2016年8月27日 (土)

夕涼み・屋形船:2016.8.11

山の日の8月11日、レインボーズのメンバー14人とともに東京湾・墨田川を巡る屋形船に乗りました。
*レインボーズは、子供会のソフトボールチームの父母会から続くOJISAN・OBASAN(OJYOSAN)の交流会メンバーです。

…15時過ぎ、先発隊の10人は六本木サントリー美術館の「エミール・ガレ展鑑賞チーム」と六本木「ビヤバー探訪・チーム」に分かれて英気を養い、17時過ぎに北品川の船清に着きました。

●船清【17:10】

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*船清は、北品川にある屋形船・クルーザー観光の会社です。船着場には、10艘以上の屋形船とクルーザーが繋がれていました。

船清で後発隊の4人と合流し、メンバー全員で17時30分発の屋形船「かぐや姫」号に乗り込みました。

●屋形船・かぐや姫【17:15】

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*かぐや姫は、船清の中で最大の船**で、掘ごたつ式座席・デッキ付きの屋形船でした。
**総トン数:49t、全長:30m、幅:5m、客室:約81㎡、天井高:1.88m、日本最大の屋形船だそうです。今日は乗合屋形船で運行し、乗客も満員(120名)でした。

乗船後、船頭チームの挨拶の後、すぐに飲み物と料理が運ばれてきました。

●屋形船・料理【17:40】

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*江戸前の揚げたての天ぷらと刺身がメインのコースでした。

かぐや姫は、品川の運河を通って東京湾に出て、お台場に向かいました。

●お台場【18:09】

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*お台場で日の入りを待ちました。デッキの上に出て、一緒に日の入りを待つ屋形船とレインボーブリッジ(右端)を写しました。

かぐや姫は、日の入り後の夕闇の隅田川を通って15の橋を潜り抜け、桜橋に着きました。

●桜橋とスカイツリー【19:10】

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*屋形船は、桜橋の上流で旋回し、隅田川の中央部で20分程停泊しました。デッキからライトアップされたスカイツリーと桜橋を写しました。
**今日のスカイツリーは、リオ・オリンピック男子柔道90kg級でベイカー茉秋選手が金メダルを獲得したため、金メダルをイメージしたライティングでした。

●吾妻橋とスカイツリー【19:35】

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*橋脚がピンク色にライトアップされた吾妻橋、高速道路の橋脚を挟んでスーパードライホール屋上の黄金色の○○○オブジェ、その上にスカイツリーが見えました。

デッキから船内に戻り、レインボーズの納涼宴会を楽しみました。船内では、誕生日記念で乗船した人や定年退職記念で宮崎から来た人などが紹介され、拍手とプレゼントをもらっていました。

…かぐや姫は隅田川をゆっくり下り、汐留沖に着きました。

●東京タワー【20:10】

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*東京タワーも「リオデジャネイロオリンピック金メダルおめでとう!スペシャルダイヤモンドヴェール」のライティングでした。

●レインボー・ブリッジ【20:20】

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●船清・船着場①【20:36】

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*提灯ライトが海面に揺れていて、「THE YAKATABUNE」の趣でした。

●船清・船着場②【20:38】

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…レインボーズメンバーは、夕涼みを兼ねて船清から品川インターシティビル群を通って品川駅に向かいました。

■船清HP
http://www.funasei.com/

今日の歩歩歩数は、11,700歩でした。

END

2016年8月13日 (土)

●修験道の聖地・出羽三山を訪ねて③:2016.7.30-31

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[3]湯殿山・湯殿山神社本宮

…出羽三山の最後は湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)です。修験道では、山伏が羽黒山から月山に登り、西の尾根を下って湯殿山神社まで歩く修行を「三関三渡」と言うそうです。
今回はバスで大きく回り込んでの「三関三渡」でした。

■湯殿山神社・扁額

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*出羽神社(三神合祭殿)の左側の扁額が湯殿神社でした。

●湯殿山神社・大鳥居①

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*平成5年建立の大鳥居です。この下のロータリーから参拝用シャトルバスに乗り換え、湯殿山神社本宮を目指しました。

●湯殿山案内図

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●参拝用シャトルバス

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*参拝用シャトルバスの終点でバスを写しました。バスの左奥の参道入口から湯殿山神社本宮へ降りていきます。

●湯殿山・由来説明板

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●湯殿山神社本宮・参道入口

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*出羽三山の奥宮とされる湯殿山神社本宮は、写真撮影禁止、参拝は土足厳禁という厳しい戒めで知られる神社です。この参道入口からは写真撮影禁止でした。

湯殿山神社本宮では、参拝に際して履き物を脱いで裸足になり、御祓いを受けて、温泉の湧き出る巨岩の御神体を拝しました。素足に温泉を感じながら、全身全霊をかけての参拝でした。

■湯殿山神社・大鳥居②

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*大鳥居を東側から写しました。手前には行人塚と即身仏の社がありました。

「三関三渡」の修行では、現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)と一体になって妙果を感得することを目指したそうです。
今回の出羽三山巡りでは、「三関」と「三渡」の意味を少しだけ体験できた旅でした。

2日間の歩歩歩数は、20,200歩でした。

END

●修験道の聖地・出羽三山を訪ねて②:2016.7.30-31


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[2]月山・月山中之宮

羽黒山から狭い月山高原ラインを走って、月山に向かいました。
大型バスは、月山から下ってきた乗用車やバスと出会うと(拡幅された道までバックすることも数度)スレスレで交差しながら進み、16時30分に月山八合目に着きました。

 
■月山神社・扁額

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*出羽神社(三神合祭殿)の中央の扁額が月山神社でした。

…夏山特有の午後の雨雲が通り過ぎ、雨上がりの弥陀ヶ原湿原を散策しました。

●月山・弥陀ヶ原MAP

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*弥陀ヶ原湿原の入り口に立てられていました。

●キンコウカ・イワショウブ

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*月山・弥陀ヶ原に咲くキンコウカの群生とイワショウブ(白)です。

●弥陀ヶ原・池塘①

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*弥陀ヶ原湿原には大小の池塘が点在していました。池塘の手前の黄色い花がキンコウカです。

●タチギボウシ

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…弥陀ヶ原湿原の木道を歩いて15分、月山中之宮・御田原神社(がっさんなかのみや・みだはらじんじゃ)が見えてきました。

■月を眺めるうさぎ

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*月山中之宮・御田原神社前にある石造りの大きなうさぎです。月山神社は御祭神が月讀命で月との関わりから「月を眺めるうさぎ」が奉納されているのでしょう。右手の鳥居は月山本宮の鳥居です。

●ニッコウキスゲ

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*弥陀ヶ原湿原の木道横に咲くニッコウキスゲを写しました。

●弥陀ヶ原・池塘②

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*池塘は、弥陀ヶ原などでは餓鬼が飢えをしのぐために作られた田に見立てて「餓鬼田」と呼ばれています。池塘の中に生えているイグサの様な細い草はミヤマホタルイです。

●弥陀ヶ原・池塘③

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*弥陀ヶ原・池塘②の右側に回り込んで池塘に映るニッコウキスゲを写しました。

●弥陀ヶ原と月山山頂

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*タチギボウシ(右)・イワショウブ(左の白い花)の間に、雲が晴れた月山(1984m)が見えてきました。

●弥陀ヶ原・木道

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*月山八合目に戻る途中の木道です。

●弥陀ヶ原から見た南西側の風景

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*17時20分に木道から南西側の風景を写しました。庄内の山々には雲が谷間にたなびいていました。

[3]湯殿山・湯殿山神社本宮に続く

●修験道の聖地・出羽三山を訪ねて①:2016.7.30-31

夏山シーズン真っ只中、高山植物も開花中の出羽三山を巡りました。
*山形県庄内地方にひろがる羽黒山・月山・湯殿山を出羽三山と称し、それぞれに出羽神社・月山神社・湯殿山神社が鎮座しています。

今回の旅は、30日が羽黒山(五重塔)→月山(弥陀ヶ原)→鶴岡泊、31日が羽黒山(出羽三山神社)→湯殿山のコースでしたが、歩歩歩ポ~ンでは

[1]羽黒山・出羽三山神社
[2]月山・月山中之宮
[3]湯殿山・湯殿山神社本宮

の三山に分けて特集します。
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[1]羽黒山・出羽三山神社

古来から修験の山として信仰されている羽黒山、その頂に鎮座しているのが出羽神社です。
三神合祭殿(さんじんごうさいでん)は、羽黒山の頂に鎮座する社殿です。社殿には出羽神社・月山神社・湯殿山神社の三神が祀られていています。

■出羽神社・扁額(出羽三山神社・三神合祭殿)

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*三神合祭殿正面には三山の扁額が架かっていました(右側の扁額が羽黒神社でした)。

羽黒山の麓・羽黒山参詣道を歩きました。

■参道鳥居

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*鳥居の先に随神門(ずいしんもん)が見えています。

●出羽三山案内図

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■随神門

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*随神門より内側は出羽三山神社の神域となります。

随神門から秡川に続く継子坂の石段を下り、神橋に出ました。

■神橋から見た秡川と須賀の滝

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*秡川は三途の川で、参詣者はこの川で禊をして山頂を目指します。須賀滝の下には祓川神社と岩戸分神社が祀られていました。

神橋から参道を歩き、爺杉(じじすぎ)と五重塔に向かいました。

●爺杉

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*爺杉は、羽黒山で最大・最高齢(1000年以上)の大杉です。周りの樹齢300年以上の杉を圧倒する大木でした。

■五重塔①

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*平安時代中期(931年‐938年)に平将門の創建で、現存の五重塔は1372(応安5)年に再建したと伝えられています。
塔の高さは約29.2m(相輪を除く高さ22.2m)で、屋根は杮葺き、塔身は彩色等を施さない素木の塔です。

■五重塔②

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*五重塔を囲む樹齢300年以上の杉の間から塔を写しました。

●表参道・一の坂

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*五重塔あたりから一の坂、二の坂、三の坂と続く表参道(2446段の石段)が始まります。五重塔の横から山頂に至る表参道(一の坂)を写しました。

…一の坂を歩いた翌日、羽黒山山頂から石段を三の坂まで下りました。

■表参道・三の坂

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*埴山姫神社から三の坂の上部石段を写しました。奥が二の坂、一の坂方面です。

■羽黒山参籠所

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*三の坂を登りきり山頂大鳥居に向かう左手に羽黒山参籠所がありました。

■山頂・大鳥居

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*表参道(一の坂、二の坂、三の坂を登った)の終点が山頂・大鳥居です。

■厳島神社(左)と蜂子神社(右)

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*大鳥居の先に、厳島神社と出羽三山神社の開祖・蜂子皇子を祀った蜂子神社が鎮座しています。社の前で山伏案内(左端)が行われていました。

鏡池の手前から出羽神社三神・合祭殿(いではじんじゃ・さんじんごうさいでん)を写しました。

■出羽神社・三神合祭殿①

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*羽黒山は、かっては出羽神社のみが鎮座していました。
しかし、月山や湯殿山が山頂や渓谷にあり、冬季の参拝や祭典の執行が出来ないので、月山鎮座の月山神社と湯殿山鎮座の湯殿山神社を合祭し、三山の年中恒例や臨時の祭典は全て三神合祭殿で行われています。

■出羽神社・三神合祭殿②

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*現在の合祭殿は、1818(文政元年)年に完成しました。主に杉材を使用した朱塗りの建物で、高さ28m、桁行24.2mで杉材を使用し、茅葺屋根の厚さ2.1mは日本最大と言われています。
正面に、今回の扉写真となった三山の扁額がかかっていました。

■出羽神社・三神合祭殿③

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*三神合祭殿は、茅葺替えの工事中でした。

■出羽神社・神興社

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■崇峻天皇皇子・蜂子皇子墓・案内板

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■崇峻天皇皇子・蜂子皇子墓

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*羽黒山に羽黒神を祀り、修験道場を開いた第32代・崇峻天皇の第三皇子・蜂子皇子の墓です。宮内庁管理なので天皇陵の造形に似ていました。

[2]月山・月山中之宮に続く

2016年8月 7日 (日)

がんばるけん! くもとけん! 益城町・阿蘇神社・熊本城:2016.7.22-24

会社のボランティア団体が企画した「2016熊本復興支援活動」に応募し、熊本を訪ねました。

今回の歩歩歩ポ~ンは、「がんばるけん! くもとけん! 益城町・阿蘇神社・熊本城」のタイトルで、[1]益城町のボランティア活動、[2]阿蘇神社の被害状況、[3]熊本城の被害状況を報告します。

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[1]益城町ボランティア活動

7月23、24日の二日間、熊本地震で最も被害が大きかった益城町で、会社のボランティアメンバー32名と益城町ボランティアセンター(VC)を中心に瓦礫の運搬と集積場での分別作業を行いました。

●益城町VC①

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*テントには、ボランティアの人たちが使用するスコップなどの道具が集められていました。

●益城町VC②

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*瓦礫や家財道具を運ぶための一輪車です。奥のテントでは、ヘルメット・軍手・防塵マスクなどが配られていました。

●益城町VC③

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*毎日、このテントで地元の人達が、無料のペットボトルや冷たいおしぼり、飴、スイカなどを配っています。

●益城町VC・駐車場①

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*VCの駐車場には、軽トラックや2tトラックが並んでいました。

●益城町VC・駐車場②

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*午前中、運転した軽トラです。昨日積まれた瓦礫を集積場とクリーンセンターに運びました。

…益城町VCから軽トラを運転し、町の中心を通って、総合運動公園グラウンド横の集積場まで運びました。メインストリートの両側は全壊・半壊の家屋が続いていて、鳥肌がたった状態での運搬でした。

●益城町集積場①

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*集積場で、軽トラからプラステック類を下ろしている様子です。

●益城町集積場②

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*集積場で下ろされた家の柱です。この柱を大型の油圧ショベルで1、2mほどの長さに潰していました。

●益城町集積場③

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*金属類を分別しています。傘はビニールや布を外して骨の状態にして積んでいました。

…午後からは、集積場での荷下しと分別作業に参加しました。夕方、一日の作業を終えて益城町VCに戻り、テント内の様子を写真に収めました。

●益城町VC・テント内ボード①

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*このボードは、ボランティアに参加した人達が数名ずつチームを組み(マッチング)、今日の作業現場に向かうための地図です。

●益城町VC・テント内ボード②

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*もう一つのボードには、今日の「活動依頼終了」の張り紙がありました。

二日目(7月24日)は、熊本地震の発生(23日前震、25日本震)から100日目、町では地震で亡くなられた20余名の方々慰霊祭が行われる日です。
今日は、軽トラでの運搬作業はなく、ボランティアメンバー全員で集積場の荷下し・分別作業に携わりました。

●益城町集積場④

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*昨日の午後と同じ「家電エリア」の作業に手をあげ、①エアコン、冷蔵庫、→②液晶TV、PC、その他家電を回りながら車からの荷下し・分別作業を手伝いました。
今日も35度近い気温となり、ヘルメットと防塵マスク着用の作業だったので、エリアでは3グループを作り、30分作業(①15分→②15分)・15分休憩のシフトを組んで作業しました。

●益城町集積場⑤

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*集積場は、益城町中央小学校が移転した跡地のグラウンドです。散水車が10分おきぐらいに回ってきて水を撒くと、一瞬気温が下がり土埃も少なくなりました。

●益城町集積場⑥

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*この茶色の集積物は畳です。6月の大雨で家屋が水浸しになり、畳が腐敗して土の様な色になっていました。奥は布団類、いずれも壊れた家屋から運ばれてきたもので、1日でこの2倍位の高さになります。

●益城町集積場⑦

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*家電置き場の奥は、ブロックや瓦の粉砕場と置き場となっていました。大型の油圧ショベルがブロックを空中高く持ち上げ、下に落として割ったり、キャタピラで粉砕するため、騒音と振動と砂ぼこりが舞う作業場でした。

●益城町総合運動公園グラウンド

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*このグラウンドは、5月末まで野口健氏らの尽力で設営されたテント村(ピーク時156張り)でした。石原軍団の炊き出しもここで行われたそうです。今日時点でも、奥の総合体育館は避難所となっていました。

…二日間の活動で町の被害状況を目の当たりにして、町中の瓦礫がなくなるまでには長い月日がかかると思いました。
しかし、益城町VCで活動する社協のスタッフの方や集積場の作業現場で一緒に作業した近隣のボランティアの方との話から、復旧・復興に向けた地元の方々のパワーを感じました。

●益城町VC・テント内①

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*これまでにボランティアに参加した人や子供たちの復興フラッグがテントに掛けられていました。

●益城町VC・テント内②

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「熊本県内外から来られる多くのボランティアの人達の地道な作業を見ていると、私達もですが地元の方々や被災された方々も、手付かずだった家の片づけや地域の復旧に取り組もうという気持ちが強くなっています。遠くから来ていただいて有難うございます。」
…VCや作業場で出会った方々から、このような話を伺うことができ、微力ながらお手伝いが出来てよかったと思いました。

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[2]阿蘇神社の被害状況

益城町ボランティア活動の前日(7月22日)、早めの飛行機に乗り、昼前には集合場所の大津町に到着しました。そして、今日、宿泊するホテルに荷物を預け、肥後大津駅から阿蘇に向かいました。

●肥後大津駅

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*電車は、熊本駅⇔肥後大津駅を結ぶディーゼル列車です。列車はここから折り返しとなります。特急あそぼーいや寝台特急ななつ星が、再び豊肥本線を走る日が近いことを祈りました。

JR九州・豊肥(ほうひ)本線は、地震被害で肥後大津駅⇔阿蘇駅の区間が不通のため、迂回ルートのバスを利用しました。
往路は熊本と大分を結ぶ急行バスに乗り、宮地駅前で降りました。
ここから、北に向かう幹線道路を歩きます。約1㎞歩くと阿蘇神社の案内板が見えてきて、そこから200~300m西に向かうと参道に出ました。

●阿蘇MAP

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*宮地駅に設置された阿蘇の地図です。阿蘇神社は「現在地」から北に向かう道路が3方向に分かれる傍に鎮座していました。

■阿蘇神社・参道

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*阿蘇神社の参道です。参道は、一見被害がないように見えますが左右の石灯篭が崩れていました。

■阿蘇神社・楼門①

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*楼門に近づくと、落ちた屋根が見えました。

■阿蘇神社・楼門②

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*①の場所からさらに近づくと、大きく崩れた楼門の屋根が重なっていました。

■阿蘇神社・北側鳥居

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*阿蘇神社の鳥居は、北側、南側とも無事でした。奥の山は、阿蘇・高岳です。

■阿蘇神社・楼門・拝殿

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*左側が楼門の屋根、右側が拝殿の屋根です。

■阿蘇神社・楼門の屋根

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*拝殿の傍から楼門の屋根を写しました。神社では珍しい仏閣の様式で建てられた二層楼山門式の楼門(高さ:18m)は、2回目の本震で屋根が地面まで落ちたそうですが、幸いなことに神社も周りの地域も人の被害はなかったそうです。

■阿蘇神社・拝殿の屋根

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■阿蘇神社・本殿

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*本殿は無事(内部に入れないため、外観だけですが、キリリと建っていました)のようです。

■阿蘇神社・神の水

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*阿蘇神社の楼門前にある銘水・神の水です。阿蘇地方では地震で温泉や地下水が涸れたり量が減ったりしたところがあったそうですが、神の水はそのままの水量で湧いているとのことでした(ペットボトルに詰めて持ち帰りました)。

参拝後、御守りを包んでいただきながら、禰宜の方に地震のことを訊きました。
「阿蘇神社は大きな被害を受けましたが、参道前の店も周りの民家も大きな被害はありませんでした。地域の方々は、『阿蘇神社さんが護ってくれた』とおっしゃっています。…今、再建が始まったばかりですが、重要文化財ということもあり、今までと同じ部材をそろえるまでに2、3年、建て替えが完了するまでに7、8年かかるといわれています。」という話でした。

…帰りは、阿蘇神社から宮地駅まで幹線道路の一本西側の道を歩きました。周りの家は、禰宜の方の話通り、地震の被害を受けた様子は見かけられませんでした。

●阿蘇・宮地駅①

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*扁額に駅名が書かれ、出入口には注連縄があります。宮地駅は、阿蘇神社へ入る駅という佇まいでした。

●阿蘇・宮地駅②

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*7月9日より宮地駅の西隣の阿蘇駅から豊後荻間駅で運転が再開されました。ホームに停車しているのは、豊後荻間駅行きのディーゼル列車です。右奥のギザギザの頂の山は根子岳(1,433m) です。

…17時30分、JR宮地駅発の代行バスに乗りました。代行バスには阿蘇神社の帰り道で見かけた阿蘇中央高校の生徒が10名ほど乗ってきました。
高校生は、阿蘇の各駅で降りていき、残りの2、3名で肥後大津駅を目指しました。

●阿蘇五岳

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*迂回ルートの二重峠付近から振り返った阿蘇五岳(あそごがく)です。左から根子岳(1,433m)、高岳(1,592m)と中岳(1,506m)、烏帽子岳(1,337m)、杵島岳(1,321m)です。

代行バスは、19時過ぎにJR大津駅北口に到着しました。
大津駅の停留所は熊本から阿蘇方面へ向かう通学生や通勤客で一杯で、代行バスが追加されて折り返していきました。

今日の歩歩歩数は17,800歩でした。

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【3】熊本城の被害状況

7月24日は、午前中でボランティア活動を終了しました。益城町VCで昼の弁当を食べた後、熊本城の被害状況を見学して郊外の銭湯に向かうことになりました。

…益城町VCを出たバスは、熊本市東部や南部の道を通り、熊本城内の二の丸駐車場に止まりました。

●熊本城MAP

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●熊本城・西大手門

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*二の丸側から西大門方面を望遠で写しました。門は崩れた石垣で埋まっている様です。

●熊本城・宇土櫓・大小天守閣①

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*左が宇土櫓(うとやぐら)で中央と右が大小天守閣です。

●熊本城・宇土櫓・大天守閣②

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*①を望遠で写しました。大天守閣の屋根の鬼瓦は落ち、周りの瓦も割れています。また、宇土櫓の右手の長塀も倒れていました。

●熊本城・戌亥櫓

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*戌亥櫓(いぬいやぐら)は、飯田丸五階櫓の様に隅石だけで辛うじて櫓を支えていました。

熊本地震のボランティア活動と阿蘇神社、熊本城の被害状況をみて、復興までの道のりは遠く、時間もかかると思いましたが、今後も支援を続けたいと思いました。

●『がんばるけん! くもとけん!』復興PR・シンボルマーク

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*出典:熊本県

END

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2016年8月 6日 (土)

那須・茶臼岳登攀記:2016.7.19

赤城山・黒檜山の登山中(5月29日)に企画案が出され、7月実施で決定した夏合宿のフィナーレは、那須・茶臼岳(ちゃうすだけ)の登攀であった。

…2016年7月19日9時45分、茶臼岳遠征隊は那須ロープウェイ・那須山頂駅(キャンプ1:C1)に降り立った。
目指すは、那須の主峰・茶臼岳のピークである。

遠征隊のメンバーは、今回の登攀を断念しベースキャンプ(BC)の福岡から見守るホンダ隊長のことを想っていた。
7月21日に決まったホンダ隊長の腹腔鏡手術の成功を祈りながら、メンバーはC1 からC2に向けての第一歩を踏み出した。

●那須連山MAP(C1)

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*那須ロープウェイ・那須山頂駅横の登山道に、那須連山の地図がありました。

●牛ヶ首山分岐(C2)

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…頂上アタック隊は、ヤスダ隊長、ナカハラ隊員、タカハシ隊員、クボタ隊員の4人だった。
4人は、C2の牛ヶ首山分岐で主峰のトラバースの道を探るノグチ副隊長とオマタ隊員と別れ、茶臼岳(1,915m)に向けて登り始めた。

●大石付近のアタック隊

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*溶岩流の間の登山道をナカハラ隊員を先頭に、ヤスダ隊長、タカハシ隊員が続いて登っています。

アタック隊の足取りは軽く、途中で30名程の登山者を追い越して、ノグチ副隊長が予測した「登り50分」の約半分のコースタイムで茶臼岳頂上に到達した。

●茶臼岳頂上・那須岳神社鳥居

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*茶臼岳の頂上は、那須岳神社の鳥居を潜った先でした。

●茶臼岳頂上・那須岳神社①

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*茶臼岳山頂に那須温泉神社の奥宮である那須岳神社の祠が祀られていました。

●茶臼岳頂上・那須岳神社②

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*那須岳神社の祠にアタック成功を報告する「のりたま・タカハシ隊員」。奥は大倉山(1792m)の尾根で、右側の盆地は南会津の集落です。

●茶臼岳からの展望(北側)

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*茶臼岳頂上から北側を写しました。手前が頂上部の溶岩円頂丘、奥の中央が剣ヶ峰(1,799m)、左(東)側のピラミッドの様な頂が朝日岳(1,896m)です。空には梅雨雲が棚引いていました。

●茶臼岳からの展望(南東側)

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*茶臼岳頂上から見た南東側・那須塩原方面の景色です。関東は今日が梅雨明け、南側では夏雲が浮かんでいました。

…頂上アタック隊は、山頂に20分程滞在した後、C2を目指して下り始めた。
茶臼岳は、遠くから眺めるとディラン峰の様に「たおやかな峰」であるが、火砕流の登山道**は滑りやすく、気が抜けなかった。

アタック隊は、慎重な足取りで下り、C2を経てC1の那須ロープウェイ・那須山頂駅に着いたのは11時40分であった。

…那須を後にしたメンバーは、「南ヶ丘牧場」にてプレミアム・ソフトで登攀成功を祝い、その後、BCのホンダ隊長***に茶臼岳登攀のメールを送った。
*『白きたおやかな峰』北杜夫著、カラコルム山脈の未踏峰ディラン峰(7257m)。
**今回、アタック隊が歩いた登山道は、ロープウェイで8合目まであがり、そこから牛ヶ首山分岐付近までは歩道が整備されているので、茶臼岳登山を手軽に楽しめるコースでした。
***ホンダ隊長は、胆石の手術が無事に終わり、隊長の体調も回復して“めでたしめでたし”でした。

今日の歩歩歩数は10,800歩でした。

2016年7月17日 (日)

[7]奥能登の旅:2016.7.5

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[7]奥能登の旅

昨日は、門前町から和倉温泉へ行く途中、能登島大橋(橋長1,050m)を往復し、和倉温泉のホテルに宿泊しました。

●七尾西湾[4:59]

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*朝、ホテルの部屋から七尾西湾を写しました。能登島に囲まれた湾の海面は鏡面の様でした。

今日は、今回の歩歩歩ポ~ン「北陸の寺社巡礼の旅」の最終日です。和倉温泉をスタートし、「奥能登の旅・コース図」のような順路で回りました。

●奥能登の旅・コース図

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●見附島①[10:10]

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*見附島は、海抜28m、周囲400m、渚から200m程沖合いにある島です。波の浸食で形成された天然の島で、全体は珪藻土で島の上の緑地はタブやツバキの原生林です。

●見附島②

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*左側の小岩の横の海上に鳥居がありました。調べてみると、かってこの島の上にあった見附神社(見附弁財天社)の鳥居ということが分かりました。

●禄剛埼灯台[11:00]

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*能登半島の最先端の丘にある禄剛埼灯台(ろっこうざきとうだい)は、明治時代にイギリス人設計者によって建てられたものです。

●白米千枚田[11:50]

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*日本海を臨む急斜面に、千を超える田んぼが続く白米千枚田(しろよねせんまいだ)です。

●キリコ会館①[12:15]

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*毎年夏から秋にかけて行われる「キリコ祭り」のキリコ(現役と引退したキリコ)20基以上が、会館に展示されていました。

●キリコ会館②

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●キリコ会館③

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●能登のキリコ祭り分布図

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*キリコ会館の中に展示されていました。キリコは奥能登全域に分布しているんですね!

…北陸の寺社巡礼の最後は、奥能登を巡りながら探すことでした。キリコ会館で知った重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ) を参拝することにしました。
*重蔵神社は、8月23日の夜に行われる重蔵神社大祭で有名です。
地区の各町内からキリコが重蔵神社へ向けて出発し、奉納神事の後、列をなして松明神
事(大松明を若衆が勢いよく倒し、炎の中から御幣を奪い合います)が行われます。

■重蔵神社[13:40]

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*重蔵神社は、輪島朝市通りの東端に鎮座する神社です。社殿の前には、1月に拝観した鹿島神宮や香取神宮と同じ「要石」が赤い鳥居の下に置かれていました。

●輪島・松林

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*重蔵神社の奥山の尾根に、長谷川等伯の代表作「松林図屏風」の枝ぶりに似ている松林を見つけました。

●能登空港[15:53]

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*羽田空港⇔能登空港のフライトはANA便で1日2回です。
羽田に折り返す飛行機が霧の中を着陸しました(もう少し視界が悪いと小松空港への着陸だったので、今日中に帰れることになりました)。
16:30発750便は濃霧と梅雨の雲の中を離陸し、無事帰途に着くことができました。

【おまけ】

●輪島キリモト

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*輪島朝市通りの本町店で、職人の方と話しながら、千すじ汁椀と山道四方盆を購入しました。

今日の歩歩歩数は、11,000歩でした。

END

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[6]能登半島地震と阿岸本誓寺・總持寺祖院:2016.7.4

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[6]能登半島地震と阿岸本誓寺・總持寺祖院

阿岸本誓寺(あぎしほんせいじ)と總持寺祖院(そうじじそいん)は、奥能登の同じ門前町にあります。
今回の寺社巡礼7番目に阿岸本誓寺、そして8番目を總持寺祖院として事前に調べていました。しかし、実際に現地に行き両寺を拝観すると、能登半島地震の被害を受けていて、心が痛みました。

まず、門前町の池田から約1km上った南集落にある阿岸本誓寺に行きました。
雨脚が強くなり傘をさしての拝観でしたが、誰もいない阿岸本誓寺の境内は、何故か寂しさが漂っていました。

■阿岸本誓寺・山門

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*阿岸本誓寺は、能登で最大級・最古といわれる浄土真宗の寺院です。
真言宗の松岡寺の住職良禅が1207(承元元)年に親鸞に出会い、1268(文永5)年に真宗に改宗し、本願寺2代如信上人より「本誓寺」の寺号と親鸞聖人絵像を下付された古刹です。

■山門から見た境内

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■阿岸本誓寺・本堂①

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*1792(寛政4)年に再建立された本堂の幅と奥行きは共に24mです。
また、本堂は、茅葺建築で全国でも三指に入る豪荘な大屋根をもっていて、屋根の面積は約1,100㎡だそうです。

■阿岸本誓寺・本堂②

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*北東側に位置する鐘楼に上り、少し高いところから本堂を写しました。北面の茅葺屋根の雑草は、萱にダメージを与えるくらい伸びていました。

■阿岸本誓寺・本堂③

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*本堂の大屋根は、地域の人々によって2~30年毎に葺替えられるとのことですが、前回の葺き替えが1999(平成11)年なので、次回は2019年~29年頃なのでしょう。
“まだ替える時期は先なのに雑草におおわれているのはなぜだろう?”と思いながら入口の庇を見ると、屋根の萱の上部が痛んでいました。

■阿岸本誓寺・本堂④

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*東側から本堂を見ると、建物全体が痛んでいて、床や柱も歪んでいるところがありました。このときは“1792年の建造だと225年経過している建物なのでガタが来ているのかなぁ…”と思いましたが、最後に原因がわかりビックリしました。

■阿岸本誓寺・本堂⑤

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*本堂の南側に回り込み、南面の屋根を確認すると、北面よりは雑草の侵入が少ないようでした。

■阿岸本誓寺・境内

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*境内に「軌跡」という銘の石板が建っていました。その中に「平成19年(2007)能登半島地震 本堂半壊の罹災」と記されていました。

阿岸本誓寺を後にして、總持寺祖院に向かいました。

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總持寺祖院は、昨年神奈川県鶴見の總持寺を訪ねた際に調べて、是非、行きたいと思っていた寺院です。
*總持寺と百間廊下:2015.11.29
http://momo2011.way-nifty.com/blog/2015/12/20151129-5ffa.html

總持寺祖院は、阿岸本誓寺から山一つ越して、八ケ川を3㎞程遡った門前町にあります。

輪島市観光協会のHPには、總持寺祖院について下記の様な歴史が記されていました。
「元享元年(1321年)に瑩山禅師が開き、永平寺と並ぶ曹洞宗の修行寺として栄えてきました。その後、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山は神奈川県の鶴見へと移されました。現在では、祖院として、大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺院となっています。焼失を免れた経蔵、伝燈院、慈雲閣などが境内にたたずみ、また、七堂伽藍も再建され、威厳と風格を今に伝えています。」
*輪島市観光協会HP
http://wajimaonsen.com/article_detail/72_1.html

■總持寺祖院・経蔵

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*経蔵は、加賀6代藩主・前田吉徳公より寄進され、1743(寛保3)年に建立されました。

■總持寺祖院・山門

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*山門は総欅の入母屋造り(高さ17.4m、間口20m、奥行14.4m)で、1933(昭和7)年に完成しました。山門の上には観音様、地蔵様が祀られています。

■總持寺祖院・法堂(大祖堂)

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*山門横から法堂(はっとう)を写しました。

■總持寺祖院・仏殿

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*山門横から仏殿を写しました。すると仏殿全体が白いカバーで覆われ、境内も白い鉄板で囲まれていました。“なんで、工事中?…”この時もまだ、理由がわからなかったのです。

香積台で靴を脱ぎ、仏殿の横のプレハブの回廊を回って、初めて能登半島地震の被害を知ったのです。
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2007(平成19)年3月25日の能登半島地震(マグニチュード6.9)で、震源地に近い門前町は震度6強の揺れで、總持寺祖院は甚大な被害を受けました。境内の堂宇は、一部重要文化財に指定を受けているため修復には時間がかかり、法堂は2014年春、7年ぶりに修復しました。
現在は仏殿の再建中で、その後、引き続き山門が修復されるそうです。

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●總持寺祖院・境内図

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*プレハブの回廊に架けられていました。

■總持寺祖院・法堂(大祖堂)内部

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*プレハブの回廊の終点が法堂でした。回廊に仏殿復興のための瓦の寄付案内があったので、1枚の瓦に「早く復興が叶いますように」と記して申し込みました。

能登半島地震から10年、両寺が元通りになるまで長い年月と莫大な費用がかかることでしょう。しかし、少しづつ、着実に修復されている總持寺祖院を拝観し、私達も元気をもらいました。

【おまけ・能登金剛巌門】

阿岸本誓寺に行く途中、能登金剛巌門(のとこんごうがんもん)に立ち寄りました。

●巌門・洞窟①

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*巌門洞窟内から海岸を写しました。洞窟は、幅6m、高さ15m、奥行き60mとのことです。

●巌門・洞窟②

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*海に突き出た岩が、長い年月をかけて外浦の冬の荒波に削られ、このような景観になったのですね。岬の松林に戻ると、『ゼロの焦点』の碑(松本清張筆) が建っていました。

今日の[4][5][6]を合わせた歩歩歩数は、10,100歩でした。

[7]奥能登の旅に続く

[5]心むすび氣多大社・能登の至宝妙成寺:2016.7.4

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[5]心むすび氣多大社・能登の至宝妙成寺

那谷寺から北陸自動車道とのと里山海道を利用し、今浜からは、海岸に出て千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイを走りました。
千里浜なぎさドライブウェイは、海岸線の砂浜の波打ち際を走る延長約8kmの観光道路です。

●千里浜なぎさドライブウェイ

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*外浦の海は満潮に近づいていて砂浜が狭くなっていましたが、渚を颯爽と走ることができました。

羽咋市(はくいし)に入り、いよいよ寺社巡礼5番目の氣多大社(けたたいしゃ)の参拝です。

気多大社は大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭神に祀る神社で、古くは奈良時代の748年(天平20)年、大伴家持が気太神宮に参詣したときの歌が万葉集に載っているそうです。また、中世以降は、畠山氏・前田氏など歴代の領主からも手厚い保護を受けた能登国一宮の大社です。

■氣多大社・一の鳥居

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*一の鳥居は、日本海に面して建っていました。ここから氣多大社の境内です。梅雨の雨で清められた玉砂利を踏んで拝殿に向かいました。

 

■氣多大社・拝殿

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*神門の前から、巫女さんに許可をいただいて拝殿を写しました。

 

■「神道」ポスター

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*巫女さんから最初に拝観するよう勧められた「幸せむすび所」の中に、入らずの森の鳥居と「神道」と書かれたポスターが貼られていました。

■神門

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*拝殿の前から神門[1584(天正12)年造営]を写しました。赤、白の袴姿の巫女さんが神々しい神門でした。

 

■拝殿内部

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*内部の御神燈を写しました。

氣多大社の参拝後、「入らずの森」の入り口を経由して一の鳥居に戻りました。

●氣多大社・境内図

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*氣多大社に隣接する正覚院(境内図中央上のオレンジの建物)とともに、氣多大社は等伯縁の神社です。

等伯が春信と名乗っていた1564(永禄7)年、26歳の時に描いたとされる仏画「十二天図」が、昔は氣多大社の講堂にあったそうです。
本殿奥の入らずの森と同じように、いつか500年近くも保存された仏画「十二天図」を拝観したいと思いました。

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氣多大社から北東に10㎞位の所に、寺社巡礼6番目の妙成寺(みょうじょうじ)があります。

妙成寺は、約700年前の1294(永仁2)年、日蓮の孫弟子に当たる日像が開祖し、能登随一の大伽藍をもつ日蓮宗の北陸本山です。
妙成寺には加賀藩3代藩主・前田利常公の生母である寿福院の墓があり、等伯の春信時代の「日乗上人像」や「涅槃図」**が寺に伝わっています。

■妙成寺HP:http://myojoji-noto.jp/
**http://myojoji-noto.jp/property/other/goods.html

妙成寺は、「能登の至宝」と称されるような素晴らしい古刹でした。

■妙成寺・入口

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*雨の妙成寺の入口です。山号は金栄山です。中央に二王門、その奥に五重塔が見えています。

 
●妙成寺・境内図

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■二王門

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*1294(永仁2)年の建造です。

●二王門・吽形像

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●二王門・阿形像

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■五重塔

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*滝谷の丘の上に、妙成寺のシンボルの五重塔が聳えていました。

■五重塔

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*高さ27.27m、総高34.18m、1618(元和4)年、山上善右衛門**が取り組んだ五重塔は、江戸時代初期の代表的傑作の一つと言われています。
**高岡市の瑞龍寺(ずいりゅうじ)を建てた前田家御用大工です。

■五重塔

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*日本唯一の栩葺(とちぶき)屋根の五重塔です。

寿福院(利常公生母)や浩妙院(利常公の長女)の墓や三十番神堂拝殿、釈迦堂を拝して、丈六堂に向かいました。

■丈六堂

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*重層入母屋造・こけら葺の丈六堂(釈迦堂)では、1階の天井を超す釈迦牟尼仏立像を拝観することができました。

■丈六堂・釈迦牟尼仏立像

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*中央に釈迦牟尼仏立像(丈六・約5m)、左手に毘沙門天像、右手に持国天像が祀られていました。

■本堂の扁額

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*本堂には「妙成寺」の扁額がかかっていました。

■祖師堂

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*1624(寛永元)年の建立で、坂上一門の手による建物です。尾垂木と軒の組み方はアートでした。

■祖師堂前・廊下

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*祖師堂から客殿の方向へ向かう廊下に紫陽花が飾られていました。寺の方の心づかいが感じられる生け花でした。

■書院前の庭園

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*書院の縁側にすわって庭園を眺めました。庭園の奥に先ほど歩いた廊下と五重塔が見えました。

妙成寺を出て、門前の店「寿福」に入りました。
「寿福」は昨年オープンした店で、名前は寿福院にちなんで付けられたそうです。ざる蕎麦を食べました素晴らしい味でした。

店のスタッフの方といろいろな話をしましたが、今年5月新しく就任した第69代貫首の駒野貫主の下で「妙成寺が国宝指定を目指す」熱い話に元気をもらいました。

高岡市の瑞龍寺が1997(平成9)年に国宝に指定されました。妙成寺は瑞龍寺と宗派は違いますが、同じ前田利常公、同じ山上善右衛門の手による伽藍、能登の至宝から国の至宝となる日も近いと思いました。

[6]輪島地震と阿岸本誓寺・總持寺祖院に続く

2016年7月16日 (土)

[4]遊仙境の那谷寺:2016.7.4

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[4]遊仙境の那谷寺

片山津温泉のホテルを出て一般道を30分ほど走ると、寺社巡礼4番目の那谷寺(なたでら)に着きました。

那谷寺は、1300年前の717(養老元)年に泰澄により開創されたと伝えられている古刹です。
南北朝と戦国時代に那谷寺は3度も焼かれましたが、江戸時代に加賀藩・3代藩主の前田利常公が、1637~42(寛永14~19)年にかけて集中して、本殿、唐門、拝殿、三重塔、護摩堂、鐘楼堂および庭園などを造り、再興されました。

…雨上がりの平日の朝ということもあり、境内に他の参拝者は見かけませんでした。家人と静寂な那谷寺をゆっくり回りました。

■那谷寺・山門

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*山門には、「自生山」の扁額が掲げられていました。

■那谷寺・参道

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*山門からは、静謐な参道が真っすぐ延びていました。

■金堂華王殿

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*金堂華王殿(けおうでん)は、南北朝の戦火で消失しました。
1990(平成2)年、650年ぶりに再建された金堂華王殿は、鎌倉時代の和様建築様式で総桧造りです。
金堂内には、美しい木曽檜の寄木造りの十一面千手観音(像高7.8m)が祀られていました。

■書院庭園

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*書院から見える庭園は、前田利常公が茶小堀遠州の指導を受け加賀藩の作庭奉行に造らせたものです。

■琉美園・三尊石

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*書院奥の琉美園にある自然の岩は、三尊石と呼ばれています。
岩面の裂けた姿が阿弥陀三尊のご来迎に似ていることから
三尊石と名付けられました。

■普門閣隧道①

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*琉美園から普門閣に向かう順路は、なんと隧道でした。

■普門閣隧道②

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*隧道の中央部からの入口方面です。ここから左側に20m程歩くと、金堂華王殿に戻りました。

…金堂華王殿と普門閣を後にして、杉や椿の樹林と苔に囲まれた参道を100mほど進むと、突然左手に奇岩が現れました。

■奇岩遊仙境①

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*そそり立つ岩山には、いくつもの洞窟・窟(いわや)があり、石仏が置かれていました。

…不動明王の霊水の脇の参道(岩肌をくり抜いて階段にした道)を登り、稲荷社を参拝した後、奇岩の洞窟を巡りました。

■奇岩遊仙境②

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*池の奥全体が奇岩遊仙境です。岩肌に造られた洞窟を繋ぐ細い道をつたい、一番奥の洞窟を目指しました。

■奇岩遊仙境③

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一番奥の洞窟の入り口から、奇岩遊仙境の下の池を写しました。下から見るより高度差があり、足がすくみます。

■奇岩遊仙境⑤

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*③の洞窟の入り口から、奥の石灯篭や石仏を写しました。かって修験者達がこの洞窟で修行をしていたのでしょう。洞窟内の空気はピーンと張り詰めていました。

■奇岩遊仙境④

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*岩肌をくり抜いて造られた石の道は、かっては数多くの修験者が修行した道だったのですね。この岩山が本尊だったということを想いながら、雨で濡れて滑りやすい道を一歩ずつゆっくり下りました。

■奇岩遊仙境⑤

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*④の中央の洞窟から、対岸の鎮守堂と境内を写しました。

■本殿(大悲閣)

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*本殿は一向一揆の兵乱で荒廃しましたが、前田利常公によって1642(寛永19)年に再建されました。
本殿には、本尊の十一面千手観世音菩薩が安置されていました。

■三重塔

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*三重塔(高さ11.5m)は、1642(寛永19)年に前田利常公が徳川家綱の生誕を祝い、この地に建立したと伝えられています。

■三重塔・胎蔵界大日如来像

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*三重塔の内部には、胎蔵界大日如来が安置されていました。大日如来は、かって那谷寺根本堂の本尊でしたが、南北朝の戦乱で建物が焼かれた際、白山宗徒の手により火中から運び出されたそうです。

三重塔から山添いに架けられた楓月橋を歩いて、鎮守堂に向かいました。

■鎮守堂から眺めた奇岩遊仙境

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*鎮守堂には、白山の神様である白山妙理大権現が祀られています。鎮守堂からは、素晴らしい奇岩遊仙境の全貌を見ることができました。

●なたちゃん

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*山門を出ると、入口に那谷寺のマスコット「なたちゃん」とお寺の定番・カメヤマローソクの長椅子が待っていました。

[5]心むすび氣多大社・能登の至宝妙成寺に続く

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