2018年4月 7日 (土)

野川の奇跡と夜桜ライトアップ:2018.3.30

3月30日、「野川の奇跡」の舞台である野川河畔の桜並木を歩きました。そして、夜、「日本一の夜桜ライトアップ」といわれる夜桜を楽しみました。
*「野川の奇跡」幅館章著、文芸社、ISBN978-4-286-18921-5、\1200
 野川の奇跡:2017.12.2
 
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2017/12/2017122-58ff.html

まず、「野川の奇跡」の始まりの虎狛橋(こはくばし)に向かいました。
野川沿いの桜並木は、満開を迎えていました。

🌸虎狛橋付近の桜並木①

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🌸虎狛橋と桜①

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*川辺の菜の花と歩道沿いのソメイヨシノの花が同時に咲いていました。

🌸虎狛橋と桜②

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*「琥珀」ではなく「虎狛」橋です。

虎狛橋から足をのばして、近くの佐須街道沿いに鎮座する虎狛神社を参拝しました。

■虎狛神社①

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■虎狛神社・社殿

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*「虎狛橋」の名は、この虎狛神社から頂いたのでしょう。

虎狛神社から、再び野川河畔に戻り、夜から開催される「野川の桜ライトアップ 2018」の準備風景を写しました。
*野川の桜ライトアップ 2018 開催に際して
 
http://www.arc-system.co.jp/topics/sakuralightup2018-jizenkokuchi/

🌸夜桜ライトアップ準備①

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*野川の河川敷に、ライトアップ用の照明器がならび始めていました。

🌸夜桜ライトアップ準備②

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🌸夜桜ライトアップ準備③

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🌸野川の桜ライトアップ準備④

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*野川の右岸と左岸の河川敷に、100台以上の照明器が設置されていました。

🌸野川の桜ライトアップ・案内板①

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*ライトアップの区域の河川敷は、今日は立ち入り禁止でした。

🌸野川の桜ライトアップ・案内板②

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*野川の両岸の遊歩道には、一方通行の案内板も設置されていました。

🌸野川の桜ライトアップ準備⑤

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*17時10分、夕焼けに染まり始めた野川河畔と桜並木です。

夜、19時過ぎ、再び野川に向かいました。

…野川の遊歩道は夜桜を観る人で溢れていました。細田橋付近では、道の川岸に立ち止まって写真を撮る人で渋滞し、10m歩くのに2、3分かかってしまいました。

🌸野川の夜桜①

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*野川の桜ライトアップは、地元の照明会社が野川に咲く1本の桜を花見用にライトアップをしたことが始まりです。
現在は、同社が調布市の関係者や地域のボランティアの協力を得て、地域住民への感謝の気持ちを込めて無料で開催していて、今年で15回目を迎えました。

🌸野川の夜桜②

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*野川の両岸に咲く桜並木「約315m×両岸=約630m」をライトアップする一年に一日だけのイベントです。
3月20日の『マツコの知らない世界・桜特集』で「
日本一の夜桜ライトアップ」と紹介されたため、例年以上の人が見物して、630mを歩くのに1時間以上かかりました。

🌸野川の夜桜③

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🌸野川の夜桜④

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*右岸には桜がないため、左岸のみのライトアップですが、右岸の漆黒も左岸の白磁のような白い花も鮮やかでした。

🌸野川の夜桜⑤

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*野川の川面に映りこんだ桜の花も奇麗でした。

🌸野川の夜桜⑥

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*東の空には、満月1日前のま~るぃ月が輝いていました。

🌸野川の夜桜⑦

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*20時35分、細田橋に戻りました。「日本一の夜桜ライトアップ」は、名実ともに日本一でした。

今日の歩歩歩数は、7,800歩でした。

END

2018年4月 1日 (日)

番外編・奈良古墳巡り:3.10 ‐茶臼山古墳・岩屋山古墳・牽牛子塚古墳・丸山古墳‐

3月10日、奈良県桜井市と明日香村、橿原市に点在する古墳を巡りました。

■茶臼山古墳・桜井市

朝、談山神社に参拝する前に、茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)に登ってみることにしました。
通常、200m級の古墳は、ほとんどが陵墓に治定されていて立ち入ることができませんが、茶臼山古墳は陵墓に指定されていないため、墳丘内に自由に出入りできます。
*現在、宮内庁が管理している陵墓は、天皇陵112基①と皇后陵76基②、皇族等の墓が555基③です。その他、分骨所・火葬塚・灰塚など陵に準ずるもの42④、髪歯爪塔など68⑤、陵墓参考地46⑥、があり①から⑥の合計は899に及んでいます。
これら陵墓は、皇室や宮内庁による祭祀が行われており、研究者などが自由に立ち入ることはできません。
しかし、「宮内庁が天皇陵として治定している①の中には、葬られている天皇とは限らない・分かっていない陵が多数ある。」というのが考古学・歴史学の現状です。
実際に、天皇陵として比定されていない古墳において、天皇=大王(おおきみ)の墓であるといわれる古墳が数多くあります。

桜井駅から東に向かい、近鉄電車の線路沿いに1kmほど歩くと、粟原川に架かる小さな橋がありました。
そこから小高い丘が見えたので、丘の方に向かうと、麓に案内板がありました。

●茶臼山古墳・円墳

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*茶臼山古墳の北側に位置する円墳の麓です。右手に案内板が立っていました。

●茶臼山古墳・案内板

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*「前方後円墳の全長が207m、後円部径約110m・後円部高さ19m、前方部幅約61m」と書かれていました。

案内板から東に30mほど歩くと、そこから円墳の上に続く踏み跡があり、登ってみることにしました。
円墳の頂上部に続く斜面は急で、周りの木々の枝を交互に掴んで登り、ようやく頂上に着くことができました。

●茶臼山古墳・後円墳の頂上

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*後円墳の頂上は、低木や竹の雑林となっていました。この下が、石室が発見された場所です。

茶臼山古墳は、鳥見山の北尾根の先端を切断して造られた全長200mの前方後円墳で、築造時期は4世紀初め頃と考えられています。
茶臼山古墳の発掘調査は1949年に行われましたが、2009年に埋葬施設の詳細解明と木棺の保存処理を行うため、再調査が行われました。
この調査の結果、墳丘の規模や副葬品などから大王級(おおきみ)の人物が葬られたと推測されています。

*桜井茶臼山古墳 国史跡
http://74589594.at.webry.info/201409/article_1.html

●茶臼山古墳から望む三輪山

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*墳丘から降りるとき、北の三輪山を写しました。三輪山の西側(左側)には卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳もあり、古墳時代の風景が重なって見えました。

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音羽山・観音寺の参拝を終えて、桜井駅前で昼食(三輪そうめんの温かいにゅう麺)をとり、近鉄飛鳥駅に向かいました。

■岩屋山古墳・明日香村


近鉄飛鳥駅からは、明日香村の西側に位置する岩屋山古墳 (いわややまこふん)と牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)を巡る計画でした。

●明日香村・西部MAP

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*飛鳥駅前で見つけたMAPです。村の西部地域に位置する古墳がマッピングされていました。

飛鳥駅東口から北に50m進み、線路を渡って越集落の小路を西に進むと、2~3分で岩屋山古墳に着きました。

●岩屋山古墳・墳丘

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*岩屋山古墳の墳丘と羨道の開口部が見えました。

●岩屋山古墳・説明プレート

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*岩屋山古墳は、古墳時代終末期(7世紀前半頃)築造の古墳といわれています。
プレートには、横穴式石室や羨道の構造や規模(全長16.7m、玄室長4.72m、幅約1.9m、高さ約3mで、羨道長約13m、幅約2m、高さ約2m)が記されていました。

南に面した開口部から石室の内部に入りました。

●岩屋山古墳・石室と羨道

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*羨道の奥に広がる石室に入り、一番奥から羨道と開口部を写しました。この石室の被葬者については、吉備姫王(きびひめのみこ)や斉明天皇等があげられていますが、詳細は不明です。

石室と羨道は、石の表面を磨いた切石造の巨石でした。このような切石造の横穴式石室は、飛鳥地方から桜井地方にかけて多く分布し、「岩屋山式」とも呼ばれています。

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岩屋山古墳から越集落の小路を抜けて、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)に向かいました。

■牽牛子塚古墳・ 明日香村


「あすかの里特別養護老人ホーム」の西側は、段々畑が広がる丘陵地帯でした。
“ どこが牽牛子塚古墳だろう?"と探していると丘陵の先端部にシートが見え、そこが発掘中の牽牛子塚古墳でした。

●牽牛子塚古墳・発掘説明版

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*牽牛子塚古墳の発掘の様子を写した写真と解説が、べニア板に貼られていました。
牽牛子塚古墳は、2009(平成21)年から翌年にかけての発掘調査によって、八角形墳である
**ことが判明し、飛鳥時代の女帝で天智天皇・天武天皇の母とされる第37代 ・斉明天皇(第35代・皇極天皇)の陵である可能性が高まっています。
**八角墳(はっかくふん)は古墳時代の終末期(7世紀中葉から8世紀初頭までの間)に造られた正八角形の古墳で、天皇(大王)の陵墓に採用されています。八角墳は、天智天皇陵や明日香村の天武・持統合葬陵などが有名です。

小道から牽牛子塚古墳に上がり、北側から墳丘を写しました。

●牽牛子塚古墳・墳丘

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*墳丘には、防水シートが掛けられていて、まだ、発掘の途中の状態でした。

墳丘の北側から写真の左側の桜の方を南側に歩きました。
南側に着くと解説用のプレートがありました。

●牽牛子塚古墳・解説プレート

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解説プレートの後ろを確認すると、墳丘に掛かっていたシートが無くなり、石室を塞ぐ巨大な石が外向きに倒れていました。そして、石室の入口と内部が見えたのです。
どきどきしながら、石室に降りてみると…、入口には金網がありましたが、内部を観る事ができました。

●牽牛子塚古墳・石室

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*石室は、南にむけて横穴が開口する横口式石椰(よこぐちしきせっかく)**でした。
**横口式石椰は、重量約80tの巨大な凝灰角礫岩をくりぬいて、約70tの埋葬施設をつくったもので、巨石は約15km離れた二上山西麓より運ばれたものと考えられています。 

*明日香村観光ポータルサイト・牽牛子塚古墳
https://asukamura.com/?page_id=2418

牽牛子塚古墳で墳丘や八角形墳の形状が確認でき、”この古墳は、斉明天皇(皇極天皇)の陵なのでは…”と思いました。

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牽牛子塚古墳を後にして、丘陵の段々畑に沿った小路を下り、高取川に出ました。
そこから、高取川沿いの道を歩いて、丸山古墳(まるやまこふん)に向かいました。

■丸山古墳・橿原市

丸山古墳は、近づくにつれ古墳の全体像が見えなくなり、その巨大さに驚きました。
*丸山古墳はあまりにも大きいため全体像が分からず、古くから円墳と思われていて、丸山と名づけられていましたが、50年程前に前方後円墳であると判明しました。

●丸山古墳・説明板①

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*麓に建てられた説明板です。右端が後円部で左側の丘陵が方形の突出部の稜線です。

●丸山古墳・説明板②

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●丸山古墳・前方部から望む後円部

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*丸山古墳は、6世紀後半に築かれたと考えられていて、その規模は全国6番目・奈良県で最大(全長約310m、後円部径約150m、前方部幅約210m、周濠を含めると全長約420m)の超大型の前方後円墳です。
古墳の築造時期や石棺の様子などから、被葬者は欽明天皇(きんめいてんのう)や蘇我稲目説があります。

丸山古墳の前方部を歩いて、改めて古墳の巨大さに驚き、陵墓や古墳の築造にかけた古代人のエネルギーに感動しました。

END

2018年3月30日 (金)

[4]當麻寺・日本一のよもぎ餅とハルカス300:3.11

3月11日、奈良の旅の最終日は、懐かしい中将堂本舗と當麻寺(たいまでら)を訪ねることにしました。
*奈良・當麻寺:2014.5.3②   
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2014/05/201454-6913.html 

近鉄奈良駅から10日と同じルート(大和西大寺駅→橿原神宮前駅経由)を利用して、当麻寺駅に向かいました。
9時15分に当麻寺駅着、まず当麻寺駅前の中将堂本舗に立ち寄り、名物のよもぎ餅を食べました。

●中将堂本舗・入口

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*暖簾が新しくなっていました。暖簾の「よもぎもち」の字色は、蓬色だったんですね。

●中将餅と煎茶

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*店に入ると、割烹着を着た店の人達(8名)が、出来立てのよもぎ餅を交代しながらテキパキと箱に詰め、包装してカウンターに並べていました。その流れるような一連の動きと立ち居振る舞いが素敵で、見惚れてしまいました。
**開店直後で店内の席も空いていたので、出来立ての中将餅と煎茶を注文して食べることにしました。
中将餅は、よもぎ餅を一口の大きさにして、牡丹の花びらを型どったものです。
店の口上通り、「よもぎの香りと甘味を押さえた独特のあんとの調和」を堪能しました。やはり、日本一のよもぎ餅です。

●二上山・河内飛鳥周辺MAP

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*MAPの位置関係が南北逆ですが、左側の当麻寺駅から西にまっすく延びる参道を歩いて、二上山の麓に広がる當麻寺に向かいました。

よもぎ餅の余韻を楽しみながら、當麻寺への参道を歩きました。
参道をのんびり歩くこと約1㎞、當麻寺の仁王門が見えてきました。

■當麻寺・仁王門(東大門)

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*當麻寺は7世紀の創建の寺院で、山号は二上山、法号は禅林寺です。

■當麻寺・東搭

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*當麻寺には、全国で唯一、天平時代の三重塔が東西に二基建っています。
東塔の前には、中之坊書院のこけら葺きの屋根(銅瓦葺き替え中)が黄金色に輝いていました。

■當麻寺・西搭①

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*護念院の奥に建つ西塔は、現在改修工事中でした。

■當麻寺・西搭②

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*西搭の5年に及ぶ大修理の様子が、ボードに貼られていました。

■當麻寺・本堂(曼荼羅堂)

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■當麻寺・講堂と二上山

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*手前の千仏院・長屋門の後ろが講堂、その奥が二上山(にじょうざん)・北(右)側の雄岳(517m)と南(左)側の雌岳(474m)です。
春や秋の彼岸の頃、山の辺の道沿いの小高い所から西を望むと、二上山の雄岳と雌岳の間に日が沈む
**のを見ることができます。
**室生寺・長谷寺・大神神社:2014.2.22 の「二上山に沈む夕日①②」参照

http://momo2011.way-nifty.com/blog/2014/02/2014222-5309.html

當麻寺を参拝した後、当麻寺駅に戻り、中将堂本舗でお土産用の中将餅(よもぎ餅)を買いました。

●中将堂本舗

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…当麻寺駅で阿部野橋駅行きの電車を待つ間、長椅子の上に今回の旅で利用した「フリーきっぷ」を広げました。
*「奈良世界遺産フリーきっぷ」シリーズの一つです。
奈良に宿泊・利用区間内で近鉄線と奈良バスが3日間何度でも乗降でき、特定の寺社の割引もある切符です。

●「奈良世界遺産フリーきっぷ:奈良・斑鳩・吉野コース」

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*写真の上①、中央②、下③で利用する切符です。
①大阪難波~鶴橋・大阪阿部野橋・京都の近鉄電車発駅からフリー区間までの往復乗車券とフリー区間の乗車券
②奈良・斑鳩・吉野エリアの施設で利用できる割引特典
③奈良交通バス奈良・斑鳩・吉野エリア内フリー区間3日間乗り放題

●利用区間

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*今回利用した「奈良世界遺産フリーきっぷ:奈良・斑鳩・吉野コース」のフリー区間(赤色)です。
他に吉野地域を除いた「奈良世界遺産フリーきっぷ(1日・2日)」もあり、まさに奈良旅のウルトラ切符と言えます。

…近鉄南大阪線に乗り、阿部野橋(あべのばし)駅 に到着しました。ここでフリーきっぷが終わります。
*大阪市・阿部野橋駅から奈良県橿原市の橿原神宮前駅までを結ぶ近畿日本鉄道の鉄道路線です。


阿部野橋では、伊丹空港行きのリムジンバスの発車時間まで展望台・「ハルカス300」に昇ることにしました。

●SKY GARDEN 300①

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*SKY GARDEN 300は、58階にある天空庭園です。右上が60階の「天上回廊」、58~60階が「ハルカス300」展望台となっています。

●SKY GARDEN 300からの眺望①・望遠

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*中央左に通天閣(つうてんかく・塔高:地上108m)、高速道路の下が天王寺動物園が見えました。

●SKY GARDEN 300からの眺望②

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*北に広がる大阪市内を写しました。左下が天王寺動物園、左上には林立する梅田の高層ビルが見えました。また、中央の谷町筋を挟んで右手に四天王寺の伽藍**が確認できました。
**四天王寺式と言われる伽藍配置は、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。

●SKY GARDEN 300からの眺望③・望遠

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*②の右側のエリアを望遠で撮りました。写真の下が、建設中のあべのハルカスを見上げた四天王寺**
です。
一直線に並ぶ
四天王寺の伽藍がはっきり見え、中央の高層ビルの上には大阪城公園も確認できました。

**四天王寺:2013.8.3

http://momo2011.way-nifty.com/blog/2013/08/201383-313c.html

●SKY GARDEN 300②

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*58階の天空庭園からハルカスの東側を写しました。地上300mの屋上に、災害時・非常時用のヘリポートが設置されています。

●EDGE THE HARUKAS

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*60階の「天上回廊」の屋上で、断崖絶壁アトラクション「EDGE THE HARUKAS」**が実施されていました。
**2018年3月開始のアトラクションで、地上300mの最頂端部に長さ20m・幅約60cmのデッキの上を命綱を装着した人たちが歩いていました。
「専用のユニフォームとハーネス、安全ベルトを装着して約7分間、地上300mの断崖絶壁から真下を見下ろす」とのことですが、昔、十津川の吊り橋で高所恐怖症になった私には、歩いている人を見ただけで足が震えました。

●SKY GARDEN 300からの眺望④

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*SKY GARDEN 300内の男性トイレです。
ガラスの外は、あべのハルカスの南東側の風景ですが、窓側に近づかないように歩きました。

今日の歩歩歩数は17,025歩で、「早春の奈良・寺社巡り」3日間合の歩歩歩数は、69,085歩でした。

番外編・奈良古墳巡り:3.10
‐茶臼山古墳・岩屋山古墳・牽牛子塚古墳・丸山古墳‐ に続く

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2018年3月24日 (土)

[3]ほっこり音羽山・観音寺:3.10

談山神社発桜井駅行きのバスに乗り、下居(おりい)バス停で降りました。


●観音寺入口

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*寺川に架かる橋に、「眼病霊験 音羽山観音寺」の看板と矢印がありました。

これから訪ねる音羽山観音寺は、毎月NHKのEテレで放映されている「やまと尼寺 精進日記」のお寺です。
11時31分に出発。麗らかな参拝日和の中、まずは南音羽の集落を目指しました。

●観音寺・案内地図[標高240m]

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*橋を渡ってすぐ分岐があり、土手に観音寺までの案内地図がありました。

●ほっこり看板①[標高290m]

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*①の看板は、南音羽集落手前の第一駐車場の横に立っていました。
看板の左右に、佐々木慈瞳副住職とまっちゃんのイラストが描かれていました。

●ほっこり看板②[標高295m]

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*①からすぐの曲道の端に、参道で最大の看板が立っていました。
「うきうき わくわく ウォーキング」の右側の狸が、釣り竿で鐘を釣り上げてビックリしています。釣り糸も張られた力作の看板でした。

●ほっこり看板③[標高380m]

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*南音羽の集落から2~3分歩いて、音羽山観音寺と百市の分岐点に着きました。
音羽山観音寺に向かう道の勾配が急になった所に、③の看板が立っていました。

●ほっこり看板④[標高385m]

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*③に近づいて撮影しました。Welcome」の看板の下に、おさむ、後藤密栄住職、トラが描かれていました。

●ほっこり看板⑤[標高390m]

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*⑤の看板には、「いっしょに登ろうね」の横に、まっちゃん、後藤密栄住職、佐々木慈瞳副住職、お手伝いの女性が描かれていました。

⑤の看板は、2月の放映で、まっちゃん達が立てていた新しい看板だったので、参道脇で出会うすべての看板を写しながら登ることにしました。

●ほっこり看板⑥[標高400m]

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*蜜蜂、ユリ、モンキチョウの絵看板が立っていました。

●ほっこり看板⑦[標高440m]

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*⑦の看板には、左からまっちゃん、後藤密栄住職、佐々木慈瞳副住職と動物たちの食事風景が描かれていました。

●ほっこり看板⑧[標高445m]

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*「ちょっといっぷく」の下に、狸とリスとウサギの休憩姿が描かれていました。

●ほっこり看板⑨[標高470m]

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*⑧から⑨への参道は、九十九折の急登でした。そのためなのか、⑨の看板には、「ちょっといっぷく」と一休みしているウサギの休憩姿が描かれていました。

●丁石とモノラックのレール[標高520m]

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*十六丁目の丁石**の横に、モノラック(ラック式モノレール)のレールが取り付けられていました。ここから間伐材や重い荷物を観音寺に運ぶためのモノラックです。
**音羽山観音寺の参道に一丁ごとに建っていた笠塔婆型の道標です。南音羽の「十七丁の一」から「十七丁の十七」まで17基が全て残っていました。

●ほっこり看板⑩[標高520m]

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*⑩の看板には「もうすぐお寺だよ」の横に、まっちゃん、後藤密栄住職と佐々木慈瞳副住職が、野菜をおさむとトラの乗ったモノラックの荷台に載せている図が描かれていました。

●ほっこり看板⑪[標高540m]

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*⑩の看板には「なみあむだ~ お寺でみんなが待ってるよ」の下に、佐々木慈瞳副住職と後藤密栄住職が読経し、トラがお供え物を放り投げ、おさむが数珠を持つ姿が描かれていました。

●ほっこり看板⑫[標高550m]

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*タヌキとウサギの「ガンバレ‼ もうひといき Fight 」の看板に背中を押されて、急坂を登りました。

…⑫からの坂は、参道の中で最大の勾配(後ほど本堂で、道端に置かれていたキャタピラ車や特殊な車でないと上り下りができないほどの急坂と聞きました)でした。

●丁石・十七丁[標高560m]

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*「十七丁の十七」と刻まれた17基目の石丁となりました。この上は、もう観音寺です。

●ほっこり看板⑬[標高570m]

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*「ようこそ おまいり」の下に後藤密栄住職を挟んでトラとオサムが出迎えてくれる姿が描かれていました。
右側の石段は上に延びていますが…、これが上りの最後の看板でした。

■観音寺・参道石段[標高580m]

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*石段を登った奥に、本堂と鐘楼の屋根が見えました。

12時20分に観音寺に到着。舗装された車道の急坂を登るのは、登山道と違ってアキレス腱が伸びたままの歩きとなったので大変でした。
しかし、看板の前で立ち止まって写真に収めながらの50分間は、ほっこりするひと時でした。

■観音寺・本堂①[標高590m]

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*本堂の入り口に、「やまと尼寺 精進日記」で見慣れた人形が…。

■観音寺・本堂前②

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*階段で日向ぼっこしている人形は、後藤密栄住職、佐々木慈瞳副住職とまっちゃんでした。

■観音寺・本堂前③

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*②をポートレート風に写してみました。

本堂に入り、外陣からお参りしました。

■観音寺・本堂内部①

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*観音寺の本尊は、796(延歴15)年頃に造られた木造千手千眼十一面観世音菩薩立像です。平成の大修理で、往時の姿に再現された美しい観音様でした。

■観音寺・本堂内部②

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*長机に、観音寺のリーフレット(右)、お守り、手作りのお土産類が並んでいました。

家人と「眼病御守」と「なで守」を選びましたが、本堂と母屋のほうに人の気配がなく、いったん本堂を出て、母屋の方に行ってみることにしました。

●番犬・オサム

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*母屋に向かうと、うたたねしていた番犬・おさむ君がビックリして吠え出しました。

…すると女性の方が縁側に出てきたので、お守り代のことを伝えると、「どうぞ本堂へ」と再び本堂に招いていただきました。
お茶を運んでいただき、「今日は、お三方が不在で、留守番をしています。」とのこと、お茶をいただきながら話を伺うことができました。

1)「『やまと尼寺 精進日記』を観て、電話で精進料理、宿坊宿泊をの予約をしましたが、7月まで一杯とのことだってので、今日、談山神社の帰りに参拝に伺いました。」と話すと、
・「Eテレの放映後、予約や問い合わせ多くなりましたが、精進料理も宿泊も限られた日で1組の受け入れであること、また昨年からの予約待ちの方を優先しているため、7月まで一杯になっています。」との話でした。

2)その他・伺った話
・現在の観音寺の前(善法寺)までは、尼寺ではなかったこと
・現在の住職が来られて、麓の集落の方たちと一緒に参道を整備し、本尊を修理するなど、少しづつ手をいれながら、精進料理を造り参拝者に紹介してきたこと
・「やまと尼寺 精進日記」は、NHK大阪の人が覆面で精進料理を食べに来た後、改めて番組制作の話があったこと
・現在も毎月の放映のために、NHKのスタッフが歩いて登り撮影に来ること(しかし、撮影用の機材は重いので、急坂を運転できる専門の運転手が車で運んでいること)
・副住職は、モノラックのレールの近くまでK自動車を運転されていますが、私たちは参道の急斜面は怖くて運転できません。等々…
の話を伺うことができました。

最後に、「参拝に来られる方も多くなりましたが、毎月17日の「観音縁日」に来られると良いですよ。皆さんお揃いで、行事の最後にちょっとした精進料理がいただけます。」とのお勧めがありました。

●『やまと尼寺 精進日記』紹介ボード

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*本堂入口に、『やまと尼寺 精進日記』を紹介するボードが掛けられていました。
次回は、3月25日「弥生 春待ちわびてふきのとう」と書いてありました。

…境内を一回りして、観音寺境内に鎮座する神社を参拝しました。

■観音寺・九十余社神社

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*九十余社神社には、天手力雄尊(あめのたじからおのみこと)が祀られています。境内には、神仏習合時代の遺構もたくさん残っていました。

■観音寺・鐘楼と本堂

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*最後に境内【本堂と社務所と母屋、そして鐘楼(左)】をカメラに収めました。

観音寺を12時50分に出発。
帰りは「足を出せば前に進む」状態で、あっという間に下っていました。

●ほっこり看板⑭[標高560m]

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*急坂になるこの場所で、「ゆっくりと 足元に気をつけてね」の看板は、タイムリーな注意喚起でした。

●ほっこり看板⑮[標高385m]

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*音羽山観音寺と百市の分岐点に帰ってきました。
④の裏側の⑮の看板には、「See you again」と後藤密栄住職とトラ、そして「またきてね」の手が描かれていました。

●観音寺・MAP

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*観音寺入口から観音寺までの地図(25000分の1)です。上りの①~⑬、下りの⑭、⑮の「ほっこり看板」のナンバーをマッピングしてみました。
等高線の間隔が狭いところが急坂ですが、間隔が広いところも結構な斜度の坂でした。

13時10分、下居バス停に到着。13時17分のバスに乗って桜井駅に向かいました。

【おまけ】

●観音寺のリーフレット

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*手書きのタイトルや水彩画で、音羽観音縁起や行事、行き方などが書かれています。また訪れたくなる優しい案内でした。

●観音寺のお守り

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*頂いた「眼病御守」と「なで守」です。「なで守」のお守りは初めてでしたが、「患っている箇所を撫でて治癒を祈願するお守り」とのことでした。

今日の歩歩歩数は、久々の3万歩超えの31,730歩でした。

[4]當麻寺・日本一のよもぎ餅とハルカス300:3.11に続く
………………………………………………………………………………………………

2018年3月21日 (水)

[2]談山神社と談い山:3.10

晴天となった3月10日、奈良から近鉄電車に乗って、大和八木経由で桜井駅に到着しました。

今日は、多武峰(とうのみね)の談山神社(たんざんじんじゃ)と談い山(かたらいやま)を歩き、帰りに音羽山・観音寺に登る計画を立てました。
まず、桜井駅9時45分発のバス(桜井市コミュニティバス多武峯線)に乗って談山神社に向かいました。

■談山神社・鳥居(10:15)

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*談山神社の拝殿や本殿に向かう石段と鳥居です。
石段を掃いていたおじさんに挨拶して石段を上ると、周りの木々の枝に小さな芽が付いていました。

●談山神社・境内図

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*西入山受付横の境内図です。2013年12月14日に参拝**したときの案内図と同じでした。
**★奈良・多武峰と崇峻・舒明天皇陵:2013.12.14  
 
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2013/12/20131214-e8de.html

■談山神社・神廟拝所(10:19)

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*右側の神廟拝所の奥に木造十三重塔が見えました。現存の十三重塔は1532年の再建で、木造十三重塔としては世界唯一の建造物です。

■談山神社・木造十三重塔①(10:20)

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*2013年12月14日(1回目)と同じ西南側の場所から撮影しました。
1回目の時は、鈍色の空から雪が降っていましたが、今回は晴天です。春めいた空気を感じながらシャッターを切りました。

■談山神社・木造十三重塔②

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*②も前回の東側の同じ場所からの撮影です。憧れの木造十三重塔は、今日も凛々しく建っていました。

■談山神社・本殿①(10:24)

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*拝殿から拝した本殿です。本殿は、701年の創建(現存の社殿は1850年に再建)です。

■談山神社・本殿②

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*本殿を含む社殿全体は、極彩色模様や花鳥の彫刻で装飾されていて、日光東照宮の造営の際の手本となったことで有名です。

■談山神社・拝殿からの眺め(10:28)

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*拝殿から南面を境内を写しました。周りの木々は、陽射しを浴びてこれから迎える芽吹きの季節の準備をしていました。

談山神社は、木造十三重塔に憧れて、2013年12月に続き2014年1月にも参拝しましたが、中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我氏を倒す計画(大化改新)を相談した談い山(かたらいやま)に登れなかったことが心残りでした。
そこで、今回、談山神社の参拝後に談い山に登ることにしたのです。
★吉野:後醍醐天皇陵・宣化天皇陵:2014.1.11
 
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2014/01/2014111-b4eb.html

■談山神社・談い山登山口(10:33)

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*神社の奥に、談い山に続く登山道が延びていました。

談山神社に流れ込む龍ヶ谷に沿って、山道をゆっくり登りました。

●談い山分岐(10:41)

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*藤原鎌足公の墓所と伝わる古墳のある御破烈山(618m)と談い山(566m)の分岐です。
大化の改新の舞台となった道を歩いて、”談合(密談)するためにずいぶん山奥まで来たんだなぁ…
”と思いました。

●談い山(10:42)

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*645年5月、藤原鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が、この山で「大化改新」の談合を行ったことから、古くから「談所の森(たんじょのもり)」や「談い山」と言われるようになったのです。

11時に談山神社に戻り、東参道を下って屋形橋からバスに乗ることにしました。

■談山神社・摩尼輪塔(11:05)

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*談山神社の参道の脇に、笠塔婆の摩尼輪塔(まにりんとう)が立っていました。
笠下の大円盤には、密教の胎蔵界大日如来の種子・アークが彫られていました。

■談山神社・東大門(11:10)

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*談山神社から東に向かう参道を下って東大門に着きました。
談山神社の入口にあたる東大門は、城郭風の門で、屋根は本瓦葺き、門の中央は板扉、左右には木柵が設けられています。

…東大門から屋形橋バス停までは3分で着きました。
屋形橋11時19分発・桜井駅行のバスに乗り、観音寺入口の下居に向かいました。

[3]ほっこり音羽山・観音寺:3.10に続く
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早春の奈良・寺社巡り : 2018.3.9-11[1]元興寺と東大寺二月堂・お松明

3月9日から11日にかけて、早春の奈良の寺社を巡りました。今回の歩歩歩ポ~ンは、

[1]元興寺と東大寺二月堂・お松明:3.9
[2]談山神社と談い山:3.10
[3]ほっこり音羽山・観音寺:3.10
[4]當麻寺・日本一のよもぎ餅とハルカス300:3.11

の4回シリーズで特集します。

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[1]元興寺と東大寺二月堂・お松明:3.9

伊丹空港から難波を経由して近鉄奈良駅に着いたのは3時過ぎでした。
ホテルでチェックイン後、夜の東大寺二月堂のお松明まで、元興寺(がんごうじ)→寺町・春鹿→奈良公園→東大寺のコースで歩くことにしました。

…奈良町を歩いて、平城京に創建されてから今年で1300年となる元興寺を拝観しました。
*元興寺の前身は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の仏教寺院である法興寺です。法興寺は、平城京遷都に伴い718(養老2)年に飛鳥から平城京へ移り元興寺となりました。
奈良時代の元興寺は、今日歩いた奈良町地区の大部分を占める伽藍を持つ大寺院でした。しかし、平安時代(10~11世紀)以降は衰退して一部の僧房のみとなり、現在の本堂・禅室になっています。

■元興寺・本堂 (16:00)

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*東門から元興寺の本堂(極楽堂)を写しました。
本堂は、寄棟造で阿弥陀堂建築の特色である東を正面にして建っています。そして禅室とともに部材や屋根瓦の一部に奈良時代のものが残っています。

■元興寺・禅室と本堂①

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*境内の北西側の石舞台から禅室を写しました。本堂と禅室の屋根を観ると、屋根瓦が緩やかに反って並ぶ美しい屋根でした。

■元興寺・禅室と本堂②

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*紅梅が咲く南西側から禅室と本堂を写しました。手前には、石仏や石塔が並ぶ「浮図田」**が広がっていました。
**「浮図」とは仏陀のことであり、文字通り「仏像、仏塔が稲田のごとく並ぶ場所」という意味です。

■元興寺・屋根瓦

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*「屋根瓦のビューポイント」呼ばれる場所から、禅室と本堂の屋根瓦**を写しました。
**禅室と本堂の屋根の一部(瓦の色が不揃いの部分)に、日本最古と言われる飛鳥時代の瓦と奈良時代の瓦が葺かれていました。

境内の法輪館で、五重小塔や木造彫眼・阿弥陀如来像を拝観しました。

*元興寺HP:
https://gangoji-tera.or.jp/about/

…元興寺を出て、寺町の春鹿に向かいました。

●春鹿酒造元 (16:29)

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*「きき酒」受付終了時間丁度に受付到着。ぎりぎりで間に合い、5種類の清酒を楽しみました。

**奈良町の「きき酒」:20111204
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2011/12/20111204-c916.html

●円窓亭(17:05)

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*奈良公園の浅茅ヶ原園地に建つ高床式・宝形造・茅葺屋根の円窓亭(丸窓亭)です。

●丸窓梅林の鹿 (17:10)

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*丸窓梅林で鹿と出会いました。
梅林の説明板には、「もと春日大社経庫を改造した丸窓亭(鎌倉時代)をめぐって付近一帯に梅樹多く、俗に丸窓梅林、あるいは地名に因んで片岡の梅林という。奈良公園の早春の装いは、まずこのあたりの清楚な梅が香よりはじまる」と書かれていました。

円窓亭と梅林と鹿で春の奈良を楽しみ、東大寺に向かいました。

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■東大寺・南大門①(17:18)

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*南大門の前にも鹿が歩いていました。

●東大寺・境内案内図 (17:18)

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■東大寺・南大門② (17:19)

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*南大門では、ライトアップされた仁王像(阿形像・吽形像)が向かい合っていました。

■南大門・阿形像

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*ライトアップ効果で、筋骨隆々とした上半身や腕、指先までの緊張感が伝わってきました。

■南大門・吽形像

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*阿形像の怒りの表情や吽形像の怒りを内に秘めた表情も観ることができました。
この様な仁王像の造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しているそうです。

■東大寺・大仏殿 (17:27)

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*鏡池超しに、中門と大仏殿が見えました。

■東大寺・二月堂① (17:36)

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*お松明(おたいまつ)が始まるのは19時からですが、17時半過ぎに二月堂の舞台前の広場に着きました。

東大寺・二月堂② (17:42)

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*お松明を観るための場所を探し、二月堂の南西の角・石段下の門下で観覧することにしました。

●二月堂・お松明準備 (17:46)

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*二月堂の舞台で、消防士が欄干を中心に水を吹きかけていました。

 

■東大寺・二月堂③ (18:23)

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*東大寺・二月堂②と同じ場所からライトアップされた二月堂を写しました。

観覧場所で立ちながら待っていると、周りに人影が増え、会場が満員となりました。会場内では、日本語、英語、中国語で修二会の説明がアナウンスされていました。

…19時過ぎ、二月堂を照らすライトが一斉に消え、いよいよ「お松明」の始まりです。

*修二会(しゅにえ)は、東大寺二月堂で毎年行われる法会で「お水取り」と言われています。このお水取りの前に、練行衆が夜の行を始めるとき、暗い階段や廊下を照らすための灯がお松明です。二月堂の舞台に上がり、火の着いた松明を振り回すことを「お松明」といい、今年は3月1日から14日の日程で行われました。

●二月堂・お松明① (19:06)

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*お松明には、通常の松明と籠松明(かごたいまつ)があります。3月1日~11日と13日は、通常の松明【長さ6m、重さ40㎏】が間隔をあけて10本振られ、12日のみ籠松明【長さ8m、重さ70㎏】が間隔をあけて11本振られます。
**左が次のお松明で、欄干の外に出された松明が振り回され炎が大きくなっています。右が先行のお松明で、欄干の外で回されています。

●二月堂・お松明② (19:10)

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*松明が舞台の左から右に走る動き、左、右の欄干から松明を出し大きく振り回す動き、それらの動きは、歌舞伎役者が花道を走り、立ち止まって見得を切る姿の様で、松明の動きに合わせて観衆の”ウァー・オォー”という歓声があがっていました。

●二月堂・お松明③ (19:11)

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*私たちの観覧場所の真上で振り回されている松明です。松明の火も飛び散る火の粉も一番大きくなっていました。

●二月堂・お松明④ (19:14)

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*次の松明も③と同じくらい大きな火炎と火花を散らしていました。
**振り回された松明から火の粉が飛び散っていました。その後、松明の煙がたなびき、杉の葉の燃える匂いが漂いました。

●二月堂・お松明⑤ (19:19)

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*舞台の上で、3本の松明がそろいました。一番右側の松明の火が弱く、右上に飛び出した松明から火を分けてもらい燃え尽きようとしています。

●二月堂・お松明⑥ (19:20)

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*⑥の松明の火勢が強まり、火の粉が飛び散っています。このように前後の松明が火を分け合い、火の粉を出し尽くして回廊を出ていきます。

●二月堂・お松明⑦ (19:23)

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*今日は、長さ6m、重さ40kgのお松明が10本、二月堂の舞台・回廊を走りました。⑦は今日の最後の松明です。舞台下(舞台裏)では、消防関係の人たちが箒で火の粉を掃き出していました。

【おまけ】
●お水取り・紙灯篭 (3/10・17:51)

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*お松明を観た翌日、奈良の桜通りに吊るされたお水取りの紙灯篭を発見しました。

今日の歩歩歩数は、20,330歩でした。

 

[2]談山神社と談い山:3.10に続く
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2018年3月18日 (日)

浅草下町・寺社巡り:2018.3.4

3月4日、浅草橋や浅草に点在する寺社を結んで、「浅草下町・寺社巡り」を実施しました。
スタートは、浅草橋駅の北に鎮座する銀杏岡八幡神社です。

■銀杏岡八幡神社・拝殿(13:48)

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*銀杏岡八幡神社は、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、1062(康平5)年に神社を創建したと伝えられています。
拝殿の前には、銀杏の木が植えられていました。

●浅草橋地区MAP(13:49)

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…銀杏岡八幡神社の参拝後、「人形の久月」前のカフェで休憩。
15時に浅草橋をスタートし、国道6号線沿いに蔵前、駒形を歩き浅草を目指しました。

●バンダイ本社・キャラクターストリート(15:16)

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*駒形を歩いていると…、バンダイ本社ビルの前にアンパンマンやドラえもん、ウルトラマンが並んでいました。
この通りは「キャラクターストリート」と呼ばれているそうです。

今日の歩歩歩ポ~ンは雷門をゴールとしたので、浅草寺ではなく隅田川河畔に向かいました。そして、スカイツリーを眺めながら今戸神社まで歩くことにしました。

●隅田川・河畔MAP(15:24)

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*吾妻橋・浅草水上バス乗場前で、これから歩く隅田川右岸と今戸神社までのルート地図を見つけました。

●スカイツリーとアサヒビール本社ビル①(15:25)

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*左側のスカイツリーと墨田区役所ビルは「シルバー」、中央のアサヒビール本社ビルとスーパードライホールのオブジェは「ゴールド」に輝いていました。

●スカイツリーとアサヒビール本社ビル②(15:30)

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*ビルの窓全体が鏡面となっていて…、「ゴールド」のスカイツリーが映っていました。

●言問橋(15:36)

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*言問橋【橋長:238.7m、幅員:22.0m、1928(昭和3)年竣工】の橋下から見上げた橋梁と橋脚です。鉄骨やボルトが、シンメトリーになっていました。

●言問橋とスカイツリー(15:36)

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*言問橋の橋下から見上げた橋梁とスカイツリーです。

●桜橋(15:44)

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*桜橋【橋長:169.45m、幅員:中央部/20m、側径間/6m、1985(昭和60)年竣工】は、X字の形をした曲線を持つ歩行者専用橋です。

桜橋から隅田公園のグラウンドを抜けて、縁結びのと招き猫の神社として有名な今戸神社に向かいました。

■今戸神社・鳥居(15:51)

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■今戸神社・拝殿

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*今戸神社の祭神は、應神天皇(おうじんてんのう)と福禄寿(ふくろくじゅ)、そして伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の夫婦神を祀っています。
境内には、縁結びを祈念する大量の絵馬が、ホタテガイの養殖ように吊るされていました。

■今戸神社・絵馬

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*絵馬には招き猫が描かれていて、丸い形**をしていました。
**絵馬は、”角が立たない””円満に収まる”の意で、角のない円形になっているそうです。

■今戸神社・拝殿

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*拝殿内に招き猫と福禄寿が祀られていました。

■今戸神社・招き猫石像

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*今戸神社の招き猫は、2015年8月に訪ねた豪徳寺の「招福招き猫」**と同じ右手を上げた招き猫でした。
**
①「九品仏と豪徳寺‐鷺草・招き猫を訪ねて-:2015.8.5」
  
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2015/08/201585-a39b.html
②「豪徳寺・九品仏再訪:2015.9.21」
  
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2015/10/2015921-f98a.html

今戸神社から山谷堀公園に沿って歩き、吉原大門からは昔の遊郭の跡を通って、吉原神社に向かいました。
*山谷堀公園は、江戸時代、隅田川から新吉原遊郭まで遊客を乗せた水上路(山谷堀)を埋め立てた跡です。

■吉原神社・鳥居(16:34)

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■吉原神社・拝殿

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*吉原神社は、元々遊郭にあった五つの稲荷神社と隣接する吉原弁財天を合祀した神社で、吉原遊郭の鎮守の神として古くから遊女達の信仰を集めていたそうです。

●吉原神社・吉原今昔図

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*境内の掲示板に、吉原の変遷をまとめた『吉原現勢譜今昔図』**がありました。
**明治27年代の吉原、大正12年・関東大震災時の吉原、昭和20年・東京大空襲時の吉原、昭和33年・公娼廃止時の吉原、そして平成5年の地図が横一列に並んでいました。

吉原神社からほど近い吉原神社奥宮の吉原弁財天を参拝後、国際通りに出て浅草・浅草寺に向かいました。

■浅草寺・淡島堂(16:34)

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*淡島堂と白梅と天水桶です。

●天水桶・説明版

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■浅草寺・五重塔(17:00)

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*旧五重塔は、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で炎上しました。現在の五重塔は、境内の西側に1973(昭和48)年に建立されたものです。

■浅草寺・本堂(17:03)

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*観音堂とも言われる本堂の創建は、隅田川で発見された観世音菩薩像を本尊として拝した628(推古天皇36)年に遡ります。
現在の本堂は、旧五重塔と同じ日の東京大空襲で焼失し、1958(昭和33)年に旧本堂と同じ形態で再建されました。

浅草寺の境内や仲見世通りは、世界中から訪れた観光客(参拝客の7、8割位)でいっぱいででした。

■浅草寺・雷門(17:12)

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今日の歩歩歩数は、20,650歩でした。

END

2018年3月12日 (月)

みうらじゅんフェス・観覧記:2018.3.2

歩歩歩ポ~ン・文化編は、みうらじゅん氏の還暦を祝う展覧会の観覧記です。
川崎市市民ミュージアムで開催中の『MJ's FES! #みうらじゅんフェス マイブームの全貌展 SINCE 1958』に行ってきました。
*「マイブーム」「ゆるキャラ」などの命名者であり、現在の「仏像ブーム」を牽引してきたMJ(みうらじゅん)氏。MJ氏の還暦を祝して開かれた展覧会は、小学1年生以降の54年間・1000点を超える制作物、収集物を展示する大規模展覧会です。

武蔵中原駅から富士通研究所前の道路を歩き、川崎市市民ミュージアムに向かいました。

●川崎市市民ミュージアム

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*ミュージアムの入り口に『MJ's FES! #みうらじゅんフェス マイブームの全貌展 SINCE 1958』の大ポスターが掛けられていました。

●『MJ's FES! #みうらじゅんフェス マイブームの全貌展 SINCE 1958』ポスター

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●ツッコミ如来立像①

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*川崎市市民ミュージアムのアトリウムで出迎えていただいたツッコミ如来立像【1994(平成6)年】です。
神々しい中にもゆる~ぃポーズの親しみやすい如来様です。

●ツッコミ如来立像・解説板

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●ツッコミ如来立像②

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*心に生まれた煩悩に、囚われ悩む時、「もう、えーかげんにしなさい!」と突っ込んでもらえる如来様は救いの仏様ですね。

アトリウムに佇む如来に感動し、ワクワクしながら受付に向かいました。
*展覧会の受付で確認すると、一部のコーナーを除き写真撮影OKでした。

●天才のスケッチブック8・9・10

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*天才のスケッチブックは1から8までが1978(昭和53)年に描かれ、天才のスケッチブック58【1983(昭和58)年】まで展示されていました。
写真は、
天才のスケッチブック8、9【1979(昭和54)年】、10【1980(昭和55)年】です。

●ウシ・コレクション一式

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●アウトドア般若心経

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●仏教曼荼羅

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●仏像ブームの頃のアルバム

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*ガラスケースの中には、「仏像ブームの頃のアルバム」の他、「当時使っていたカメラ」、「クリスマスの日に父親に買ってもらった密教法具【1968(昭和43)年】」、「初めて買ってもらった仏教土産【1968(昭和43)年】」、そして仏像写真が展示されていました。

●仏像たちの神秘(4)寺院随筆展編

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*寺院随筆展編【1969-70(昭和44-45)年】の法隆寺の写真と直筆の随筆です。
「仏像ブーム」を創ったMJ氏の原点を感じました。

●甘えた坊主・コレクション一式

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●飛び出し坊や・コレクション一式①

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●飛び出し坊や・コレクション一式②

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●グラビヤ・ガエル【2002(平成14)年】

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●にょいりんかんのん【2002(平成14)年】

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●冷マ【2018(平成30)年】

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MJ氏の作品や展示物のすごさに圧倒されましたが、それと同じくらいMJ氏の作品に対する学芸員の方々の熱い情熱が伝わる展示会でした。
*会場に展示された10m近い「みうらじゅん年表」をはじめ、膨大な作品や収集品を楽しんで並べている様子が伝わってきました。

【おまけ】
●お土産・ツッコミ如来①

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*お土産に購入した「ツッコミ如来立像のマイクロファイバークロス(液晶クリーナー布)」です。 

 

●お土産・ツッコミ如来②

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*①の裏面です。左「もう」、中央「えーかげんに」、右「しなさい!」の3ポーズと解釈しました。

●アルミ缶・自転車おじさん

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*川崎市市民ミュージアムに向かう時、とどろきアリーナ前の舗道を走る「アルミ缶・自転車おじさん」です。
ミュージアムに向かう路上で、収集したアルミ缶を5つの巨大なビニール袋に詰めて運ぶおじさんを見かけて感動しました。
その後、
とどろきアリーナまでの間に
抜きつ抜かれつしながら3回も遭遇したので、御縁を感じて、最後に後ろ姿を写させていただきました。
**中央奥の子供達のシルエットが、ユージン・スミスの「楽園へのあゆみ」のようでした(本当は、ビックリしていたのかもしれませんが…)。

展覧会を堪能した後、多摩川沿いを歩き二子玉川に出ました。
そこから岡本を北西に向かい、砧公園と祖師谷大蔵のウルトラマンを商店街を経て千歳烏山駅まで歩きました。

今日の歩歩歩数は、27,118歩でした。

END

2018年3月 4日 (日)

東伏見稲荷神社:2018.2.4

2月4日、JR三鷹駅から走って、西東京市東伏見に鎮座する東伏見稲荷神社に参拝しました。

JR三鷹駅からゆっくり境浄水場まで走り、そこから武蔵境通りを北に向かいました。
…武蔵境通り沿いの公園や武蔵野中央公園をジョギングしながら青梅街道の交差点に着くと、東伏見稲荷神社の朱色の鳥居が見えてきました。

■東伏見稲荷神社・鳥居

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■東伏見稲荷神社・神門

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*神門の前に、赤い前掛けをしたお稲荷様が立っていました。

■東伏見稲荷神社・拝殿①

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*東伏見稲荷神社は、関東地方の稲荷信仰者たちが、1929(昭和4)年に京都の伏見稲荷大社(「お稲荷さん」の総本宮)の分霊を奉迎して創建されました。

■東伏見稲荷神社・拝殿②

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*東伏見稲荷神社の御神体は三座で、東伏見稲荷大神と総称されています。
御三座は、
稲の神様であり商売繁盛の神・宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、
道案内、道開きの神・佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、
歌舞音曲上達、成就の神・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
です。

■東伏見稲荷神社・お塚入口

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*東伏見稲荷神社のお塚は、伏見稲荷大社の稲荷山に当たる神域です。

●お塚案内図

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お塚に入ると、鳥居や御塚が並び、お稲荷さまが祀られています。境内社を巡拝しながら一回りしました。

■東伏見稲荷神社・鳥居

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*伏見稲荷大社の千本鳥居とまではいきませんが、小さいながらもパワー溢れる朱の鳥居が並んでいました。

■東伏見稲荷神社・八幡大伸

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*八幡大伸には狛犬が立っていました。

■東伏見稲荷神社・本殿

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*お塚の境内から見た本殿です。

東伏見稲荷神社でいただいたパワーで武蔵境通りを深大寺まで走り、帰路に着きました。

今日の歩歩歩数は、ジョギングとウォーキングを合わせて19,400歩でした。

END

2018年2月11日 (日)

みちのく白石城・鹽竈神社・瑞巌寺:2018.1.27-28

今回の歩歩歩ポ~ンは、1月27日から28日に訪ねた宮城県の白石城、鹽竈神社、瑞巌寺です。

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[1]白石城:1月27日

みちのく旅の始まりは、宮城県白石市に築かれた白石城(しろいしじょう)への登城です。
*白石城は、蒲生氏郷が会津若松城の支城として築きましたが、1602(慶長7)年に伊達政宗公の家臣・片倉小十郎景綱が入城し、仙台藩(伊達家)の南部を守る支城としました。そして明治維新まで、十代にわたり片倉氏が居城する城下町として栄えたのです。

…市役所前の駐車場から雪が残る登城路を登り、白石城の三重櫓が見える大手一ノ御門に着きました。

■白石城・三重櫓

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*白石城は、明治時代の廃城令によって解体され、公園となっていました。
現在の白石城
**は、1995(平成7)年に1823(文政6)年再建の旧白石城と同じ規模、建築方法によって三重櫓と本丸の一部が復元されました。
**白石城・歴史探訪ミュージアム・武家屋敷HP:

http://www.shiro-f.jp/shiroishijo/shiroishijo/restoration/index.html

■本丸御殿跡・本丸復元図

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*城内の本丸御殿跡に、白石城本丸の復元図がありました。

■白石城・三重櫓

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*復元された三重櫓(やぐら)は、木造の複合式層塔型三重三階建て(高さ:16.7m)です。

■三階櫓から望む本丸御殿跡

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*三階櫓から見た大手二ノ御門(中央左)と本丸御殿跡です。城郭の背後には、雪に覆われた白石市街が広がっていました。

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[2]鹽竈神社:1月28日

みちのく旅・2番目は、宮城県塩竈市に鎮座する鹽竈神社(しおがまじんじゃ)です。

鹽竈神社に向かう参道は、表参道と七曲り坂、そして東参道の3つあります。
初めは、駐車場から女坂と呼ばれる東参道を歩きました。緩やかな石畳を上って随神門に着くと、南側に男坂と呼ばれる表参道が見えました。
そこで、男坂の石段を下り、麓から表参道を登り返して鹽竈神社を参拝することにしました。

■鹽竈神社・石鳥居と表参道

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*麓に建つ石鳥居から見上げた男坂・表参道の石段です。石鳥居の鳥居額に「奥州国一宮」が刻まれていました。

急斜面の石段の奥には、随神門の屋根しか見えませんでした。
石段を一段ずつ数えながら登り、随神門下の路に着きました。

■鹽竈神社・表参道

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*随神門下から見た表参道の石段です。坂の斜度は、スキージャンプ台のアプローチのようで、
鳥居の所が踏切り台のようでした。

■鹽竈神社・随神門

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*随神門に続く石段を登りきると、202段の石段を登ったことになります。男坂を歩いたことで、心身共々鹽竈神社のパワーをいただきました。

鹽竈神社は、1200年以上の歴史をもつといわれる神社です。製塩法を海の民に教えた塩の神様・塩土老翁神(しおつちのおじ)が主祭神です。
鹽竈神社は、伊達政宗公をはじめ伊達家の藩主に支持され、古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として庶民の崇敬を集めてきました。

まず、別宮本殿を参拝しました。

■鹽竈神社・別宮本殿

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*鹽竈神社の主祭神・塩土老翁神は、別宮本殿に祀られています。この「別宮」は「特別」という意味だそうです。

■鹽竈神社・左右宮拝殿①

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*鹽竈神社の拝殿の奥には、東西に左宮本殿・右宮本殿が並列ていて、左宮は武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮は経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。
拝殿には、左右2か所に拝所がありました。

■鹽竈神社・左右宮拝殿②

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*入母屋造の拝殿は、1663(寛文3)年の造営の拝殿を再用しています。

鹽竈神社の参拝を終えて、松島に向かいました。

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[3]瑞巌寺:1月28日

みちのく旅・3番目は、日本三景・松島にある瑞巌寺(ずいがんじ)です。
瑞巌寺は、正式名称を松島青龍山瑞巖円福禅寺(しょうとうせいりゅうざんずいがんえんぷくぜんじ)といい、臨済宗妙心寺派の寺院です。

■瑞巌寺・総門

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*総門は、1609(慶長14)年に伊達政宗公により建立されたものです。

総門から続く参道では、左右の杉並木が伐採されていました。
瑞巌寺の受付の方に訊ねると、3.11の津波が参道まできて塩害で枯れたため、現在植え替え中とのことでした。

■瑞巌寺・参道

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*受付から本堂に向かう参道の杉は無事でした。

■瑞巌寺・庫裡

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*庫裡は庫裏とも書かれる禅宗寺院の台所です。単層切妻造本瓦葺の大屋根の上に入母屋造の煙出をのせています。

2008(平成20)年から2018(平成30)年に行われている「平成の大修理」も終わりに近づき、庫裡や本堂内を拝観することができました。
本堂は3.11の時、屋根瓦を全ておろしていたため被害が少なくてすんだそうです。

■瑞巌寺・本堂

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*桃山様式(入母屋造・平屋・本瓦葺)の本堂は、伊達政宗が5年の歳月をかけ1604(慶長9)年に完成しました。
中門の下から、南東に面した本堂(正面39.0m・奥行き25.2m)を写しました。

■瑞巌寺・参道

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*瑞巌寺の参拝を終えて、総門に戻る途中の参道脇(右側)に立札を見つけました。

■参道脇の立札

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*立札には、「3.11津波到達地点」と書かれていました。この地点まで海水や泥が押し寄せ、塩害で参道沿いの杉が枯れてしまったのです。

松島の海岸沿いを歩き、五大堂が建つ毘沙門島に向かいました。

●毘沙門島から望む松島湾

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*五大堂の前から松島湾と遊覧船を写しました。
3.11の際、松島湾は湾口の島々が津波を弱めてくれ、他の海岸に比べると津波被害が少なかったそうですが、それでも津波の爪痕が残る海岸でした。

■瑞巌寺・五大堂

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*五大堂は、江戸時代に瑞巌寺の奥ノ院となりました。現在の建物は、1604(慶長9)年伊達政宗公が造営した東北地方最古の桃山建築です。
一回りすると、軒まわりの蟇股に、方位に従って十二支の彫刻がありました。

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みちのく旅(27日と28日)の歩歩歩数は、合わせて27,130歩でした。

END

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