、湿原の中に池塘が見えるようになりました

●池塘①[7:15]

Dsc04770_r

*水面に至仏山が映りこんだ池塘です。

●池塘②[7:15]

Dsc04771_r

*池塘の水面には、ヒツジグサの浮葉が点在していました。

数多くの池塘が点在する木道を進むと、池塘龍宮現象が見られる場所に着きました。
*龍宮は、竜宮十字路の近くにある伏流水のことです。龍宮現象は、湿原を流れる小川が、いったん地中に潜り、伏流水となって約100mほど地中を流れ、再び地上に湧き出す現象です。
湿原の下にある筒状のトンネルは人ひとりがやっと通れる広さで、竜宮城につながっているのではないかと言われていたそうです。また増水時には、入口で渦を巻きながら水を吸い込んでおり、龍の口に似ていることから龍宮になったという言い伝えもあります。

●龍宮現象①[7:19]

Dsc04772_r

*龍宮現象の湧水の出口です。池の左の底(2~3m)に直径50㎝位の穴があり、その穴から水が湧き出していました。

後からツアーの団体が歩いてきていたので、「龍宮現象の湧水の入口も見たいね」という家人の独り言(リクエスト?)をやんわりと却下し、木道を歩き始めました。

●尾瀬ヶ原・木道から見た至仏山③[7:20]

Dsc04774_r

*見晴と山の鼻のほぼ中間地点です。ここから至仏山を撮影しました。

●尾瀬ヶ原・木道から見た燧ケ岳②[7:21]

Dsc04775_r

*中間地点で振り返って、歩いてきた木道と燧ケ岳を写しました。

●池塘③[7:30]

Dsc04780_r

*木道から湿原の北側の池塘を写しました。水鏡に映る木々と山並みが美しい池塘でした。

●池塘④[7:36]

Dsc04783_r

*この池塘には至仏山の頂上部分が映っていました。

ほぼ水平の木道歩きは快適で、あっという間に牛首分岐を過ぎ、8時過ぎに山ノ鼻に着きました。

●山ノ鼻・道標[8:09]

Dsc04795_r

山ノ鼻で休憩をとりながら、「今日、至仏山に登るか否か」の最終決定をしました。
そして、「鳩待峠のバスに乗車する時間から逆算して至仏山に登るにはぎりぎりの時間だったこと、今日はツアーで5、6組(1組・20~30名)の登山者が列を成して登っていること、そして昨日からの足の疲れがあること」を考え、山ノ鼻周辺でゆっくり過ごすことにしました。

そこで、山ノ鼻ビジターセンターで情報をもらい、まず、山ノ鼻の植物研究見本園を回ってみることにしました。

🌼ヒツジグサ[9:05]

Dsc04796_r

*植物研究見本園内の池塘に浮かぶヒツジグサの葉には、ルリイトトンボが止まっていました。

🌼ミズバショウ[9:13]

Dsc04802_r

*葉が変形した純白の仏炎苞(ぶつえんほう)が残ったミズバショウです。仏炎苞の横から小さな花が多数集まった円柱状の花序(かじょ)が出ていました。

🌼ワタスゲ[9:19]

Dsc04805_r

*植物研究見本園の木道沿いの元気なワタスゲです。

🌼レンゲツツジとニッコウキスゲ[9:27]

Dsc04809_r

*植物研究見本園は、木道と鹿よけ用のネット以外は自然のままの状態ですが、尾瀬ヶ原ではあまり見かけなかったレンゲツツジとニッコウキスゲが咲いていました。

●木道[9:33]

Dsc04811_r_2

*植物研究見本園内の木道は、すべて東京電力(TEPCO)のマークが入っていました。
後で調べたところ、尾瀬ヶ原全体の木道の総延長は約60km(複線含む)で、福島県側の木道は福島県が、群馬県側は群馬県と東京電力がそれぞれ7、8年周期で設置しているとのことでした。

🌼リュウキンカ[9:37]

Dsc04813_r

1時間ほどかけて、ゆっくり植物研究見本園を回り、山ノ鼻・尾瀬ビジターセンターに10時前に戻りました。

これからどう過ごすか(鳩待峠までのコースタイムを考慮しても、山ノ鼻での時間が3時間ありました)を話していた時、朝の龍宮現象を思い出し、「往復2時間半あれば行けるから見に行ってみよう」ということになりました。
*朝、龍宮現象の入口を見ないまま出発した後、「龍宮現象の入口も見たかったね…」「龍宮現象の入口はどんな様子だったんだろう…」としばらく続いた家人の独り言が、「行ける時には行っておこうよ」というサブミナル効果となっていました。
その後、我が家で「龍宮現象」と言うときは「行きたい時には行っておこうよ現象」の意味となりました。

朝、朝日を背に受けながら歩いた木道を逆に歩てみると、景色の違いに驚きました。陽を浴びた花の開花が進み、池塘ではトンボが舞っていました。

●龍宮現象②[11:15]

Dsc04821_r

*龍宮現象の湧水の入り口です。中央の穴に水が吸い込まれていました。

●龍宮現象③[11:18]

Dsc04822_r

*②から100mほど歩いて、再び湧水の出口に着きました。①と同じ場所から写しましたが、日の高さで水面の色合いが変わっていました。

●龍宮現象④[11:24]

Dsc04824_r

*③を木道側から写しました。流れ出た湧水は、奥の水路を流れヨッピ川に向かっていました。

🌼オゼコウホネ[11:54]

Dsc04828_r

*池塘にオゼコウホネ(尾瀬河骨)の花が咲いていました。

12時10分、山ノ鼻に戻り、山小屋でお弁当を食べながら休養しました。

●山ノ鼻・尾瀬ビジターセンター[12:33]

Dsc04829_r

*尾瀬沼でもお世話になりましたが、山ノ鼻でも至仏山や植物研究見本園の情報を教えていただきました。出発時に感謝の意を込めて写真に収めました。

山ノ鼻から川上川沿いの木道を歩き、鳩待峠に向かいました。
途中、遭難者(ルート上で体調不良となり歩けなくなった人)をヘリで救出するために15分ほど待ちましたが、その後は順調な足取りで登ることができました。

●鳩待峠[13:29]

Dsc04832_r

*鳩待峠(1591m)の案内板です。山ノ鼻の標高が1,400mなので、約200mを登ったことになります。

…尾瀬ヶ原の素晴らしさを思い返しながら、そして至仏山への未練を残しながら、直通バスで新宿に帰りました。

[3]再びの尾瀬ヶ原 に続く

………………………………………………………………………………………………

●遥かな尾瀬[1] 尾瀬沼と燧ケ岳

7月、尾瀬を2回(7日~9日、20日~21日)に分けて歩きました。
歩歩歩ポ~ンでは、 ●遥かな尾瀬 のメインタイトルで、

[1] 尾瀬沼と燧ケ岳
[2] 尾瀬ヶ原と龍宮現象
[3] 再びの尾瀬ヶ原
[4] 花の山・至仏山①
[5] 花の山・至仏山②

の5回に分けて特集します。

………………………………………………………………………………………………

[1] 尾瀬沼と燧ケ岳登頂:2017.7.8

7月7日、家人と新宿駅22時10分発・尾瀬行の高速バスに乗って、尾瀬・戸倉に向かいました。
尾瀬は、遥か昔、新潟県の奥只見・銀山平から車で国道352号線を走り、沼山峠から長蔵小屋まで歩いたことがありましたが、群馬県側からの入山は初めてです。

…深夜の高速バスは、野口師匠と行った京都・芦生以来で不安でしたが、何とか眠ることができ、4時20分に戸倉のバスターミナルに到着しました。
戸倉で休憩し、4時30分に鳩待峠に向かう人たちと別れ、バスで大清水に向かいました。

大清水5時発のシャトルバスに乗り、5時20分一ノ瀬着。ここでストレッチで体をほぐし、5時25分、尾瀬沼を目指しスタートしました。

●尾瀬沼と隧ケ岳①[6:33]

Dsc04688_r

*尾瀬沼山荘前の岸辺から見た尾瀬沼と隧ケ岳です。水鏡に映った燧ケ岳のほうが色濃く、白い雪渓も鮮やかでした。

●尾瀬沼と隧ケ岳②[6:35]

Dsc04689_r

*尾瀬沼の周遊路(尾瀬沼山荘と尾瀬沼ビジターセンター間)から、燧ケ岳を写しました。

6時50分、尾瀬沼ビジターセンター着。センター横のベンチで朝食のおにぎりを食べ、センターのオープンを待ちました。
7時30分に開いた窓口で、燧岳から見晴に下るルート(見晴新道)の状況を訊き、「今週の雨で滑りやすいが下れる」と確認できました。

●長蔵小屋[7:37]

Dsc04695_r

*尾瀬沼ビジターセンターから、長蔵小屋を写しました。

尾瀬沼ビジターセンター前に設置された望遠鏡の焦点を燧ケ岳に合わせました。
燧ケ岳・俎嵓(まないたぐら)の山頂には、夜明け前から登った人たちで鈴なりでした。

●燧ケ岳(望遠)[7:37]

Dsc04697_r

*尾瀬沼ビジターセンター前で燧ケ岳を写し、さぁ、いよいよ出発です。

7時38分出発、大江湿原の木道を歩き、長英新道分岐を目指しました。

●長英新道・分岐[7:51]

Dsc04701_r

*奥の樹林帯に続く木道が長英新道で、この道が燧ケ岳に続いています。

●浅湖湿原[7:51]

Dsc04700_r

*長英新道・分岐から沼尻方面に50m程で浅湖湿原だったので、寄り道して写真を撮りました。湿原にはワタスゲが群生していました。

平坦な樹林帯の道を歩き、徐々に急坂になった4合目あたりからはひたすら登りました。

●長英新道・5合目[9:20]

Dsc04703_r

●長英新道・6合目[9:31]

Dsc04704_r

*6合目の木陰で、2回目の小休止をとりました。右の斜面に広がる雪渓から涼しい風が吹いてきました。

●ミノブチ岳頂上からの展望[10:00]

Dsc04707_r

*燧ケ岳の前衛・ミノブチ岳(2,220m)の山頂広場から尾瀬沼を写しました。眼下に尾瀬沼と湿原が広がり、今日歩いて来た道も一望できる気持ちの良い頂でした。

●ミノブチ岳から望む燧ケ岳・俎嵓[10:05]

Dsc04709_r

●燧ケ岳の大盆栽[10:12]

Dsc04710_r

*長英新道脇で見つけた燧ケ岳の大盆栽です。手前の石楠花とハイマツ(五葉松類)の間に白骨化した幹が横たわっていて、龍のようでした。
背景の左の山頂が俎嵓で、右のなだらかな頂が会津駒ケ岳です。

●長英新道・9合目からの眺望[10:30]

Dsc04711_r

*9合目から西側を写しました。右手が隧ケ岳の最高峰の柴安嵓(しばやすぐら・2,356m)です。左手に至仏山(2,228m)と尾瀬ヶ原が見えました。

10時40分、燧ケ岳・俎嵓(まないたぐら・2,346m)に到着。今日は梅雨の間の快晴で、山頂から360度の展望が楽しめました。

●俎嵓からの展望①[10:46]

Dsc04712_r

*山頂の祠と北西側の風景です。中央奥が平ヶ岳(2,133m)、その右奥が中ノ岳(2,085m)、檜廊下、越後駒ケ岳(2,003m)と上越の主峰が見えました。

●俎嵓からの展望②[10:48]

Dsc04714_r

*北東側の風景です。奥の雲が漂う山が会津駒ケ岳(2,133m)です。

●俎嵓からの展望③[10:48]

Dsc04715_r

*南側の風景です。尾瀬沼と日光の山々が見えました。10時に休憩したミノブチ岳が小さくなっていました。

俎嵓から鞍部に下った後、雪渓を直登して柴安嵓に向かいました。

●燧ケ岳・柴安嵓山頂①[11:56]

Dsc04717_r_2

*柴安嵓山頂の石碑です。重量は推定300㎏位でしょうか。おそらくヘリで山頂まで運んだと思われます。立派な御影石の石碑でした。

●燧ケ岳・柴安嵓山頂からの展望[11:58]

Dsc04722_r

*山頂から、至仏山と中央部に木道を延ばす尾瀬ヶ原を写しました。中央下部には、今日宿泊する見晴の弥四郎小屋が見えました。

12時5分、柴安嵓から見晴新道を下りました。
8合目までは順調に下れましたが、新ルートに取り付いたとたん、登山道の状態が悪くなりました。
*2013(平成25)年の台風18号で沢沿いの登山道が流失し、通行止めとなっていましたが、2018(平成28)年夏に斜面に新ルートを作り、通行可能となりました。

先日までの雨でぬかるんだ斜面の道、クマザサの切り株の上を通る道など、ほとんどの道が滑りやすいため、転倒や滑落しないように歩くのが精一杯でした。



見晴新道分岐に着いて見晴までの木道(本当に木道は素晴らしい高速道です)は快適でした。
新ルートの下りは3時間、予定より1時間以上もかかって、15時35分に弥四郎小屋着。無事に到着出来てほっとしました。

小屋で、この道を歩いた登山者が「ブラック新道」とか「薦められないルート」と話していたので、皆な苦労していたことが分かりました。

…小屋で手続きした後、部屋に荷物を置いて、夕食まで小屋の周りを散策することにしました。

●見晴地区周辺案内図[17:24]

Dsc04726_r

*弥四郎小屋横に立っていた見晴地区周辺案内図です。

●弥四郎小屋前・尾瀬ヶ原パノラママップ[17:25]

Dsc04727_r

*弥四郎小屋前の広場に、尾瀬ヶ原パノラママップが設置されていて、すぐ目の前に尾瀬ヶ原が広がっていました。

●弥四郎小屋前・尾瀬ヶ原①[17:31]

Dsc04729_r

*小屋から延びる木道を歩き、至仏山と尾瀬ヶ原を写しました。木道の脇には群生したワタスゲが見えました。

●弥四郎小屋前・尾瀬ヶ原②[17:35]

Dsc04732_r_2

*木道から振り返り、弥四郎小屋と奥の燧ケ岳を写しました。左の山頂が燧ケ岳最高峰の柴安嵓です。

●弥四郎小屋前・尾瀬ヶ原③[17:46]

Dsc04733_r

*小屋に戻り、テラスから広場と尾瀬ヶ原そして至仏山を写しました。

弥四郎小屋で17時50分から夕食をとり、そのあと風呂(シャンプー、石鹸類はありません)に入りました。風呂は、湯舟の前に尾瀬ヶ原が広がる贅沢な風呂でした。
そして、休憩室で借りた尾瀬の花の本や「ワンダーフォーゲル」を読みながら…7時30分には爆睡状態でした。

[2]尾瀬ヶ原と龍宮現象 に続く

………………………………………………………………………………………………

2017年7月23日 (日)

号外!「神宿る海の正倉院 沖ノ島」展観覧記:2017.7.23

本日(7月23日)、髙島屋・日本橋店で開催中の「神宿る海の正倉院・沖ノ島」展に行ってきました。号外で観覧記をUPします。
*歩歩歩ポ~ンでは、マンホール以外のテーマでは、訪れたところを年月日順に掲載しています。しかし、今回の「神宿る海の正倉院・沖ノ島」展の観覧記は、髙島屋での開催が8月1日までであることから、予定していた「●遥かな尾瀬」を飛び越して、先にUPすることにしました。

朝、10時30分、髙島屋の開店とともにエスカレーター(エレベーターは、先に押しかけた人で満員になると思われたので)を使い、8階に走りました。
各階毎の「いらっしゃいませ〜」の挨拶に黙礼し、7階からは階段を駆け上がり、会場前の座席整理券を待つ人たちの列に並んだときは、前から30番目くらいでした。
*『「神の島 沖ノ島」を共著した 藤原新也×安部龍太郎 スぺシャルトーク』(先着50名様)の整理券です。

●「神宿る海の正倉院 沖ノ島」ポスター

Image0

*髙島屋8階の会場入口に展示された「神宿る海の正倉院 沖ノ島」展の巨大ポスターです。ポスターの写真は、沖ノ島から出土した国宝の金銅製龍頭でした。

●沖ノ島展のチケットと座席整理券

Image1_2

*あの『印度放浪』の藤原新也氏、そして『等伯』の安部龍太郎氏、二人の対談が聴けることは、私にとってプラチナチケットとなりました。

…対談は3時から、整理券を貰った時間は10時40分でした。会場は入場する人達、当日券を購入する人達でごった返していたので、日本橋を渡って三越前まで散策することにしました。

…いつものように福徳神社を参拝し、日本橋コレドのランチと船橋屋の氷でゆっくり過ごしました。そして、再び髙島屋に戻り、1時30分から藤原新也氏撮影の沖ノ島の写真を観ました。

●沖ノ島①


Image


*藤原新也著・『 神坐す 沖ノ島 海の正倉院』に掲載された沖ノ島の写真が展示されていました。じっくり観ていると…写真横のプレートに「写真撮影可」「SNSで周りの人に紹介してください」と書かれていました。
これまで、展示会では撮影禁止だったのでカメラは持っていませんでした。手元のスマホ(iPhone6s)で、「じっくり見てパシャ×約30回」で写真を撮りました。

【今回、掲載する写真は、会場に展示された藤原新也氏撮影の写真と地図、説明プレートを写したものです。】

●沖ノ島・地図

Image3

*世界遺産となった宗像・沖ノ島と関連遺産群の位置がよくわかります。

●神の島の歴史・プレート

Image5

*沖ノ島の「汝三神(いましみはしらのかみ)**」は、720(養老4)年に完成した日本書紀に記されていて、700年代には沖ノ島が女神によって護られているという認識があったことが分かります。
**三神とは、宗像三女神【田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)】です。
田心姫神は沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は大島の中津宮(なかつぐう)、そして、市杵島姫神は宗像大社の辺津宮(へのつぐう)に祀られています。

●沖ノ島②

Image7

*島内の鳥居(三の鳥居)です。私達が今年の5月に辺津宮と中津宮を参拝した一週間後、藤原氏は再び沖ノ島に渡り、禁足の森に鎮座する巨岩や木々を撮影していたとのことでした。従って、沖ノ島①〜⑤は4年前、⑥と⑦は今年の5月10日頃の風景です。

●沖ノ島③・沖津宮

Image9

●沖ノ島④・沖津宮

Image10

●沖ノ島⑤・沖津宮

Image11

●沖ノ島⑥・禁足の森

Image23

●沖ノ島⑦・禁足の森

Image36

●トークショウ

Image51

*対談中の藤原新也氏(左)と安部龍太郎氏(右)です。沖ノ島では、「お言わず様」という島での出来事を漏らしてはいけないしきたりがありますが、素晴らしかったこの対談の内容も「お言わず様」にしたいと思います。
7月29日(土)藤原新也氏の単独トークショウが同じ会場で開催されます。是非、10時30分前から並び、できれば奥のエレベーターで8階を目指して下さい。

●田心姫神

Image52

*沖ノ島を田心姫神(たごりひめのかみ)という女神に見立てた古代の人の思いを表現した写真です。光輝く波や砂浜、風にそよぐ羽衣、全体が絵画のような神秘の写真でした。

END
         
………………………………………………………………………………………………

[10]食べ物・飲み物・菓子編

………………………………………………………………………………………………

四国周遊[10]は、今回の旅の食べ物・飲み物・菓子編です。

トップバッターは、高知市・ひろめ市場で食べたカツオのたたき定食です。

●ひろめ市場・入口

Dsc04414_r

*よさこい広場からひろめ市場を写しました。

●ひろめ市場・お城下広場

Dsc04416_r

*お城下広場の飲食コーナーで昼食をとりました。

広場では、「たっすいがは、いかん!」**のビール味が気になりましたが、レンタカーの旅なので味見は封印しました。
**天井の「たっすいがは、いかん!」は、キリンのコピーで、「たすい」は土佐弁で「弱々しい・手ごたえがない」の意味だそうです。
すると「たっすいがは、いかん!」は「手ごたえのないビールは、ダメ!」という意味でしょうか。酒豪王国である高知らしいキャッチコピーです。

●ひろめ市場・カツオ料理

Dsc04418_r

*明神丸で購入したランチメニューです。
左からメインの「カツオのたたき(タレ)」、「カツオの塩たたき」が並び、一品料理として奥の小皿の「ウツボの天ぷら」と「青さのり天ぷら」、右奥の「鯨の竜田」を食べました。やはり、地元のタタキは味
**と鮮度が違っていました。
**旅の最後に徳島でレンタカーを返した後、空港まで送ってくれたスタッフに「本場のカツオのたたきは違いますね」といったところ、「私は高知出身ですが、地元では『カツオは戻りガツオ』というくらい脂ののった秋のカツオが一番です。また、秋に食べに来てください。」とのことでした。

2番バッターは、松山市・大街道商店(アーケード)街の店頭のショーケースで見つけた飲み物です。

●ポンジュース

Dsc04507_r

*左から「ポンジュース・250円」、「ポンつぶ・250円」「えひめ・つぶみかんいよかん・580円」「えひめ・みかんいよかん・580円」でした。

3番バッターは、松山市の老舗・一六本舗(いちろくほんぽ)のかき氷です。
道後温泉本館前にある一六茶寮前で、「氷」の看板を見つけた家人が、いつものように2階に吸い込まれていきました。
…席に座ると、目の前は道後温泉本館の特等席でした。運ばれた氷を窓側のカウンターに置いて本館と一緒にカメラに収めました。

●一六茶寮・一六氷

Dsc04510_r

*「一六氷・620円」は、キメ細かい氷にかけられた柚子シロップと柚子の果皮の香りがすがすがしい氷でした。また、「一六のゆずあん」がついていて、”スプーン休め”に最適の組み合わせでした。

●一六茶寮・かき氷愛媛みかん

Dsc04512_r

*愛媛のみかんジュースで作ったシロップとミカン・サクランボがのった「かき氷愛媛みかん・520円」です。オレンジの果皮が入っていました。

帰りがけに奥の壁を見ると、伊丹十三監督が猫を抱いたモノクロ写真(A0判)が飾られていました。また、伊丹十三記念館のパンフレットが置かれていました。
*伊丹十三記念館HP:http://itami-kinenkan.jp/

伊丹十三初監督作品となった「お葬式」以降、伊丹映画の製作では一六本舗社長の支援が大きかったそうです。その縁もあって、松山に記念館が建てられたとのことでした。写真で「タンポポ」の舞台挨拶の思い出が蘇りました。
*1985(昭和60)年11月に、家人と日比谷・みゆき座で「タンポポ」を観た時のことです。
…その日は「タンポポ」上映の初日でした。普通席が売り切れていたので指定席を買って入場すると、なんと、前の席に中村吉右衛門夫妻が座っていて、周りも伊丹監督の招待客で埋まっていました。私たちが買った指定席は招待席のすぐ後ろだったのです。
中村吉右衛門夫妻の和服姿や佇まいが眩しくて、伊丹十三監督と主演の宮本信子さんの舞台挨拶も忘れてしまうくらいびっくりしました。

 

4番バッターは、和三盆の型抜き体験です。
家人のリクエストで、香川県の東かがわ市にある「讃州井筒屋敷」を訪ね、和三盆の型抜きを体験しました。

●讃州・井筒屋敷

Dsc04668_r

*讃州・井筒屋敷は、
江戸時代から醤油と酒造りを行っていた商家をリニューアルした屋敷です。建物は江戸後期から明治期のもので、屋敷内の母屋や蔵を利用した観光施設となっていました。

●和三盆型抜き①

Dsc04661_r

*和三盆は、香川県、徳島県など四国東部でのみ生産され、昔ながらの製法で作られる高級砂糖です。
和三盆はこの地域が発祥の地とのこと、スタッフの方の説明と指導を受けながら、和三盆糖粉をふるいにかけ、ボールの粉に霧吹きで水分を与えました。

●和三盆型抜き②

Dsc04662_r

*①の和三盆糖粉を両手の指でかき混ぜます。

●和三盆型抜き③

Dsc04664_r

*②の水分が均等になるように捏ねていき、菓子木型に詰めます。菓子木型は職人の手彫りの方が、機械彫りに比べて細やかで繊細な線になるとの説明でした。

●和三盆型抜き④

Dsc04665_r

*木型に詰めた和三盆糖粉をめん棒でならした後、木型を叩いて型抜きをしました。渦巻型の和三盆の出来上がりです。

●和三盆型抜き⑤

Dsc04667_r

*手彫りの木型や機械彫りの木型を使い、干菓子を作りました。作りたての半生和三盆の舌触りと味は絶品でした。

5番バッターは、母恵夢です。

●ベビー母恵夢Vsままどおる

Image1

*母恵夢(ポエム)
**は、愛媛県今治市の母恵夢本舗の焼き菓子です。
今回は、「ベビー母恵夢」と期間限定の「瀬戸内レモン・ベビー母恵夢」をお土産にしました(右側は福島の銘菓「ままどおる」
***です)。
**小さい頃、岡山のヒサナガさんから、帰省の度に貰ったお土産が母恵夢だったので、「ポエムは岡山」と信じていました。
後にポエムが四国の銘菓で、「お母さんの愛情をこめた創作菓子(母恵夢)ということが分かりましたが、私にとっては「お兄さんの愛情が詰まった思い出の菓子」です。
***「ままどおる」を最初に食べたとき、「ポエムに似てる」と思いました。どちらも白餡ですが、餡にバターや卵の味が残る「優しいミルクの味」です。
この二つの銘菓に、大分のざびえる本舗の南蛮菓子「ざびえる」を加えると、MY「優しいミルクの味御三家」となります。

END

………………………………………………………………………………………………

2017年7月17日 (月)

[9]乗物編:とさでん・いよてつ・ことでん

四国周遊[9]は、今回の旅で出会った乗物です。

………………………………………………………………………………………………

[9]乗物編:とさでん

四国周遊の初日(6月23日)、とさでん(旧土佐電気鉄道)の電停・県庁前から路面電車に乗り、はりまや橋に向かいました。
*土佐電気鉄道は、2014年10月に「とさでん交通株式会社」に事業統合されました。

●とさでん600形・622号

Dsc04405_r

*電停(路面電車の停留所)・県庁前に向かって来る路面電車600形・622号です。左は下りの車両(同じ600形・603号)で、アンパンマンミュージアムの広告車両です。

●とさでん622号車内・「私の履歴書」

Dsc04407_r

*車内に「私の履歴書」と称する622号の説明シートが貼られていました。622号は1963(昭和38)年5月製造とのこと、路線は変わっても54年間走っているんですね。

●とさでん600形・602号

Dsc04408_r

*はりまや橋・電停に到着する前、乗車している622号の最後尾の席から下りの600形・602号**を写しました。602号は、とさでん交通カラー(新塗装)に塗り替えられていました。
**602号の製造初年は1957年なので、御年60歳の還暦を迎えた路面電車です。
とさでんで走っている600形は現在31両で、全車両の半分以上を占める主力車両です。600形の車齢(製造期間:1957~1964年)は50年超、正に”高知の路面電車を引っ張る大黒柱”と言える車両ですね。

………………………………………………………………………………………………

[9]乗物編:いよてつ

四国周遊の2日目(6月24日)、「1Dayチケット」を購入し、いよてつ(伊予鉄道株式会社)の路面電車を乗り鉄しました。

●いよてつ・坊っちゃん列車①

Dsc04461_r

*伊予鉄道・道後温泉駅前の引き込み線に待機中の「坊っちゃん列車」1号機関車の復元機車両(第1編成)**を写しました。
**復元された「坊っちゃん列車」は、現在2編成です。写真の1号機関車(2001年製・第1編成)の他は、14号機関車(2002年製・第2編成)で、この2編成で松山市内を走っています。

●いよてつ・坊っちゃん列車②

Dsc04462_r

*1号機関車(ディーゼル機関車D1形D1号)を正面から写しました。

●いよてつ・坊っちゃん列車③

Dsc04463_r

*左側に寄って坊っちゃん列車を写しました。左奥には、折り返しの路面電車(モハ2000形)が見えました。

●いよてつ・坊っちゃん列車④

Dsc04464_r

*1号機関車の客車(客車ハ1形1号、2号)を写しましました。
**撮影時間は朝6時20分過ぎ、この1号機関車は道後温泉駅発8時59分なので、坊ちゃん列車はこれから2時間以上の待機となります。

●いよてつ・1Dayチケット

Dsc04509_r

*1Dayチケットは、1枚/500円、乗車年月日をコインなどで削り、降車時に運転手に見せて降ります。「1回乗車当たり160円なので、4回以上の乗車でお得です。」とのことでした。

道後温泉駅8時48分発の3号線・JR松山駅前行きの路面電車に乗り、松山城に向かいました。

●いよてつモハ2100形・2110号車両

Dsc04490_r

*モハ2100形は、単車タイプのノンステップ路線電車です。2110号は、2007年導入された新型車両(2017年9月に新型LRT車両が導入予定だそうです)で、写真のような顔立ちから、豆腐と呼ばれているそうです。外観も内部もスマートな車両でした。

●いよてつモハ2100形・2110運転席

Dsc04492_r

*2110号の運転席です。右奥の路面電車は、モハ2000形・2005号**です。
**モハ2000形は、1964(昭和39)年から製造された京都市交通局2000形を1979(昭和54)年に伊予鉄道が譲り受けて以来、50年近く走り続けている車両です。

………………………………………………………………………………………………

大街道・電停で降り、松山城ロープウェイ・リフト駅舎のある東雲口まで歩きました。

●松山城ロープウェイ・リフト

Dsc04494_r

*東雲口駅からリフトに乗り、長者ヶ平に向かいました。リフトから並行するロープウェイを写しました。

………………………………………………………………………………………………

松山城が建つ城山の頂上から古町口登城道を下り、いよてつ本町3丁目・電停に着きました。
ここから6号線で、3駅先の本町6丁目に向かいました。

●いよてつモハ2100形・2001号車両①

Dsc04501_r

*本町3丁目・電停から2001号車両を写しました。

●いよてつモハ2100形・2110号車両②

Dsc04502_r

*本町6丁目で降りた後、折り返す2110号車両を写しました。車両はスターバックスコーヒーのラッピング車両でした。ブラックに細い赤のラインが美しい車両(坊ちゃん列車のフロントの赤にも似てます)でした。

本町6丁目・電停から1号線・環状線外回りの路面電車に乗り、JR松山駅を見て、松山市駅に向かいました。

●いよてつモハ50形・73号車両

Dsc04504_r

*本町6丁目から乗車したモハ50形・73号(1964年製造)です。

松山市駅から、大きな2つのアーケード街(松山銀天街→大街道商店街)を散策して、再び大街道・電停に着きました。ここから3号線・道後温泉駅行きの70号電車に乗り、道後温泉駅に戻りました。

●いよてつモハ50形・70号車両

Dsc04508_r

*到着した道後温泉駅で写したモハ50形・70号(1964年製造)です。73号と70号は、丸みを帯びたモノコックボディーが特徴で、内部もレトロな車両でした。

………………………………………………………………………………………………

[9]乗物編:ことでん

四国周遊の旅・3日目(6月25日)は、ことでん(高松琴平電気鉄道株式会社)の電車を撮り鉄しました。

●ことでん・1100形

Dsc04560_r

*琴平のホテル屋上から琴平駅方面を望遠で写すと、琴平駅の左側のホームに、上半分がアイボリーで下半分が黄色の電車が停車していました。
車両は前面中央上のヘッドライトが2つがあることから、1997年に京王帝都電鉄5000系(京王線友の会としては懐かしい車両です。)を改造した1100形の車両と思われます。

●ことでん・長尾線1300形

Dsc04637_r

*高松城跡(玉藻公園藻公園)の登城口から写した1300形です。1300形は長尾線専用の車両で、上半分がアイボリーで下半分がエメラルドグリーンの車両です。

●ことでん・沿線MAP

Dsc04649_r

*高松城跡(玉藻公園)に隣接する高松築港駅で、高松琴平電気鉄道の沿線MAPを見つけました。

●ことでん・琴平線1200形・1212号

Dsc04651_r

*玉藻公園の駐車場に戻る道で、走ってくる電車を写しました。1200形は、京浜急行電鉄のデハ700形を改造して、2005年に琴平線に導入されました。新生「ことでん」・琴平線のイメージカラーの車両でした。

●ことでん・長尾線1200形・1255号

Dsc04652_r

*高松築港駅から電車が走ってきたので、振り返って写しました。この車両は、2005年に長尾線に登場した1200形です。全体がエメラルドグリーンの車両でした。

………………………………………………………………………………………………

【乗物編・おまけ】


●バスタ新宿・リムジンバス

Dsc04687_r

*23日朝、バスタ新宿の4階高速バス乗り場A1で6時発羽田空港行のリムジンバスに乗りました。
バスタ新宿を利用するのは初めてでしたが、JR山手線と京浜急行羽田線(or東京モノレール)利用と比べると、空港まで20分のラクラク移動でした。

●JAL491便から見た富士山

Dsc04690_r

7時51分、491便は箱根芦ノ湖上空に差し掛かりました。北に雲を棚引かせた富士山や麓の自衛隊・東富士演習場、そして眼下には箱根神社が見えました。

[10]食べ物・飲み物・菓子編に続く

………………………………………………………………………………………………

2017年7月16日 (日)

[8]名所編Ⅱ:旧金毘羅大芝居(金丸座)

四国周遊[8]は名所編Ⅱで、こんぴらさん参拝の帰りに見学した旧金毘羅大芝居(金丸座)です。
*「金丸座」の名称は、1902(明治33)年につけられました。1970(昭和45)年に国の重要文化財として指定された際、「旧金毘羅大芝居」の名称となりました。

●金丸座・外観

Dsc04606_r

*金丸座は、現存する日本最古の芝居小屋で、1835(天保6)年に建てられました。そして、1971(昭和46)年に現在の愛宕山中腹に移築・復元されました。

金丸座は、毎年4月の公演期間以外は内部を見学することが出来ます。チケットを買ってボランティアガイドの方と一緒に小屋に入り、説明を聞きながら場内を回りました。
*旧金毘羅大芝居(金丸座)で行われる歌舞伎公演です。昭和60年から開催され、2017年で33回目となりました。全国から歌舞伎ファンが訪れ、四国琴平の春の風物詩となっています。

●金丸座・鳥屋から見る場内

Dsc04607_r

*鳥屋**の揚幕が開かれた瞬間です。
**鳥屋は場内と入口の間にあり、役者が花道を通り入場する際の出番待ちの場所です。
掛けられている揚幕にのぞき穴があました。「役者がのぞき穴から入場のタイミングを見定め、入場の際には、勢いよく揚幕が開かれ、付けられている金属の輪が『チャリィン』と音を立てたタイミングで大向こうから屋号の掛け声がかかるのです。」という説明でした。

花道を通って、1階席である平場を見ながら舞台に向かいました。

●金丸座・花道から見た場内

Dsc04609_r

*平場の中央は桝席で、両端が東桟敷・西桟敷になっていました。
2階の西桟敷の中央(上部に額が飾ってある下の桟敷)は、花道での役者の見得を正面から見ることができる特等席で、皇族が観覧する際に使用されたそうです。

●金丸座・花道から見た天井

Dsc04610_r

*天井は、格子状に組まれた竹を荒縄で留めたブドウ棚になっていました。この棚から、舞台とタイミングをずらして、桜の花びらや雪に見立てた紙吹雪が観客席に舞い降り、場内全体に感動の波が広がるそうです。
舞台寄りの提灯は、今年4月の「第33回四国こんぴら歌舞伎大芝居」公演に出演した歌舞伎役者の屋号・家紋が入った顔見世提灯です。

●金丸座・舞台から見た平場

Dsc04613_r

*花道と奥の鳥屋そして桟敷席がよく見えました。

●金丸座・廻り舞台と迫り

Dsc04615_r

*廻り舞台と迫り(セリ)を写しました。
「金丸座の廻り舞台と迫りはすべて人力で行われています。廻り舞台は舞台下で4人の人間により廻されていて、迫りは6人ほどの人間により上げ下げを行っています。」という説明でした。

●金丸座・舞台中央からみた平場

Dsc04616_r

*主役になったつもりで、舞台中央から平場の観客席を見てみました。
740人の観客が、オペラグラスを使わず、自然光の中で歌舞伎役者の演技と声(マイクを通さない声)を聴きながら観劇できる江戸時代の小屋の景色でした。

●金丸座・舞台と舞台裏

Dsc04617_r

*舞台の上手から舞台と大黒幕と舞台裏を写しました。
下手に黒い板で囲まれた黒御簾(舞台効果を高める長唄や太鼓・鼓などが演奏される部屋)があります。

●金丸座・楽屋・風呂場

Dsc04618_r

*現在も使われている役者用の風呂場です。

●金丸座・奈落①

Dsc04619_r

*舞台下の奈落(廻り舞台の廻しやセリ、空井戸がある地下部分)です。

●金丸座・奈落②

Dsc04620_r

*廻り舞台を廻しやすくするために、足元に石が埋められていました。

●金丸座・奈落③

Dsc04621_r

*奈落のセリ部分です。役者を担ぐための横棒が設えられ、奈落と舞台を上下できるようになっていました。

●金丸座・奈落④

Dsc04622_r

*奈落の空井戸(舞台と花道の付け根に設置された半間・91cm四方の空枠です)部分です。ここから舞台に出入りしたり、早替わりなどに用いられています。2009(平成14)年・第25回記念公演の時は、亡くなった第18代中村勘三郎が、この空井戸に水槽を置き、枡席の観客に水を撒く演出で大喝采を浴びたそうです。

奈落を出て、2階席の観覧席に上りました。

●金丸座・2階席から見た平場と舞台

Dsc04625_r

*2階の観覧席、前舟の中央席から見た平場と舞台です。

●金丸座・皇族観覧席から見た平場と舞台

Dsc04627_r

*場内見学の最後に、2階の西桟敷の皇族席から見た平場と舞台を見ました。
特等席に座り、しばし金丸座の雰囲気を楽しみました。

場内見学を終えて、表に出た際、こんぴーくんに会いました。

●金丸座・こんぴーくん

Dsc04630_r

金丸座から坂を下りて、こんぴらさんの参道に戻ると、こんぴら歌舞伎のポスターが貼られていました。

●第33回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」ポスター

Dsc04631_r

*今年の4月公演(中村雀右衛門や片岡仁左衛門出演)のポスターでした。

[9]乗物編:とさでん・いよてつ・ことでんに続く

………………………………………………………………………………………………

«[7]名所編Ⅰ:はりまや橋・道後温泉本館