2019年12月 4日 (水)

紅葉のミステリーツアー:2019.11.24

ノグチ師匠から「紅葉のミステリーツアー」  の案内を受け、11月24日、群馬県館林市に向かいました。

* メールの「紅葉のミステリーツアー」内容は、吉木堂の「ずんだ串団子」付きで
①館林駅から20km圏内の「とある場所」
②芸術を極める
③紅葉の低山
で、場所や内容は「お楽しみに」とのことでした。

…関東地方は、11月22日から23日にかけて冷たい雨が降り続き、24日の午前中も雨の予報でした。

当初のプランは、①、③からのスタートでしたが、雨のため①、②に変更となり、館林駅集合も9時から10時となりました。

ミステリーツアー参加メンバー[オマタさん、ヤスダさん、タカハシさん、私]は、ロータリーでノグチ師匠の車に乗り込み、早速、吉木堂で「ずんだ串団子」をゲットしました。

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[1]群馬県立館林美術館

ミステリーツアー最初の「とある場所」は、群馬県立館林美術館でした。館林美術館では、10月5日(土)~12月8日(日)の期間で、「ピカソ展ゲルニカ[タピスリ]をめぐって」が開催されていました。
*群馬県立館林美術館HP

●ピカソ展のチケット
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*写真は、ノグチ師匠撮影のピカソ展チケットと群馬県立館林美術館の展示室1です。
**「ピカソ展ゲルニカ[タピスリ]をめぐって」は、ゲルニカの原画を同寸大で織ったタピスリ(タペストリ-)を中心に、100点を超す絵画や版画、関連作品が展示されていました。
***タペストリ-のゲルニカをはじめ、パブロ・ピカソ(1881-1973)の作品を観ながら展示場を移動しましたが、中でも「黄色い背景の女:油絵・キャンヴァス・1937」と「平和のための世界青年学生祭展(東ベルリン):スカーフ・1951」が印象に残りました。

ピカソ展の会場から、フランソワ・ポンポンの作品を観にアトリエに向かいました。
*フランソワ・ポンポン(1855-1933)は、動物彫刻に革新をもたらしたといわれるフランスの彫刻家です。
**館林美術館は、フランソワ・ポンポンの彫刻、素描作品、資料を多数収蔵していて、一部が常設展示されています。

●ポンポンのアトリエと紅葉①
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*タカハシさん撮影のアトリエとイロハモミジです。アトリエには、ポンポン晩年の代表作で2m50cmを越える「大鹿:ブロンズ・1929」や動物彫刻が展示されていました。

●ポンポンのアトリエと紅葉②
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②もタカハシさん撮影の写真です。アトリエの周りは、緑、黄、朱、赤のグラデーションの林が広がっていました。

アトリエの周りの紅葉を観て、本館の展示室1でポンポンの作品を鑑賞しました。
*展示場内の動物彫刻は、「牝豚・ブロンズ(11.0cm×20.0cm×5.5cm)・1918-1925」をはじめ、丸みを帯びた「シロクマ:白色大理石(24.7cm×45.5cm×ll.7cm)・1923-1933」や「大黒豹:ブロンズ(25.Ocm×81.Ocm×14.0cm)・1930-1931」等、小さな彫刻にも関わらず存在感のある彫刻でした。

…ピカソ展とポンポンの作品で芸術を極めた?後、昼食をとり、次の「とある場所」に向かいました。

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[2]唐沢山の紅葉

次のミステリーツアー①、③の「とある場所」は、2年前の3月に訪れた栃木県佐野市の唐沢城址と唐沢山神社 でした。
*弥生の低山ハイク・唐沢山城址:2017.3.5

前回の唐沢山は麓から登山道を上りましたが、今日は雨のため車で山頂部の駐車場まで上り、唐沢城址と唐沢山神社を回ることにしました。

●南城の猫
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*タカハシさん撮影の南城の座禅瞑想猫です。唐沢城址には沢山の猫(出会った猫は15匹くらいでした)がいて、各自(各猫)寝転がったり、日向ぼっこをしたり、と勝手に過ごしていました。

■唐沢山神社・拝殿
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*唐澤山神社は、1883(明治16)年に唐沢山城・本丸跡に創建された神社です。

■唐沢山神社・唐獅子①

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*拝殿の右手前に、右脚に手鞠を持った唐獅子がいました。口に玉をくわえていて、触れると動きました。玉と口の中をどのように彫ったのか不思議です。

■唐沢山神社・唐獅子②
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*左手前の唐獅子は、左脚に子獅子を持っていました。また、口の中の玉も動くように彫られていました。
**両獅子は、中国を起源に持つ唐獅子です。二頭はつがい(夫婦)で、手毬を持った獅子が雄獅子(父獅子)、子獅子持っている方が雌獅子(母獅子)です。

■唐沢山神社・拝殿と本殿
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*拝殿(左側)と本殿(右奥)です。唐沢山神社は、940(天慶3)年に東国の乱で平将門を滅ぼした藤原秀郷公が祀られています。

■唐沢城・高石垣①
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*本丸南西の石垣は、400年以上前の安土桃山時代に築かれた高石垣です。高石垣の下では、ミステリーツアーの参加メンバーが歩いていて、ノグチ師匠は石垣にカメラを向けていました。

■唐沢城・高石垣②
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*ノグチ師匠撮影の高石垣です。高石垣は、高さ8m・幅約40mで、南局の西側に続いていました。
**唐沢城は、土の城が主流だった関東では珍しい高石垣の城です。歩いてみて、続・日本百名城(関東七名城)に指定された理由が良く分かりました。

●唐沢山の紅葉
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*大炊の井(おおいのい)の近くの広場で、「ずんだ串団子」タイムをとりました。紅葉より団子でしたが、広場のイロハモミジも、雨上がりで潤いのある結構な紅葉でした。

今日の歩歩歩数は、10,500歩でした。

END

2019年11月 9日 (土)

●ホールカバーその51:2019.10、11:東京都狛江市

  ホールカバーその51は、2019年10月と11月に東京都狛江市で出会ったホールを紹介します。
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【2019年10月15日】

●ホールカバー①:東京都狛江市
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*野川から多摩川コースのジョギング中に、慈恵医大第三病院の近くの歩道で出会ったカラーのホールカバーです。
**右下に狛江市の市章、カバー全体に市の木イチョウの大木が描かれています。根元に「合流」と小さな日之出水道機器(株)のマークが入った合流管ホールカバーです。

●ホールカバー②:東京都狛江市
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*ジョギングルートのショートカットで通過した都営狛江アパート***。その敷地内の道路で出会ったホールカバーです。このデザインのカバーは初めて見ました。
**中央に東京都紋章、周りに天気の図柄(太陽、雪と雪の結晶と雪だるま、三日月と星、雨と傘、雲と星)が描かれたホールカバーです。
***調べてみると、都営狛江アパートは、約50棟・1762戸の大規模都営住宅でした。また、②のデザインのホールカバーは、府中など都内の都営住宅に点在しているようです。

●ホールカバー③:東京都狛江市
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*②の横で出会った長方形の側溝蓋です。
**左下に東京都紋章、中央部に②と同じモチーフを横に描き、上部と下部の雨水が流れ込む縦穴も梯子のようにデザインされた美しい側溝蓋でした。

【おまけ】
10月15日、ホールカバー①に出会う30分前に通過した多摩川の風景です。
この周辺は、台風19号の通過で狛江市を流れる多摩川が増水し、避難勧告が出た地域です。幸い堤防の決壊はなかったのですが、多摩川に流れ込む水路の逆流で堤防の内側の地域が浸水被害を受けました。

●多摩川①
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*狛江市の二ヶ領宿河原堰(右側)付近の河川敷です。堤防のすぐ下(左側の堤防の緑の所)にまで、増水した後が残っていました。また、昨年見た多摩川決壊の碑***も流されていました。
**秋風涼やか砧浄水場:2018.8.17の●多摩川決壊の碑***参照 
***「多摩川決壊の碑」のモニュメントは、1974(昭和49)年9月1日に発生した多摩川水害の教訓を後世に残すために設置されたものです。

●多摩川②と●小田急線・多摩川鉄橋:2018.8.17
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*小田急線・多摩川鉄橋下流の河川敷です。下部中央のコンクリート堤防の所に、漂流した木々の枝が残っていました。●小田急線・多摩川鉄橋の写真と比べると、野球のグラウンドが埋まりバックネットも流されていることが確認できます。

●多摩川③と●多摩川の流れ②:2018.8.17
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*狛江高校付近の多摩川です。堤防の緑の下まで増水し、漂流した木々の枝が層をなしていました。また、●多摩川の流れ②と比べると、川の中の堤防右側の河川敷がえぐられ、流出していることが分かります。

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【2019年11月4日】

10月15日と同じ地域をコースを変えてジョギングしながら、狛江市のマンホールで初見のカバーを写しました。

●ホールカバー①、②、③、④:東京都狛江市
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*狛江駅北口・ロータリーの歩道で出会った合流マンホールカバーです。7種類設置されている内の4基と出会いました。
**狛江市の「日本一安心で安全なまち推進キャラクター・安安丸(あんあんまる)」をデザインしたホールカバーです。

●ホールカバー⑤⑥:東京都狛江市
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*和泉多摩川駅北口・ロータリーの歩道で出会いました。
**左上に多摩川五本松***、中央に多摩川を描き、 そこに飛来するコサギを描いた雨水管の⑤モノクロと⑥カラーのホールカバーです
***多摩川五本松は、新東京百景や多摩川50景に選ばれていて、時代劇の映画をはじめ多くのロケに利用されてきました。

●ホールカバー⑦、⑧、⑨:東京都狛江市
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*和泉多摩川駅北口で⑥の近くで出会ったホールカバーです。
**多摩川の花火をデザインしたカバーは6基あるそうですが、そのうちの3基を写しました。
「狛江の魅力 多摩川の花火」の文字入りのプレート式で、下部に「こまえ」「おすい」の文字が書かれた汚水管マンホール です。

END

●ホールカバーその50:2019.10・塩尻市、木祖村、木曽町、南木曽町、中津川市

ホールカバーその50は、2019年10月に長野県塩尻市、木祖村、木曽町、南木曽町と岐阜県中津川市で出会ったホールを紹介します。

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【2019年10月21日】

●ホールカバー①:長野県塩尻市奈良井
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*木曽路の奈良井宿で出会ったホールカバーです。

**カバーの中心に、旧楢川村(現在は塩尻市)の村章、周りに旧檜川村の村の魚・イワナと村の木・ナラとドングりが描かれた旧楢川村のマンホールカバーです。

●ホールカバー②:長野県塩尻市奈良井
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*①の近くの旧中山道(街道)沿いで出会った親子ホールです。

●ホールカバー③、④:長野県・木曽郡木祖村
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*鳥居峠を下った藪原宿の旧中山道で出会った小型の仕切弁カバーです。

**③は、ホールカバー全体に村の花・リンドウが描かれていました。
***③の傍で出会った④は、③と同じ大きさで、清流の周りに村の木・トチノキ、村の花・リンドウが描かれ、下部には「源流の里」と「木祖村」の文字が入っていました。

●ホールカバー⑤:長野県木曽郡木祖村
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*④の近くの旧中山道で出会ったカラーのホールカバーです。
**ホールカバーの中心に消防章***があり、上下に「防火」と「水槽」が入った防火水槽のカバーです。
***消防章は、雪の結晶の拡大図を基礎とし、これに日章を中心として水管、管そう、それに筒先から放出する水柱を配したものなのです。雪の結晶は、水、団結および純潔を意味し、消防職員の性状を表しています。【出典・東京消防庁参照】

●ホールカバー⑥:長野県木曽郡木祖村
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*藪原宿の中心部で出会ったホールカバーです。
**④と同じデザインですが、鍵穴が3カ所ありました。

●ホールカバー⑦:長野県木曽郡木曽町
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*木曽福島駅前のロータリーで出会った汚水管マンホールカバーです。
**木曽の山や川を幾何学模様で表したデザインだそうです。「KISOFUKUSHIMA MACHI」と「 SEWERAGE(下水道)」の文字が入っていました。

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【2019年10月22日】

●ホールカバー①:長野県木曽郡南木曽町
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*雨上がりの朝、妻籠宿の旧中山道で出会った親子蓋です。
**子蓋の中央に南木曽町(なぎそまち)の町章***、周りに町の花のミツバツツジが全面に描かれ、親蓋は亀甲型の汚水管ホールカバーです。
***町章は、南木曽(ナギソ)の「ナ」を図案化したものです。

●ホールカバー②:長野県木曽郡南木曽町
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*①の近くで出会ったハンドホールカバーです。
**中央上部に水道の「水」マークがあり、中央に「仕切弁」と書かれた仕切弁のホールカバーです。

●ホールカバー③:長野県木曽郡南木曽町
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*妻籠宿・寺下の旧中山道で出会ったホールカバーです。
**中央上部に水道の「水」マークがあり、中央に「消化栓」と書かれた長方形の消化栓ホールカバーです。

●ホールカバー④:長野県木曽郡南木曽町
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*妻籠宿を流れる宿蘭川近くの坂道で出会ったホールカバーです。
**ホールの中心に南木曽町の町章、周りに町の花のミツバツツジが全面に描かれています。下部には「南木曽町」と書かれた汚水管マンホールです。

●ホールカバー⑤:岐阜県中津川市
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*馬籠峠を越えた馬籠宿で、島崎藤村ゆかりの永昌寺に向かう寺道で出会った苔と落葉が奇麗なハンドホールカバーです。
**旧長野県木曽郡山口村(現岐阜県中津川市)のホールカバーです。中央に「YAMAGUCH」の文字。周りに旧村の木・ツバキと村の花・ムラサキツツジ が描かれた仕切弁のホールカバーです。

●ホールカバー⑥:岐阜県中津川市
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*⑤の傍で出会ったホールカバーです。
**⑤と同じデザインの汚水管ホールカバーです。2005(平成17)年に長野県木曽郡山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された馬籠ですが、マンホールは旧山口村の物を使用しているんですね。

●ホールカバー⑦:岐阜県中津川市
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*馬籠宿下入口に下る石畳の急坂の角で出会いました(坂上側から撮影)。「枡形」**と書かれた角型の電気設備のホールカバーです。
**枡形は、江戸時代の宿場町などで外敵が勢いよく侵入しないように道を直角に曲げたものです。枡形にある蓋と思われます。

END

2019年11月 3日 (日)

[4]馬籠峠越え②・馬籠峠から馬籠宿へ

馬籠峠から下った峠集落に、熊野神社へ上る石段がありました。

■熊野神社・鳥居:11.16
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*鳥居の脇に、「諏訪神社」と刻まれた社号標が建っていました。

■熊野神社・拝殿
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*無事に峠越えが出来たお礼を兼ねて参拝しました。

熊野神社から馬籠宿に下る途中、十辺舎一九の碑が建っていました。

●十辺舎一九の碑:11.23
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*石碑には、十返舎一九が馬籠を読んだ狂歌「渋皮の 剥けし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」が書かれていました。意味は「栗の渋皮のむけたような美女は馬籠にいなかったけど、栗の強飯はここの名物で素晴らしい」でしょうか。
馬籠宿は、古から栗や栗こわめしが名物だったことがうかがえます。

●道祖神:11.33
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*水車小屋の路傍に、「道中安全」を願う双体の道祖神が立っていました。

●石の道標:11.34

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*道祖神の先は石畳の道になっていて、道標には「中山道」の文字が刻まれていました。

石畳の道を経て山道を進むと、周りは竹林や棚田が広がる里山になりました。
棚田の中の街道を進み、車道と交差した所から山の斜面を上って尾根を越すと、馬籠陣馬上展望広場でした。

●馬籠宿・高札場:11.53
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*馬籠宿上入口の高札場を坂下から写しました。高札場には、江戸時代の代表的な高札(当時の法令を往来等に掲示し、民衆に広く周知させる札)が復元されていました。

馬籠宿の中山道は、急な尾根に沿って南北に貫いていて、急坂の両側には石垣が築かれ、家屋敷や店が建っていました。

*馬籠宿の街並みは、1895(明治28)年と1915(大正4)年の大火で、石畳と枡形以外は消失したそうです。その後、復元され昔の面影を残す町並みとなっています。

●馬籠宿①:12.01
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*馬籠宿上入口から少し下った町並みです。馬籠宿**は中山道43番目の宿場で、木曽11宿では一番南の宿場町となります。
**馬籠宿は、かつては長野県木曽郡山口村でしたが、2005(平成17)年の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入されました。

●馬籠宿②:12.01
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*坂下から写した馬籠宿・上入口と下入口の中間点の町並みです。街道沿いに、永昌寺へ160mの標識があります。

ここから寺道を通って、島崎藤村ゆかりの永昌寺に向かいました。

■永昌寺・本堂:12.06
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*藤村が眠る永昌寺は、島崎家歴代の菩提寺として1665(寛文5)年に創建された臨済宗の古刹です。現在の本堂は、江戸時代後期・寛政年間(1789~1801年)の再建なので、藤村は9才まで遊んだこの本堂や境内をモデルとして「夜明け前」に登場する万福寺を描いたのではないでしょうか。

■島崎藤村の墓:12.07
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*藤村と家族の墓です。藤村の墓標には、「島崎春樹」と本名で記されていました。

永昌寺から中山道に戻り、急坂を下りて12時15分に馬籠宿下入口に到着しました。昼食は、妻籠宿から馬籠宿までの峠歩きゴールを祝って、新蕎麦とビールで乾杯しました。

●馬籠宿から望む馬籠城跡:12.45
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*下入口の馬籠バス停から、南側の馬籠城跡(中央左側のこんもりした森)と田んぼの風景を写しました。馬籠宿から南側は、木曽路の山間部が終わり濃尾平野に向かって開けていきます。

●馬籠宿から望む恵那山:13.12
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*馬籠館の駐車場から、陽が射し射し始めた恵那山(標高2,191m)を写しました。

馬籠発13時25分のバスに乗り、南木曽駅に向かいました。
バスは、今日歩いてきた旧中山道と何度も交差しながら馬籠峠を越えました。峠からは、九十九折の急カーブを下って大妻宿と妻籠宿に出て、14時過ぎに南木曽駅に到着しました。

【おまけ】
馬籠宿下入口で見た用水路の上に、不思議な小屋がありました。

●水力発電機①
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*“小屋の床から落ちている大量の水は、どこから流れてきているのだろう…?”と不思議に思い、すぐ調べてみることにしました。

●水力発電機②
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*用水路の上流から見ると、大きなホースが延びていました。

●水力発電機③
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*横から内部を確認すると、馬籠宿の農業用水路の落差を利用した小水力発電・2号機**でした。
**農業用水路の上流で見た木製水車を利用した1号機と併せて、発電出力は0.9kwとのことです。

南木曽駅発14時44分の列車で木曽福島駅へ向かうため、約40分の時間で木曽川に架かる桃介(ももすけ)橋を観に行くことにしました。

●桃介橋①:14.13
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*桃介橋は、木曽川の水力発電所建設用の機材を運ぶために建設され、1922(大正11)年に完成したた木製の吊り橋です。橋の途中の川岸から西側を写しました。撮影地点は主塔3基の内、中央の主塔から石段を下りた地点です。

●桃介橋②:14.17
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*桃介橋を渡り、西側(木曽川の右岸)から主塔と橋路面を写しました。

●桃介橋③:14.18
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*桃介橋は、全長247.3m、幅2.7m、橋桁の下部に石を積みコンクリート製の主塔3基を備えた美しい吊り橋です。1978(昭和53)年には、デザイン・技術ともに優秀と認められ、国の重要文化財に指定されています。

●桃介橋④:14.22
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*下流の橋から桃介橋を写しました。桃介橋は、1978(昭和53)年には破損・老朽化のため使用できなくなりましたが、1993(平 成5)年に復元され、渡れるようになりました。現在も対岸にある高校の生徒たちが南木曽駅からの通学路として使っているそうです。

●南木曽駅・貯木場④:14.36
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*南木曽駅のホームから南木曽森林管理署の貯木場を写しました。切り出された木曽の杉や檜の丸太が、ホームの端から端まで積まれていました。

●木曽駒ケ岳(望遠):15.55
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*木曽福島から乗車した中央高速バスの窓から見た木曽駒ケ岳(右端・2,956m)です。昨晩から今朝まで降り続けた雨は、高所では雪となっていて、木曽駒ケ岳から茶臼岳に延びる稜線は初冠雪でした。

今日の歩歩歩数は、[3]、[4]、【おまけ】を合わせて24,600歩でした。

END

2019年10月31日 (木)

[3]馬籠峠越え①・妻籠宿から馬籠峠へ

21日夜の天気予報では、「22日の午前中まで雨が降り続く」だったので、翌日のプランとして①、②を考えました。
①昼まで雨が降っている場合は、朝、ホテルから南木曽駅まで送ってもらい、駅から馬籠宿まで地域のバスで移動。天候を観ながら馬籠峠を越えて妻籠宿まで歩く。
②朝、小雨か雨が止んだ場合は、妻籠宿から馬籠峠を越えて馬籠宿まで歩く。帰路はバスで南木曽駅に向かう。

朝の露天風呂も朝食の時も大粒の雨が降っていましたが… 、ホテルの送迎バスの発車時間になると、上空の雲が消えはじめ、雨があがってきました。
そこで、プラン②で馬籠峠越えをすることにして送迎バスに乗り、南木曽駅の手前の妻籠宿で降してもらいました。

●妻籠宿・案内板:9.18
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*妻籠宿**のバス停に、「国の重要伝統的建造物群保存地区」***の説明板が設置されていました。
**妻籠宿は、中世から宿として利用され、木曽路から飯田(飯田街道)へ抜ける追分となってました。さらに、1601(慶長6)年、中山道宿駅制定の際に妻籠宿として指定され、中山道と伊那道が交差する交通の要衝としてにぎわいをみせていました。1843(天保14)年の資料によれば、妻籠宿は、本陣1軒 、脇本陣1軒、旅籠31軒が整備されていたそうです。
***明治時代になり、木曽路に新たに鉄道や道路が作られると、妻籠宿は宿場としての機能を失い衰退の一途をたどりました。
地域が開発に乗り遅れた1964(昭和39)年の春、地元から中世の妻籠を残したいという声が上がり、妻籠宿の町並みの保存運動が始まりました。そして、1976(昭和51)年、妻籠宿は「国の重要伝統的建造物群保存地区」の最初の選定地に選ばれたのです。

●妻籠宿本陣跡:9.23
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*妻籠宿本陣は、江戸時代の参勤交代の際に大名が宿泊した施設です。現在の建物は、1995(平成7)年に江戸時代後期の間取りを再現して建てられたものです。

●寺下の町並①:9.27
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*妻籠宿の寺下の町並みです。妻籠の人たちは、保存運動で家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という三原則をつくり、この地で生活しながら江戸時代の町並みをを守ってきたそうです。

●寺下の町並②:9.30
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*寺下の町並みの奥に、これから越える馬籠峠方面の山容が見えてきました。好天になる兆しである谷沿いの雲が山肌を昇っていました。

●大妻橋・中山道道標:9.45
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*妻籠宿を流れる宿蘭川(あららぎがわ)に架かる大妻橋を渡ると、中山道の石の道標が建っていました。

妻籠宿の奥座敷といわれる大妻籠(おおつまご)の集落を通り、県道を渡ると石畳の坂道となりました。

●石の道標:10.01
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*坂道の左の道標に、「とうがめ沢 下り谷を経て馬籠峠へ」の文字が刻まれていました。

●とうがめ沢の石畳道:10.02
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*杉林の奥から朝日が射しこみ、雨にぬれた石畳が輝いていました。

●牛頭観音:10.03
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*九十九折の石畳道を上る途中、牛頭観音が祀られていました。この坂道も旅人とともに荷物を運ぶ牛が行き来していたのでしょう。

石畳の道が途切れると、棚田や民家が点在する静かな街道となりました。

●庚申塚:10.16
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*この庚申塚で、道は2つに分かれます。旧中仙道は右の道を上り、右下の坂道を下ると男滝と女滝です。

●男滝:10.19
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*男滝は落差の小さい滝ですが、昨日の雨で流量が多く、迫力のある美しい滝でした。

●男滝・女滝説明板:10.19
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●女滝:10.20
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*男滝と女滝は、吉川英治の小説で武蔵の修行の場として登場した滝です。

男滝と女滝から県道に出て、男垂川沿いに林の中の山道を歩いていると、再び石畳の道が現れました。

●石の道標:10.33
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*石の道標に、「中山道 一石栃口」の文字が刻まれていました。

ここから一石栃白木改番所跡までの中山道は、杉林の中を通る緩やかな坂道でした。杉林を抜けると周りが開け、一石栃白木改番所跡が現れました。

●一石栃白木改番所跡・説明板:10.44
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*一石栃(いちこくとち)白木改番所は、江戸幕府が木曽五木(ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ)の無断伐採を禁じ、出荷統制を行っていた番所です。

一石栃白木改番所跡の隣にある立場(たてば)茶屋に入りました。
*立場とは宿と宿との間にあった休憩所とのことで、江戸時代後期に建てられた茶屋を使った無料休憩所です。

●立場茶屋①:10.45
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*立場茶屋の玄関です。暖簾の奥の土間で欧米のハイカー(8名)が、お茶を飲みながら休憩していました。

●立場茶屋②
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*お茶を頂いた土間の長椅子から見た囲炉裏です。私たちもラッキョウ(茶屋のボランティアの方は“Japanese pickles”と言っていました)と温かいお茶を頂きながら一休みしました。

●立場茶屋③
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*茶屋を出た後、振り返って立場茶屋を立場茶屋を写しました。昔は、この界隈に7軒程の民家があったそうですが、現在は一軒のみで江戸後期の姿を残した貴重な建物とのことです。

●街道脇の石仏:10.58
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*立場茶屋から少し歩いた所に石仏が並んでいました。

●中山道ラッキーポイント:11.05
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*熊除けの鐘の上にプレートが掛かっていました。“スリーセブン(標高・777m)にかけたラッキーポイントの鐘を鳴らそう”ということでしょう。この鐘も強めに鳴らしました。その後、峠に向かう坂道ですれ違った金髪ハイカーのおじさんが鳴らす鐘の音も聞こえてきて、歩く人たちが思わず鳴らしたくなる鐘ということが分かりました。

●馬籠峠:11.10
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*妻籠宿と馬籠宿を結ぶコースの最高地点・馬籠峠(標高・801m)に到着しました。

[4]馬籠峠越え②・馬籠峠から馬籠宿へ 続く
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2019年10月28日 (月)

[2]鳥居峠越え②・奈良井宿から鳥居峠を越えて藪原宿へ

鎮神社で道中の無事を祈願して、旧中山道屈指の難所と言われる鳥居峠に向かいました。
鎮神社から 車道を100mほど歩くと石の階段があり、ここが鳥居峠への入口でした。
そこから山道と車道をしばらく歩くと、旧中山道の石畳道が現れました。

●旧中山道・石畳道入口:12.14
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*右手に「中山道・石畳道」の標識がありました。ここから本格的な鳥居峠越えの始まりです。

●木漏れ日の中山道:12.27
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*色づき始めた広葉樹の森が続く道**は、木洩れ日で明るく、爽やかな谷風が吹いていました。
**この道の下に広がる谷は、木曽義昌が武田勝頼軍を通撃したと伝わる古戦場跡でした。

途中の中の茶屋で見た説明板によると、「1582(天正10)年2月、木曽義昌が武田勝頼の2000余兵を迎撃し、大勝利を収めた鳥居峠の古戦場である。この時、武田方の戦死者500余名でこの谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる。」と書かれていました。

中山道の前、東山道(とうざんどう)と呼ばれていた時代に鳥居峠周辺が戦場だったことを思うと、江戸時代に鳥居峠を歩いた松尾芭蕉や十返舎一九***の旅は隔世の感があります(現代から見ると、芭蕉も一九の時代も「隔世の感」ですが… )。

***芭蕉は、1684(貞享元)年と1688(元祓元)年に鳥居峠を越え、「木曽の栃 浮き世の人の 土産かな」と「雲雀より うえにさすらふ 嶺かな」の句を残しました。また一九は、1811(文化8)年 に中山道を旅して、弥次さん喜多さんの「木曽街道膝栗毛」を書きました。

●一里塚跡:12.43
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*奈良井宿と鳥居峠の間に復元された一里塚です。

…12時50分に鳥居峠を越えました。鳥居峠は尾根を削った旧国道(狭い車道)の中間地点で、峠を「越えた」というより「通過した」という感じでした。

●鳥居峠・案内図:12.51
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*鳥居峠(標高・1197m)は、伊勢湾に注ぐ木曽川と日本海に流れ出る信濃川の支流・奈良井川の分水嶺です。

鳥居峠から御嶽神社に向かう途中、広葉樹の森にトチノキの大木群が現れました。

●栃の木の大木:12.55
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*近くに「木祖村天然記念物 鳥居峠のトチノキ群」と刻まれた石柱が立っていました。

●熊除けの鐘:12.56
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*栃の木が多いということは、秋には栃の実が落ちて周辺が熊の食料庫になる訳です…。この鐘は、他の場所より強めに鳴らしてしまいました。

■御嶽神社・鳥居:12.58
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*鳥居峠の名は、戦国大名の木曽義元が戦勝祈願のために御嶽山を望むこの地に建てた鳥居に由来すると伝わっています。

■御嶽神社・拝殿
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*山頂の御嶽神社には、北から冷たい秋風が吹いていました。

■御嶽神社・扁額
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*「御嶽山」の扁額です。左上の白い残像は、北風に揺れる紙垂(しで)です。

■御嶽神社・本殿
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*御嶽神社の南側から写した本殿と石碑、石像群です。本殿の北側にも、多くの石碑や石像が建っていました。

●御嶽山(望遠):13.05
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*おにぎり昼食の後、本殿脇の御嶽山遥拝所から眺めた御嶽山(標高・3,067m)の山頂部です。道中の安全を祈願し、御嶽山に向かって拝礼しました。

●藪原宿遠望:13.16
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*御嶽神社から急坂を下りて少し歩くと、木々の間に藪原宿(やぶはらじゅく)の町並みが見えました。南に流れる木曽川や藪原駅も見えて、鳥居峠越えのゴールが確認できました。

檜やカラマツ林に囲まれた九十九折の道を下り、石畳の道をしばらく歩くと、藪原の集落に出ました。

…ここまでの鳥居峠越えで出会った人は、約30人(10組)でした。

*30名の内訳は、14人(2組)が台湾からのツアーの人達、残りの16人は欧米人のペア(20代1組、50~60代7組)でした。外国の人の中山道ウォークがブームになっているニュースを観たことがありましたが、実際に出会った人たちを見ると、企画ツアーで来ている感じでは無く、各人が各々プランを立てて中山道の宿場や街道歩きを楽しんでいるようでした。

藪原宿の町並みに入る前に、中央西線の線路脇に鎮座する藪原神社を参拝しました。

■藪原神社①:13.58
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*一の鳥居は、真つ赤に塗られた両部鳥居です。

■藪原神社②
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*石段を上りきると、石造りの明神鳥居が建っていました。

■藪原神社③
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*急な石段の下から見上げた荘厳な社殿です。
薮原神社の歴史は古く、天武天皇の時代に熊野から勧請したのが始まりと伝わる神社です。そのため、1871(明治4)年に藪原神社に改称されるまで熊野大権現、熊野大神宮などと呼ばれていました。

藪原神社から中央西線の軌道下トンネルを潜り、薮原宿の中心部に入りました。

中山道と高山に向かう飛騨街道の追分でもあった薮原宿は、馬籠や妻籠をしのぐ宿場町だったということでしたが、道筋には往時の面影を残す店や家が少なく、歩く人も少なくて寂しい街道でした。

●藪原駅:14.22
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*ゴールの藪原駅です。入口に、大相撲秋場所で7場所ぶりに優勝した関脇・御嶽海関のV2を祝う幟旗がありました。

1本早い電車でしたが、藪原駅に停車していた電車に乗り、木曽福島駅に向かいました。

【おまけ】
●313系普通列車:14.47
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*木曽福島駅ホームに到着した313系・普通列車です。

●御嶽海関・優勝祝いコーナー
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*木曽福島駅の通路に、地元のヒーロー御嶽海関(出身が木曽福島駅のある木曽町の隣町・上松町です)のV2を祝うコーナーがありました。

列車が木曽福島駅止まりだったので、次の南木曽駅行きの電車が来るまで木曽福島駅前を散策し、観光案内所で鳥居峠や中山道の地図をもらいました。

●NAKASENDO TRAIL
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*観光案内所でもらったNAKASENDO TRAILに、今日歩いた鳥居峠越えの英語版のMAP(日本語版よりも3ランク位い品質が高いMAPです)がありました。

●NAKSENDO WALKING MAP表紙
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*これも観光案内所で貰ったMAPです。案内書のスタッフの方によると、馬籠峠や鳥居峠を歩く人はほとんどが欧米の人で、このMAPを元に歩いているとのことでした。

●NAKSENDO WALKING MAPの馬籠峠越え(男滝・女滝付近)ページ
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今日の歩歩歩数は、17,550歩でした。

[3]馬籠峠越え①・妻籠宿から馬籠峠へ 続く
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2019年10月26日 (土)

●旧中山道・木曽路峠歩き:2019.10.21-22[1]鳥居峠越え①・奈良井宿

10月21日と22日、木曽路の峠を歩きました。
今回の ●旧中山道・木曽路峠歩き

[1]鳥居峠越え①・奈良井宿
[2]鳥居峠越え②・奈良井宿から鳥居峠を越えて藪原宿へ
[3]馬籠峠越え①・妻籠宿から馬籠峠へ
[4]馬籠峠越え②・馬籠峠から馬籠宿へ
の4回に分けて特集します。
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[1]鳥居峠越え①・奈良井宿

東京から中央高速の高速バスに乗り、塩尻を経て木曽の奈良井宿で降車しました。
江戸時代、中山道は江戸日本橋と京都三条大橋を結ぶ重要な街道(69宿・約534km)で、東海道 とともに参勤交代に利用されました。
*中山道は山道や峠道が多く、人馬の往来が大変だったため、参勤交代での利用は東海道の154家に対して中山道は34家でした。しかし、東海道に比べ大河がなく、洪水に伴う渋滞も少なかったことから、徳川将軍家に嫁いだ皇女和宮もお輿入れに利用した街道です。
中山道のうち、塩尻から中津川までを木曽路(総距離・88km)と言い、宿駅は贄川から馬籠までの11宿**です。
**中山道の宿駅として木曽11宿が指定されたのは、1602(慶長6)年です。その後、各宿に本陣や脇本陣、宿屋、茶店などが置かれました。

奈良井宿は、木曽路11宿の中で北から2番目に位置しています。鳥居峠の登り口にある鎮神社を京都側(南側)の端として、約1kmにわたって町並みを形成している日本最長の宿場です。

奈良井川に架かる木曽の大橋を渡りました。

●木曽の大橋①:11.43
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*木曽の大橋は木曽檜で造られた大鼓橋で、1991(平成3)年に完成しました。

●木曽の大橋②:11.44
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*木曽の大橋は、脚を持たない橋としては日本有数の大きさ(長さ:33m・幅:6.5m・水面からの高さ7m)です。

●木曽の大橋③:11.45
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*川辺に降りて、橋の下部を写しました。木組みの曲線も檜の色彩も美しい太鼓橋でした。

奈良井宿は、中山道にそって北側から下町、中町、上町の三町に分かれています。木曽の大橋から下町に出て、奈良井川沿いを緩やかに上る街道を歩き、中町、上町に向かいました。

●下町の水場 :11.50
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*湧き水が流れ落ちる下町の水場**です。軒先に「下町」の行燈が掛けられていました。
**奈良井宿では、下町、中町、上町の各町に水場がありました。各町には、水場の維持・管理を行う水場組合が作られているそうです。

●奈良井宿・案内板①:11.54
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*中町の水場横の案内板です。街道の要所要所に、この案内板が設置されていました。

●横水の水場 :11.55
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*中町の水飲場です。

●中町の風景:11.56
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*奈良井宿の中心・中町の風景です。江戸時代は、中町に本陣、脇本陣、間屋などが配置されていました。

●道祖神:11.58
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*中町と上町の境の鍵の手に、「道中安全」を願う双体の道祖神が祀られていました。

●かぎの手の水場:11.59
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*鍵の手に設置された水場です。

●中村邸:12.00
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*中村邸は、漆器商を営んでいた中村家の住居で、天保年間(1830~1843年)の建物です。 2階が少しせり出した出梁(だしばり)造りで、奈良井宿の典型的な民家の様式を残しています。

●高札場:12.02
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*鎮神社の手前に、高札場が復元されていました。

●宮の沢の水場:12.02
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*高札場と鎮神社の間に設置された水場です。

■鎮神社・鳥居と神楽殿:12.03
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*鎮神社(しずめじんじゃ)は、奈良井宿の南側(京都側)の鳥居峠への登り口にあって、鳥居が街道に面しています。昔は、鳥居峠越えの安全祈願やお礼参りで賑わったことでしょう。
**鎮神社は、元は鳥居峠に建立されていた神社で、1582(天正10)年に戦火で焼失したため、現在の地に遷座されたと伝えられています。また、 1618(元和 4)年には 、奈良井宿に流行った疫病を鎮めるために香取神宮から経津主命(ふつぬしのみこと)を勧請しました。その後疫病が鎮まったことから鎮神社と呼ばれるようになったそうです。

■鎮神社・神楽殿と本殿
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*境内の南側から神楽殿と本殿を写しました。本殿は1664年の建築で、屋根が柿葺(こけらぶき)、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の建築様式でした。

■阿形狛犬
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*拝殿前の阿形狛犬です。左前肢で黄金の玉を押さえている岡崎型の「玉取りの狛犬」です。

■畔形狛犬
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*岡崎型の「子取りの狛犬」で、台座に「昭和八(1933)年八月建立」と刻まれていました。

[2]鳥居峠越え②・奈良井宿から鳥居峠を越えて藪原宿へ 続く

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2019年10月15日 (火)

台風復旧祈願!三陸鉄道リアス線:2019.10.15

10月12、13日に東日本を襲った台風19号は、上信越と関東、東北の各県に甚大な被害を与えました。被災地域や被災者の方々にお見舞い申し上げます。

 台風19号は、9月下旬に訪れた三陸鉄道やJR八戸線沿線にも大きな被害を与えているようです。

15日時点のニュースでは、台風19号の豪雨で、三陸鉄道リアス線で線路の路盤流出や土砂流入があり、釜石から久慈間の運行がストップしています。また、JR八戸線の階上ー久慈間でも路盤流出で、復旧に2ヶ月前後かかるとのことです。

【三陸鉄道台風19号・ニュース記事概要】

山田町の岩手船越駅から宮古寄りに400mほどの場所では、台風19号の豪雨により線路下の水路が氾濫して、幅25mにわたって線路の地盤が押し流されました。
三陸鉄道によると、ほかにも釜石から久慈の区間で線路に被害が出ていると予想されるものの、現場に行く道路が損壊していてたどり着けず、調査は困難を極めていて、釜石から久慈間の復旧のめどが立っていないということです。

岩手船越駅から宮古寄りに400mほどの場所といえば、9月22日に車窓から写した鯨と海の科学館の近くです。

*鯨と海の科学館も、10月13、14日の台風19号の豪雨で駐車場や館内に浸水被害があったため、現在休館となっています。

●鯨と海の科学館①:2019.9.22

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*列車の窓越しに、鯨と海の科学館を写しました。鯨と海の科学館は、東日本大震災で甚大な被害に遭い、2017年7月に復旧工事(延べ約800人のボランティアが、がれきの撤去や資料の洗浄を手伝い、映像モニターや魚の剥製などの展示物を更新し、震災前と同規模の展示内容を取り戻しました)を終え、6年4カ月ぶりに再オープンしました。

●鯨と海の科学館②

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*①を拡大した写真です。中央の電柱の碍子の右下に「つなみ - 2011.3.11」とある「-」は、押し寄せた津波の高さ(約8m)です。

三陸鉄道リアス線は、2019年3月に大船渡市から久慈市までの全線運行で復興のシンボルとなっています。また、鯨と海の科学館も東日本大震災から復興した山田町のシンボルといえます。

三陸鉄道リアス線とJR八戸線の早期復旧・復興を祈ります。

2019年10月14日 (月)

●ホールカバーその49:2019.9:岩手県、青森県

ホールカバーその49は、2019年9月に岩手県大船渡市、久慈市と青森県八戸市、三沢市、むつ市、東通村、六ケ所村、おいらせ町で出会ったホールを紹介します。
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【2019年9月22日】

●ホールカバー①:岩手県・大船渡市
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*三陸鉄道リアス線の出発地・盛駅前の道路で出会ったホールカバーです。
**カバーの中央には、太平洋に浮かぶ客船と空を飛ぶ市の鳥・ウミネコ、上部に市の花・ツバキがデザインされています。下部には、市章と「OFUNAT0-CITY-」の文字が入っている汚水管ホールカバーです。
[1]いざ北上!盛駅から宮古駅ヘ

●ホールカバー②・③:岩手県・大船渡市

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*①の近くの歩道で出会ったポケモンのホールカバーです。カバー上部に「サイホーン」、下部に「🄫pokemon.」と「おおふなと」が書かれていました。
**三陸防災復興プロジェクト2019で、県内沿岸の13市町村の各1ヵ所にマンホール蓋が設置されました。それぞれマンホール蓋にデザインされているポケモンは、各市町村の景勝地や特産品からイメージしたもので、1つだけの特別なデザインとなっていて、駅や観光名所の周辺に設置されています。大船渡市のポケモン・キャラクターは、とげとげポケモンの「サイホーン」でした。

【おまけ】岩手県内 全13ヶ所のポケモンマンホール(ポケふた)
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*出典:三陸防災復興プロジェクト2019
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【2019年9月23日】

●ホールカバー①:岩手県・久慈市
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*三陸鉄道リアス線のゴール・久慈駅のロータリーで出会ったホールカバーです。
**カバー全体に、旧久慈市の市木・イチョウの葉を配し、中央に旧市章、下に「おすい」の文字が入っている汚水管ホールカバーです。
[3]摂待駅からゴールの久慈駅ヘ

●ホールカバー②:岩手県・久慈市
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*①の近くの歩道で出会ったホールカバーです。
**このホールは、久慈市にある水族館「もぐらんぴあ」の応援団長である「さかなクン」のデザインです。 デザインは、サケの稚魚と成長した雌と雄の鮭が描かれています。周囲には「海が美しい久慈のまち水をきれいに」のメッセージと「久慈市 おすい」の文字が入った汚水管ホールカバーです。

●ホールカバー③:青森県・八戸市
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*八戸駅前のロータリーで出会ったホールカバーです。
**中心に八戸市の市章(「八」と「戸」を図案化した2文字と旧南部藩の「向鶴の紋」が図案化されています)、その周りに市の花・キクがデザインされた汚水管ホールカバーです。

●ホールカバー④:青森県・八戸市
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*③の近くの道路で出会ったホールカバーです。
**カバー全体はJIS規格に似た模様で、中央に八戸市の市章、下部に「汚水」の文字が入った汚水管ホールカバーです。

●ホールカバー⑤、⑥:青森県・八戸市

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*③の近くの歩道で並んでいたカラーの小型ホールカバーです。
**⑤、⑥とも、民芸品の八幡馬(やわたうま)がデザイン(八幡馬が、⑤はピンク、⑥は白でした)されていて、下部に「八幡馬」と「八戸S.S(Sot SeaDの略)」の文字が入っている仕切弁です。

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【2019年9月24日】

●ホールカバー①:青森県・三沢市
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*青い森鉄道線・三沢駅前の車道で出会ったホールカバーです。
**中央に市の木・マツが描かれ、周囲に市の花・サツキがデザインされています。 上部に「MISAWA」の文字が入った汚水管ホールカバーです。

●ホールカバー②:青森県・むつ市
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*恐山から尻屋崎に向かう途中、 むつ市の道路上で出会ったホールカバーです。
**中央にむつ市の市章(ひらがなの「むつ」を図案化し、融和と飛躍発展を象徴したものです)、上部に市の鳥・オオハクチョウ、左右に市の木・ヒバ、下部に市の花・ハマナスがデザインされています。

●ホールカバー③:青森県・東通村
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*尻屋崎灯台前で出会ったホールカバーです。
**マンホールの中には地中送電線(電力ケーブル)が引かれていて、灯台の灯器に送電したいます。ホールの中央には「電」の字、下部には製品名「ICCHU 2K60」(「ICCHU」は、三重県桑名市にある株式会社「一中」でした)が入った送電線用マンホールカバーです。

【おまけ】
*尻屋崎灯台とホールカバー③
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[3]尻屋崎灯台と寒立馬

●ホールカバー⑤:青森県・東通村(ひがしどおりむら)
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*東通村(ひがしどおりむら)を走る太平洋岸沿いの国道338号線で出会ったホールです。
**カバーの右側に遡上するサケが描かれ、周りに顔が描かれたウニ、アワビ、イカ、コンブが並んでいます。下部には、「東通村」と「おすい」の文字が入った地域(尻屋、老部白糠、小田野沢地区の漁業集落排水下水道)の汚水管ホールカバーです。

●ホールカバー⑥:青森県・六ケ所村
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*六ケ所村役場前の国道338号線で出会ったホールです。 
**上部に六ケ所村の鳥・オジロワシ、下部には村の花・ニッコウキスゲ、右に村章が描かれています。周囲に村の木・マツが並んでいる汚水管マンホールカバーです。

●ホールカバー⑦:青森県・おいらせ町 
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*おいらせ町の国道338号線で出会ったホールカバーです。
**カバー全体に、おいらせ町の町の木・イチョウの木と葉が描かれ、右側に「お」「い」「ら」「せ」の字を繋いだ町章が配置されている汚水管マンホールカバーです。

END

●ホールカバーその48:2019.7、9:静岡県、兵庫県、鳥取県

ホールカバーその48は、2019年7月と9月にかけて訪れた静岡県川根本町と兵庫県加古川市、宍粟市、若桜町、鳥取市で出会ったホールを紹介します。

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【2019年7月21日】

●ホールカバー①:静岡県・川根本町
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*静岡県にある寸又峡温泉、その温泉街の通り沿いに設置されていた地下貯水槽のホールカバーです。
**カバーの中央に赤いはしご車が描かれ、その上に町章(上部に森、中間は水、下部は癒しの里をデザイン)が配置されています。上部に「耐震性貯水槽」、下部に「川根本町」と表記された貯水槽のカラー・ホールカバーです。
[1]寸又峡と小森神社

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【2019年9月8日】

●ホールカバー①:兵庫県・加古川市
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*加古川市の名刹・鶴林寺の参道で出会ったカラーのホールカバーです。
**中央に加古川の市章(市の中心を流れる加古川をシンボライズした市章)を配置し、その周りに市花のツツジが描かれています。下部に「加古川市」と「おすい」と書かれた汚水管ホールカバーです。
[2]必見!聖観音像・刀田山鶴林寺

●ホールカバー②:兵庫県・加古川市

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*①の参道の傍で出会ったモノトーンのホールカバーです。

●ホールカバー③:兵庫県・宍粟市芳賀町
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*鳥取県に向かう途中、宍粟市芳賀町(しそうしはがちょう)*** の道の駅で休憩しました。その「道の駅はが」前の道路で出会ったホールカバーです。
**中央に「はが・おすい」その上に旧波賀町の町花・キク、 下にアマゴ(右)とヤマメ(左)、外周に町の木・カエデがデザインされた汚水管ホールカバーです。
***宍粟市は、2005(平成17)年に、宍粟郡の4町(山崎町、一宮町、波賀町、千種町)が合併して誕生した市です。

●ホールカバー④:鳥取県・若桜町(わかさちょう)
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*不動院岩屋堂の公民館前の道路で出会ったホールカバーです。
**カバーの上部に氷ノ山(ひょうのせん・標高1,510m)、その左下に不動院岩屋堂の傍を流れる八東川(はっとうがわ)の流れと鯉、右側に雪の結晶が描かれています。外周には、町の木・サクラがデザインされ「わかさ」「おすい」の文字が書かれた汚水管ホールカバーです。
[3]すっぽり!・不動院岩屋堂

●ホールカバー⑤:鳥取市
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*鳥取城跡の入口で出会ったカラーのホールカバーで、鳥取城跡(久松公園)や鳥取駅前通りの一部のみの設置で希少なものだそうです。
**中央に、「鳥取しゃんしゃん祭」に使われる「しゃんしゃん傘」***が描かれていて、下部に「とっとりし」と「おすい」の文字が書かれた汚水管ホールカバーです。
***「しゃんしゃん傘」は、100個の小鈴をつけた小ぶりの傘で、祭りで踊り子が唄に合わせて廻しながら踊ります。
[4]圧巻の巻石垣・鳥取城址

●ホールカバー⑥:鳥取市
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*鳥取駅北口のサンロード商店街で出会ったカラーホールカバーです。
**⑤と同じ「しゃんしゃん傘」を下から見たデザインの消火栓ホールカバーです。回る傘の構図は、小鈴がしゃんしゃん鳴っている「火消し纏(まとい)」のように見えました。

END

●ホールカバーその49:2019.9:岩手県、青森県 に続く
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«[3]尻屋崎灯台と寒立馬