2020年1月21日 (火)

●ホールカバーその54・2020.1.東京都中央区

ホールカバーその54は、2020年1月、中央区の築地本願寺境内と周辺の道で出会ったホールを紹介します。
築地本願寺の紹介パンフレットで、本堂の階段で観た動物(霊獣)が描かれたホールが紹介されていたので、一つひとつ確認しながら境内の隅々まで探しました。
今回は宝探しのようなホールカバー探しで、探し当てた時の喜びが大きかった出会いでした。

●ホールカバー①:築地本願寺境内
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*築地本願寺インフォメーションセンターと第二伝道会館の間で出会いました。
**ホールの中央に、本堂で見た象が描かれて、下部に「FUKUNISHI」***の文字が刻まれたホールカバーです。
***「FUKUNISHI」は大阪市西区にある福西鋳物株式会社のことで、マンホールカバーを中心に各種鋳鉄品の設計・製造・販売を業務とするメーカーです。

●ホールカバー②:築地本願寺境内
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*①の横で出会いました。
**中心の丸の中に「電」、下部に「FUKUNISHI」が文字があり、全体にL字を元にしたスリップ防止の幾何学模様があるホールカバーです。

●ホールカバー③:築地本願寺境内
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*築地本願寺の第二伝道会館前の北門から続く坂道で出会いました。
**カバー全体に斜め格子の模様があり、上部に「800-5000K」、下部に「DAIICHIKIZAI CO..LTD」文字が刻まれたホールカバーです。
***「DAIICHIKIZAI CO..LTD」は東京都北区にある第一機材株式会社のことで、マンホールカバーを中心に建築・土木・設備用資材の設計・製作・販売・施工を業務とするメーカーです。
 
●ホールカバー④:築地本願寺境内
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*③の傍で出会いました。
**ホールの中央に、本堂で見た孔雀が描かれて、下部に「FUKUNISHI」の文字が刻まれたホールカバーです。

●ホールカバー⑤:築地本願寺裏
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*北門を出て、築地本願寺の周りを南門まで歩きました。その際、東側の公園歩道で出会いました。
**ブルーのホールに、中央区の花・つつじと風になびく柳が描かれています。上部には「中央区」、下部には「灯」の文字が入っている照明関係の小型ホールカバーです。

●ホールカバー⑥:築地本願寺境内
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*築地本願寺境内・駐車場の西側で出会いました。
**ホールの中央に、本堂で見た猿が描かれて、下部に「FUKUNISHI」の文字が刻まれたホールカバーです。

●ホールカバー⑦:築地本願寺境内
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*築地本願寺境内・駐車場の東側で出会いました。
**ホールの中央に、本堂で見た牛が描かれて、下部に「FUKUNISHI」の文字が刻まれたホールカバーです。

●ホールカバー⑧:築地本願寺境内
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*築地本願寺境内の北西にある合同墓の芝生の中で見つけました。
**ホールの中央に、本堂で見た獅子が描かれて、下部に「FUKUNISHI」の文字が刻まれたホールカバーです。

東京都23区のマンホールカバーは統一されていて(23区以外は違います)面白みのないデザインですが、築地本願寺境内のマンホールカバーは、寺所縁の動物(霊獣)を「FUKUNISHI」、「DAIICHIKIZAI CO..LTD」で特注したもので見ごたえがありました。

END

2020年1月20日 (月)

波除稲荷神社・築地本願寺巡り:2020.1.13

今回の歩歩歩ポ~ンは、波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)と築地本願寺の参拝記です。
都営大江戸線・築地駅から歩いて、築地場外市場の奥に鎮座する波除稲荷神社に向かいました。
*波除稲荷神社が鎮座する場所は、江戸開府(1603年)時は一面の海でした。

明暦の大火(1657・明暦3年)の後、4代将軍・家綱公が行った築地海面の埋め立てが荒波で削られ難航していた時、海を漂っていた御神体が見つかり、1659(万治2)年にこの地に建てられた社に祀られました。すると、波風が収まり埋め立て工事が順調に進んだことから、波除稲荷と呼ばれるようになったのです。
それ以来、今日に至るまで「災難を除き、波を乗り切る波除稲荷」として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等にご利益があると言われ、築地の鎮守として崇められてきました。

■波除稲荷神社・鳥居
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*築地場外市場のメインストリートを東に進むと、突き当りに波除稲荷神社の鳥居が見えてきました。

■波除稲荷神社・社殿
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*現在の社殿は、唯一神明造りで1937(昭和12)年に完成したものです。

■獅子殿・厄除天丼大獅子
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*波除稲荷神社には、雄獅子**と雌獅子の2基が祀られています。
**雄獅子は、獅子殿の厄除天丼大獅子です。樹齢3000年の黒檜を使った、高さ2.4m・幅3.3m・重さ1tの大獅子頭で、厄除けの御利益があるとのことです。

■弁財天社・お歯黒獅子
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*雌のお歯黒獅子は、学芸の才能と財を成す弁財天で、高さ2.15m・幅2.5m・重さ700㎏の木彫の大獅子です。
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波除稲荷神社の南側一帯は、仮囲い鋼板の塀が続いていました。
この場所は築地市場跡地に間違いなく、高いところから全景を見たくなり、築地場外市場駐車場ビルの屋上に上りました。

●築地市場跡地
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*屋上から見た築地市場跡地**です。左側(東側)が隅田川方面で、右側(南側)が浜離宮恩賜公園方面です。
**市場が2018年に築地から豊洲へ移転し、約23haの広大な空白地帯を生み出した築地市場跡地です。
跡地は、2020年東京オリンピック大会の選手や関係者を運ぶ輸送バス、乗用車等の基地に使用される旨の説明板がありました。

築地市場跡地を確認した後、場外市場にある「すしざんまい・本店」で昼食をとりました。

●すしざんまい本店・経営理念
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*初めて入ったすしざんまいの店は、寿司はもとより店の方の対応も素晴らしく、“従業員の方々の心地良い対応は何故だろう…”と思いました。
…そして、席から見えた経営理念を読んで、“なるほど!この理念が従業員の皆さんに浸透しているからだ″と思いました。
**下は2019年の初競りの写真です。“木村社長は、初競りのパフォーマンスだけではなく経営理念に裏打ちされた商売をされているなぁ”と思いました。
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気持ちの良いランチタイムを過ごした後、築地場外市場の北側にある 築地本願寺(つきじほんがんじ)を参拝しました。

■築地本願寺
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*築地本願寺は、東京都中央区築地にある浄土真宗本願寺派の寺院**です。
**築地本願寺は、江戸時代の1617(元和3)年、京都の西本願寺の別院として浅草横山町に創建されましたが、1657年の明暦の大火で本堂を焼失しました。その後、江戸幕府から下付された再建場所(当時は海上)が現在の境内で、海を埋め立て本堂を建立したことが「築地」の由来になっています。
また、1923(大正12)年に関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934(昭和9)年に再建されて現在の姿となりました。

■築地本願寺・本堂①
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*本堂の全景です。現在の本堂は伊東忠太博士の設計で、古代インド・アジア仏教様式の外観が特徴です。この斬新な建築が実現できたのは、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞が海外文化への造詣が深い人物だったからと言われています。

■築地本願寺・本堂②
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*築地本願寺は、当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造りで、大理石彫刻がふんだんに用いられ、建物の細部にはインドのみならず和洋中の建築要素が取り入れられています。

■有翼の阿形獅子①

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*本堂正面の南側にある翼が生えた阿形獅子です。

■有翼の阿形獅子②

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*階段を上り、①の後ろ姿を写しました。左右の翼と巻き尻尾は、日本の獅子や狛犬と違っています。

■有翼の吽形獅子

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*本堂正面の北側にある翼が生えた吽形獅子です。

■阿形獅子

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*本堂南側の向拝石柱の阿形獅子です。阿形獅子の口は、しっかり結ばれていました。

■吽形獅子

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*本堂北側の向拝石柱の吽形獅子です。吽形獅子の口は、吠えているように開かれていました。

■本堂入口
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*本堂入口扉の上部を彩るステンドグラスです。

■本堂内陣・須弥壇
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*本堂外陣から、内陣中央の須弥壇を写しました。

■阿弥陀如来像
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*須弥壇には、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)像が安置されていました。

本堂2階と1階のロビーを繋ぐ階段は、北側と南側の2カ所あります。両方の階段の手すりには、様々な霊獣や動物の石像が隠れていました。
2階北側の孔雀と牛を観て、階段を下りて獅子と馬、壁の猿、1階の象を観察しました。

■孔雀
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*大理石の壁を背にした孔雀像は、ふっくらしたフォルムでした。

■牛
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*お釈迦様の名前**の由来にもなっている牛は、インドでは神聖な生き物です。
**お釈迦様は、釈迦牟尼、釈尊と呼ばれますが、本名はサンスクリット語でガウタマ・シッダールタといいます。ガウタマとは「最上の牛」、シッダールタとは「目的(アルタ)を達成した人(シッダ)」という意味です。

■獅子
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*踊り場の獅子です。獅子は、漢訳経典に出てくる獅子吼(ししく)が由来とも言われています。
 
■馬
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*獅子の隣の角が生えた馬です。白い馬に乗ってお釈迦様が出家したと伝わっています。

■猿①
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*階段途中の壁に2匹の猿がひそんでいました。①は左側の猿です。

■猿②
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*②は右側の猿です。猿は、お釈迦様の前世の話に登場しています。

■象
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*お釈迦様の母親(摩耶夫人・マーヤー)は、白像(白象は釈迦の化身)が右脇から身体にはいる夢を見て、懐妊を知ったと伝わっています。

築地本願寺の動物石像は、仏教の説法「三蓄評樹」に由来していて、「物事は全体を見渡すことが重要」という教えを表しているそうです。各動物の立ち位置や視点で観ることが具現化された動物像の階段でした。

●ホールカバーその54・2020.1.東京都中央区 へ続く
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2020年1月 9日 (木)

新春・青渭神社巡り:2020.1.3・7

2020年の初詣は、深大寺と青渭(あおい)神社でした。
青渭神社は、東京の旧武蔵国多摩郡にある神社で、青渭神社の名がついているのは三社(調布市深大寺、稲城市東長沼、青梅市沢井)のみです。
*東京都青梅市沢井(奥多摩)の惣岳山(そうがくさん・標高756m)の山頂に鎮座する青渭神社は、2016年6月19日に参拝しました。

今回の歩歩歩ポ~ンは、四季折々に参拝する調布市と稲城市の青渭神社の参拝記です。

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【2020年1月3日】

正月三ヶ日は大混雑する深大寺ですが、3日の青渭神社(深大寺から300m東に鎮座)は訪れる人も少なく、ゆっくり参拝することができました。

青渭神社の拝殿前に、茅の輪(ちのわ)が置かれていました。

■青渭神社拝殿と茅の輪
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*茅の輪の横に書かれた作法を確認しながら八の字に三度くぐり、心身を清めて参拝しました。

青渭神社は身近な神社ということもあり、縁起や沿革について詳しく調べたことはありませんでした。

改めて調べてみると…。
青渭神社創建の年代は不明ですが、第60代醍醐天皇の927(延長5)年に編纂された『延喜式(えんぎしき)神明帳』では、武蔵國多摩郡八座の内にて官祭の社で、重き御社であったと伝えられています。
古くは、境内に湧水が湧く大きな池があり青波をたたえていたことから、青波天神社とも称されていたそうです。
江戸時代には、隣接する深大寺が別当として管理していて、1873(明治6)年には郷社に列せられ、深大寺町の総鎮守・総氏神となりました。

御祭神は、青渭太神(あおいのおおかみ)・水波能売大神(みずはのめのおおかみ)・青沼押比売命(あおぬまおしひめのみこと)の水神様です。

ということが分かりました。青渭神社HP参照】

●深大寺境内図
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青渭神社の参拝後、注連縄を付けた狛犬をスマホカメラで写しました。

■阿形狛犬
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*1880(明治13)年、石工・内藤留五郎(後の内藤慶雲)作の狛犬達です。阿形・吽形の狛犬は江戸狛犬の様式ですが、両方とも子供の狛犬を抱いている珍しい狛犬です。

■吽形狛犬
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*吽形に抱かれた子どもの狛犬は、尾の方を向いていて甘えているようでした。
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【2020年1月7日】

1月7日、多摩川ランの後、3社目の青渭神社を参拝しました。

稲城市の青渭神社は、JR南武線の稲城長沼駅南150mに鎮座しています。

■青渭神社・参道
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■青渭神社・二対の狛犬
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*青渭神社の社殿前に、二対の狛犬がたっていました。

■阿形狛犬
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*手水舎手前の「玉取りの狛犬」です。台座には「明治十六年(1883年)」の刻銘がありました。

■吽形狛犬
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*「子取りの狛犬」は、風化して親子とも顔の部分が欠けていました。

拝殿に近い狛犬は、両方とも頭天に窪み(凹)があり、初めて見る像容の狛犬でした。

■阿形狛犬①
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*台座には、「文政十三年(1830年)」の刻銘がありました。

■阿形狛犬②
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*②は、①を上側から見た姿です。 頭天の窪み(凹)の形状が良くわかります。

■吽形狛犬①
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*吽形も窪み(凹)のある狛犬でした。

■吽形狛犬②
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*②は、①を上側から見た姿です。 拝殿に近い狛犬は、窪み(凹)のある形状から一般に「カッパ狛犬」**と呼ばれています。

**河童は、頭に水を溜めておく皿(窪み)があり、皿の水が乾くと生きていられない妖怪です。ここの狛犬も、河童と同様に頭に窪みがあり、その像容から「カッパ狛犬」と呼ばれるようになったのでしょう。「この皿に灯明を灯していた、または水を溜めていた」のどちらかと思いました。

■青渭神社・拝殿
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*社殿は、1974(昭和49)年に改築されたコンクリート造りの社でした。

■青渭神社・由緒板
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*拝殿前の由緒板には、「当社創建の年代は詳らかでないが、光仁年中(810-824年)の創立との伝承がある。延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。祭神は青渭神猿田彦命天鈿女命を祀る。昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。現社殿は昭和49年の造営であるが本殿は往昔のままで数百年を経ている。1873(明治6)年郷社に列せらる。」と書かれていました。

 青渭神社の名がついた三社(調布市深大寺、稲城市東長沼、青梅市沢井)は、本社・分社という関係ではないようです。また、御祭神も違っていることから、関係があるかどうかも分かりません。しかし、いずれの青渭神社も多摩川流域に鎮座し、水の神様として地域の人々に祀られてきた神社の面影が残っていました。

END

2020年1月 1日 (水)

●ホールカバーその53・2019.12②:東京都文京区

ホールカバーその53は、2019年12月23日に文京区の東京大学本郷キャンパスで出会ったホールを紹介します。
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【2019年12月23日】

 23日、朝一で根津神社に参拝して「肌守り」のお守りを頂き、隣りの日本医大病院に入院した方のお見舞いに添えました。

…午前中の面会が終わり、午後の面会時間までの間に時間があったので、昼食がてら東京大学本郷キャンパスを散策しました。

 本郷キャンパスでマンホールを見るのは初めてでしたが、いずれも歴史を感じる「いぶし銀」のホールカバーでした。

●ホールカバー①:文京区・東京大学本郷キャンパス
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*東京大学本郷キャンパス・工学部2号館前出会ったホールカバーです。
**中心の丸の中に「電」、その周りに時計回りで「東京帝國大学」の文字が入ったホールカバーです。

●ホールカバー②
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*①の横に設置されていたホールカバーです。
**中心の丸の中に「通信」、その周りに時計回りで「東京大学」の文字が入ったホールカバーです。
***国立大学では、2013年9月に訪れた北海道大学構内のホールカバーにも「北」の文字が入っていました。

●ホールカバー③
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*①、②の近くで出会いました。
**時計回りで「帝大下水」***の文字が入ったホールカバーです。

***1877(明治10)年創立の東京大学は、1886(明治19)年の帝国大学令により「帝国大学(略称・帝大)」へ改称、その後1897(明治30)年に「東京帝国大学」へ、そして1947(昭和22)年に「東京大学」へ改称されました。

それぞれのカバーには、①「東京帝國大学」、②「東京大学」、③「帝大」と書かれています。また、日本で丸形のマンホール蓋を作り始めたのが明治末期から大正にかけて(1910~1920年)なので、①は製造されてから72年以上、③は100年以上経っているのではないでしょうか。

【おまけ】
●法文1号館・アーチ型通路
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●ホールカバー④
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*法文1号館と法文2号館の間の銀杏並木の下で出会ったホールカバーです。
**縦に「帝大」、横に「下水」の文字が書かれていて、「帝大下水」と読むようです。

【おまけ】
●安田講堂
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*④のホールの上から写した銀杏並木と安田講堂です。

安田講堂前広場の地下にある中央食堂で、赤門スパゲティを食べて、病院に戻りました。

…お見舞いした方は、年末に無事退院でき、めでたしめでたしでした。

END

2019年12月31日 (火)

●ホールカバーその52・2019.12①:紋別市、雄武町、稚内市

ホールカバーその52は、2019年12月に出会った北海道の紋別市、雄武町、稚内市のホールカバーを紹介します。
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【2019年12月13日】

●ホールカバー①:紋別市
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*紋別港から力二の爪像に向かう車道で出会いました。
**左上に海鳥、中央に「氷海展望塔オホーツクタワー」、右には海面とアザラシが描かれ、上部に「オホーツクタワー」、下部に「MOMBETSU」と「汚水」の文字が入った汚水管ホールカバーです。

【おまけ】
●ホールカバー①と力二の爪像
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●ホールカバー②:紋別市
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*力二の爪像前の広場で出会ったホールカバーで、周りの芝生には、凍った雪が残っていました。
**左上に海鳥、右上に灯台、中央に砕氷船ガリンコ号と流氷の海が描かれています。また上部に「ガリンコ号」、下部に「MOMBETSU」と「TANAKA FOUNDRY(田中鋳造所)」の文字が入ったホールカバーです。

●ホールカバー③:紋別市
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*紋別港の近く、マルカイチ水産前の車道で出会いました。
**③は、②のガリンコ号を斜め後から見た姿を描いています。周りは海面で、流氷を割りながら右上方向に進んでいる絵柄のホールカバーです。

●ホールカバー④:紋別市
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*紋別市の中心部を歩いて、厳島神社に向かう途中の路で出会いました。
**舵輪の中にアザラシが描かれています。舵輪の上部に「もんべつ」、下部に「おすい」の文字が入った小型のホールカバーです。

●ホールカバー⑤:紋別市
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*紋別市の中心部「オホーツク氷紋の駅」の歩道で出会いました。
**紋別市の市花・ハマナスが描かれたカラーマンホールカバーです。

●ホールカバー⑥:紋別市
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*⑤の傍の歩道で出会いました。
**⑤と同じ、ハマナスが描かれたモノクロのホールカバーです。

●ホールカバー⑦:紋別市
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*厳島神社の鳥居前の車道で出会いました。
**ホールの中央に紋別市の市章、市章の左右に「紋」「下」の文字が入っています。周りは、東京市型の地紋のホールカバーです。
 
●ホールカバー⑧:紋別市
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*⑦の近くの車道で出会いました。
**ホールカバー④と同じ舵輪の中に紋別市に縁の深いアザラシが描かれていますが、舵輪のデザインがより細かくなっています。また、アザラシの左に灯台、下には海が描かれています。アザラシの顔の上に「もんべつ」の文字、下端に「おすい」の文字が入ったホールカバーです。
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【2019年12月14日】

●ホールカバー①:雄武町
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*「道の駅おうむ」前のロータリーで出会いました。
**ホールの中心に雄武町の町章***があり、中央の六角形の中にはホタテと毛ガニが描かれています。ホール上部には雄武町の花・ハマナス、左右は,回遊からふるさとに戻り産卵の準備に入るころの「めじか」と呼ばれるサケが描かれた汚水管のホールカバーです。
***おうむのヲを六つ組み合わせて雪形にし、その中央に北斗星を配置して北見雄武を表現しています。また、青色は広大な空とオホーツク海を象徴しています。[雄武町HPより]

●ホールカバー②:雄武町
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*①の近くの歩道で出会いました。
**中央に風船のような魚が描かれ、周りには魚が吐く泡と海藻が描かれた汚水管ハンドホールカバーです。

●ホールカバー③:雄武町
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*①、②を写して、ロータリーを一回りした車道で出会いました。
**中央に国土交通省北海道開発局章があり、その下に「北海道開発局」の文字が入っています。周りは、カバー面に穴が開いているホールカバーです。
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●ホールカバー④:稚内市
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*野寒布岬から稚内灯台に向かう雪の車道で出会いました。稚内を代表するカバーなのでしょう。前に訪れた人たちが、ホールと周りの雪を取り除いているようで、撮影にはベストの状態でした。
**夕日に染まる日本海と利尻山を背景に、南極地域観測隊に同行した樺太犬の「タロ・ジロ」の兄弟犬と、稚内港のシンボル・北防波堤ドームを配したカラーホールカバーです。

●ホールカバー⑤:稚内市
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*野寒布岬・恵山泊漁港公園前の車道で出会いました。
**中央に稚内市の市章が入った通常型のホールカバーです。

【2019年12月15日】

●ホールカバー⑥:稚内市
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*北門神社の第一鳥居をくぐって本殿に向かう参道で出会いました。
**中央に市章が入り、周りは亀甲模様のホールカバーです。

●ホールカバーその53・2019.12②:東京都文京区 に続く
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2019年12月29日 (日)

[6]空撮・雲海に浮かぶ百(二百)名山

稚内空港を離陸したANA572便(ボーイング737-800)は 、雪雲を抜けて稚内上空に出ました。

…すると、幸運にも雲海の彼方に利尻山(りしりざん)の頂が見えたので、スマホのカメラで写しました。

●利尻山(望遠):13.35

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*利尻山は、利尻島に聳える独立峰で、利尻富士と呼ばれる秀麗な日本百名山です。山頂は、北峰(1,719m)と南峰(1,721m)に分かれています。

**利尻山は、社会人なりたての夏休みに、同僚のS氏の車で移動しながら登った北海道の山の1つでした。

稚内港からフェリーで利尻島の鴛泊港(おしどまりこう)に渡り、利尻北麓野営場登山口(220m)でテント泊。翌日、利尻山の北峰(1,719m)に登りました。1,500mの標高差と登山道の急斜度に苦労しながら登頂したことを思い出しました。

●羊蹄山:13.56
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*右翼のジェットエンジンの上部に、支笏湖と冠雪した支笏湖紋別岳(865.6m)が見え、奥の雲が切れた所(7の字の右上部)には、雪の羊蹄山(ようていざん・1,898m)が見えました。

**羊蹄山は、別名で後方羊蹄山(しりベしやま)、蝦夷富士(えぞふじ)と呼ばれ、日本百名山に選ばれています。

●空から見下ろす飛行機雲:14.02
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*内浦湾の上空です。オレンジ色に染まり始めた雲海の上をジェット機が飛んでいて、真っ白な飛行機雲をつくっていました。空から飛行機雲を見下ろしたのは初めての経験でした。

●栗駒山:14.28
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*“雲をせき止め、左右に分けている山の名は?”と見ていると、「当機は高度13,000mで飛行中です。ただいま栗駒山が右側に見えます。」と機内アナウンスがありました。

**栗駒山(1626m)は、奥羽山脈の中央に位置しています。宮城・岩手・秋田の三県にまたがる山で、日本二百名山や花の百名山に選ばれている東北の名峰です。


●筑波山と富士山:14.50
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*飛行機は着陸に向けて高度を下げ始め、筑波山の上空に出ました。雲の上を照らす夕日の彼方(左奥)に、富士山の姿も確認できました。

**筑波山(877m)は日本百名山の中でも最も標高が低い山ですが、古来から富士山と並び「西の富士、東の筑波」と称され、信仰の山として親しまれている名峰です。

●富士山:14.54
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*更に降下した飛行機から、利根川(右下)と手賀沼(中央下部)が見え、東京湾(中央左端)も見えてきました。そして、茜色の空と雲海の間に聳える富士山も見ることが出来ました。

**富士山は、3,776.12mの日本一の高さを誇る日本百名山です。

稚内から羽田までの空は、雲海に浮かぶ日本百(二百)名山を見ることができた至福の空旅でした。

END

[5]日本最北の駅・稚内駅

稚内駅は、昨晩(14日)、二大ガニ(毛ガニ・タラバガニ)料理を食べた後に訪ね、一回りしていました。

●稚内駅(14日)
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*JR稚内駅**は、宗谷本線の終着駅であり、日本最北端の駅です。
**2011(平成23)年4月に稚内駅再開発ビル・キタカラ(KITAcolor)が建ち、新しい駅舎(4代目)となりました。

●JR稚内駅前・案内標識(14日)
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*JR稚内駅前のロータリーに設置された案内標識です。行き先が、日本語・英語・ロシア語で表記されていました。

●宗谷本線の線路・終着点(14日)
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*キタカラ(KITAcolor)から見たJR稚内駅の線路の終着点です。

●最北端の線路・説明板①(14日)
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*JR稚内駅に「最北端の線路」の説明板が立っていました。

稚内駅から、今朝ホテルの窓から見えた幹線道路を歩いてホテルに戻る途中、駐車場から道路を小走りで横断してくるキタキツネに出会いました。目の前で一度立ち止まったキタキツネは、驚いた様子もなく"凍れますねぇ…” と目であいさつして横切っていきました。


… 15日朝、JR稚内駅を再訪しました。

●最北端の線路・説明板②
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*15日朝、昨晩と同じ所から「最北端の線路」の説明板を写しました。

●稚内駅ホーム①
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*窓口で入場券を買い、ホームに入りました。ホームから駅舎を見ると、レールの終着点に車止めが設置されていました。

●稚内駅の入場券・ステーションカード
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*ホームに、稚内駅の入場券と改札口で貰ったステーションカードを並べました。

◎稚内駅ステーションカード・デザイン
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*稚内駅のカード裏面のデータの中に、「駅別乗車人数:平成25~29年の5年間平均:120.0人」とあり、“こんなに立派な駅の1日の乗車数の平均が、120名?”とビックリしました。

●稚内駅ホーム②
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*ホームの柵に「北と南の始発・終着駅」、柱には「わっかない」と「枕崎駅より3,099㎞」のプレートがありました。

●稚内駅ホーム③
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*次の柱に「わっかない」、「指宿駅より3,057㎞」のプレートがありました。

●稚内駅ホーム④
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*ホーム中央に、「日本最北端 稚内驛」の板札がありました。

●稚内駅ホーム⑤
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*ホームを南端まで歩き、振り返って写しました。フェンスに立てられた赤い雪かき箒が印象的でした。

●KANE POPPO
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*駅1階アトリウムに、流政之氏の作品「KANE POPPO(カネポッポ)」が展示されていました。

**1993年、JR東日本が車両を改修してサハリン鉄道に無償で譲り渡した際、ロシア側から友好の返礼として寄贈された鐘を使用した作品です。

●KANE POPPO・説明プレート
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●きっぷ運賃表
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*稚内から新千歳空港までの運賃表がありました。運賃は、旭川(5,940円)、札幌(10,560円)、新千歳空港(10,910円)で、北海道の広さと鉄道運賃の高さを感じた運賃表でした。

**ちなみに、稚内から枕崎駅までの運賃は、58,600円でした。

今日の歩歩歩数は、9,600歩でした。

[6]空撮・雲海に浮かぶ百(二百)名山 に続く
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[4]雪の稚内と北門神社

12月15日7時30分、部屋のカーテンを開けると、南西側に雪景色のJR稚内駅が見えました。

●ホテルから見た稚内駅
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*JR稚内駅前の駐車場から除雪車が出てきて、幹線道路の雪かきをしていました。

●ホテルから見た宗谷湾
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*ホテルの窓から見た北西側の風景です。右奥が昨日行った野寒布岬と稚内灯台です。

今日は、旧瀬戸邸の見学と北門神社(ほくもんじんじゃ)の参拝、そして稚内駅の散策後に稚内空港に向かいます。
まず、稚内市内の旧瀬戸邸を訪れました。
*稚内は、1945~1970(昭和20~40)年代に底曳網漁の前線基地として繁栄していました。旧瀬戸邸は、底曳漁業を営んでいた瀬戸常蔵氏の住宅として1952(昭和27)年に建てられました。

●旧瀬戸邸
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*旧瀬戸邸の外観です。中央玄関横のレンガの煙突は床暖房用の煙突です。
**室内を案内してもらった観光協会の方から「家屋は1階が北海道様式で、2階は部屋の周りを廊下が囲んでいる本州様式の造りです。」との説明がありました。
各部屋を回ると、1階座敷には、当時の宴席風景が再現されているほか、稚内の漁業に関する展示物などがあり、稚内の漁業の歴史を振り返る施設となっていました。

次は、稚内公園の麓に鎮座する北門神社に参拝しました。

■北門神社・鳥居
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*北門神社の第一鳥居です。

第一鳥居をくぐって50mほど歩くと、本殿に続く石段があり、数えながら上ると80段でした。

■三吉神社・鳥居と社殿
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*北門神社の末社・三吉神社**の鳥居と社殿です。鳥居も社殿も白色で、真っ白な雪とのグラデーションが見事でした。
**三吉神社は、紋別でも参拝した太平山三吉神社と同じ秋田の太平山三吉神社総本宮を本宮とする神社です。
 
■三吉神社・阿形狛犬 
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*丸い台座に座る阿形狛犬です。頭から背にかけて雪が鬣のように積もっていました。

■三吉神社・吽形狛犬
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*吽形狛犬は前脚の間に子犬を護るように抱いています。台座に1923(大正12)年建立と記されていました。

参道の先に、北門神社の社殿が見えてきました。朱色の梁と両脇の白い向拝柱が鳥居になっていました。

■北門神社・拝殿①
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*地理的な最北端の神社は宗谷岬神社ですが、北門神社は宮司が常在していて御朱印を頂ける神社として日本最北端の神社**です。
**北門神社は、1785年(天明5年)に松前藩の場所請負人が、宗谷在駐の際に小社を建立し宗谷大神宮と称したことが創始と伝えられています。1896年(明治29)年に現在地に遷移し、北門神社となりました。現在の社殿は、1978(昭和53)年に完成したものです。

■北門神社・阿形狛犬
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*拝殿前の狛犬も岡崎型で、奉納年は1997(平成10)年と記されていました。

■北門神社・吽形狛犬
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*吽形狛犬は、三吉神社の吽形狛犬と同じく前脚の間に子犬を抱いていました。

■北門神社・社殿
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*北門神社の御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)の三神です。

北門神社の三神を拝し、稚内駅に戻りました。

[5]日本最北の駅・稚内駅 に続く
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2019年12月27日 (金)

[3]稚内灯台と稚内港北防波堤ドーム

宗谷岬から稚内市内を通って、宗谷海峡の西端の野寒布岬(のしゃつぷみさき)と稚内灯台に向かいました。

●稚内灯台①  
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*野寒布岬から車道を50mほど歩き、海岸に下りて灯台を写しました。稚内灯台は、北海道で1位の高さ(塔高・42.7m、灯火標高・42m)**を誇り、堂々とした姿で建っていました。
**稚内灯台は、全国では島根県日御岬(ひのみさき)灯台に次いで2番目の高さです。

●稚内灯台②
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*稚内灯台は、初点灯が1900(明治33)年12月10日という歴史を持ち、日本の灯台50選にも選ばれています。

●稚内灯台③
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*灯台直下から写しました。下から仰ぎ見ても堂々とした姿です。
説明板の地図には、稚内灯台とともに宗谷海峡や利尻島、礼文島の位置が示されていて、宗谷湾をはじめ、宗谷海峡や日本海の航路を守る重要な灯台ということが分かりました。

●恵山泊漁港公園のイルカ像
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*日没前の野寒布岬・恵山泊漁港公園です。今日は雲で隠れていましたが、晴れて海霧の立たない日は、ここから利尻島(利尻山)や礼文島が望めます。

●恵山泊漁港とレーダーサイト
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*恵山泊漁港公園から、雪の恵山泊漁港と山麓のレーダーサイト**を写しました。
**レーダーサイトがある稚内分屯地(ぶんとんち)は、3自衛隊(航空・陸上・海上)が共同使用している防衛施設です。山頂や山麓にレーダードームが林立していました。

●熊肉・エゾ鹿肉・トド肉の缶詰

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*野寒布岬の土産物店で、棚に並べられていた熊カレー・エゾ鹿みそ煮と角煮・トド肉の缶詰を見つけました。“需要があるので製造されているだ”と思いましたが…、やはり手が出ませんでした。

野寒布岬から稚内に向かい、稚内港北防波堤ドームに立ち寄りました。

●稚内港北防波堤ドーム①
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*稚内港が旧樺太航路の発着場だった時代、冬季の北西からの越波防止のために、1931年(昭和6)年から5年がかりで建設された防波堤です。
防波堤ドームは半アーチ式の構造で、高さ13.6m、柱間6mの円柱70本を並べた長さ427mの回廊です。

●稚内港北防波堤ドーム②
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*①の反対側(東側)を写しました。

●稚内港北防波堤ドーム③
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*①、②の撮影地点の外から東側を写しました。旧樺太航路の発着場跡に稚泊航路(稚内と樺太の大泊を結ぶ航路)の記念碑(手前)、そして稚内桟橋駅跡には宗谷本線で使われていた蒸気機関車の車輪(右奥)が展示されていました。

今日の歩歩歩数は、7,870歩でした。

[4]雪の稚内と北門神社 に続く
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2019年12月26日 (木)

[2]日本最北の地・宗谷岬と宗谷岬神社

朝、紋別を出たツアーバスは、オホーツク海に沿った国道238号線を走り、宗谷岬に向かいました。

雄武町、江幸町へと続く国道238号線の風景は、雪と氷の世界です。

●北見幌別川 
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*紋別と稚内の中間点・江幸町を流れる北見幌別川の風景です。川は氷で覆われ、表面に雪が積もっていました。

江幸町から浜頓別(はまとんべつ)町のクッチャロ湖に向かいました。町内を通過中、学生時代に浜頓別に立ち寄ったことを思い出しました。
*大雪山の偵察を終えて宗谷本線で稚内に向かい、宗谷岬に行った後、天北線[1989(平成元)年廃線]の列車で移動し、浜頓別駅に降りました。

駅前の市場で天然のホタテ・貝柱を買ったとき、市場のおばちゃんが「学生さん、ごはん食べて」とごはんと醤油を出してくれたのです。おばちゃんのやさしさと天然ホタテの刺身、ごはんの美味しさに感激しました。

●はまとんべつマップ
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*浜頓別町にあるクッチャロ湖は、周囲27kmの海跡湖で、大沼と小沼の2つの沼が水路で繋がっています。
クッチャロ湖は日本とロシアの間を渡る水鳥の中継地で、春と秋に数千羽のコハクチョウと数万羽のカモ類が見られます。

●クッチャロ湖畔①
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*クッチャロ湖畔・水鳥観察館横の岸辺に集まったコハクチョウとカモです。

●クッチャロ湖畔②
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*ここで越冬するコハクチョウとカモです。秋から冬にかけてクッチャロ湖に飛来するコハクチョウは、ここを中継地として日本各地の越冬地に南下していきます。

●オジロワシとオオワシの剥製
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*水鳥観察館内に展示されていた天然記念物のオオワシ(左)とオジロワシ(右)**の剥製です。
**オジロワシは、今日通った国道238号線で道沿いの電柱の上にとまっている姿を2回見ましたが、冬の北海道ではよく見かけるとのことでした。

昼食は、猿払で天然ホタテづくしランチでした。ここは、日本一の天然ホタテの水揚げで豊かな村とのこと。国道238号線沿いには、ホタテ御殿が並んでいて、ホタテパワーの威力を見ることができました。

14時過ぎに宗谷岬に到着。早速、海岸段丘の麓に鎮座する宗谷岬神社に参拝しました。

■宗谷岬神社・鳥居
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*宗谷丘陵の先端(左)と国道238号線やオホーツク海(右側)の間に建つ、日本最北端の宗谷岬神社です。

■宗谷岬神社・拝殿①
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*拝殿前の梁と両脇の向拝柱が朱色に塗られていて、鳥居のようでした。

■宗谷岬神社・拝殿②
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*宗谷岬神社は、1889(明治22)年に宗谷岬付近に建立され、2001(平成13)年、この地に遷座されました。宗谷岬神社の祭神は、市杵島姫命で宗谷管内に広く分布する厳島神社の一つです。

■狛犬・阿形
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*宗谷岬神社の狛犬も、日本最北端の狛犬です。円盤状に巻いた毛先や立ち耳の特徴から岡崎様式で、阿形狛犬は玉取りの狛犬でした。

■狛犬・吽形
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*吽形狛犬は子取りの狛犬で、奉納は2004(平成16)年と記されていました。

宗谷岬神社から宗谷丘陵を登って宗谷岬灯台に向かいました。

●宗谷岬灯台①
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*宗谷岬灯台は、日本最北に位置する灯台です。 宗谷岬灯台の歴史は古く、道内では3番目に建てられ、1885(明治18)年9月25日に初めて点灯されました。
 
●宗谷岬灯台②
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*宗谷岬灯台は、日本の灯台50選に認定されていて、1912(大正元)年の2代目を経て、1954(昭和29)年に現在の3代目(塔高17m、灯火標高40m)となっています。

●日本最北端の地の石碑
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*宗谷岬の突端に建つ「日本最北端の地(北緯45度31分22秒)」の石碑です。奥には、雪雲とオホーツクの海原が広がっていました。

●サハリンと北海道北部の地図
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*「日本最北端の地」の石碑の東側に、御影石に彫られた宗谷地方と旧樺太(サハリン)の海岸線の地図がありました。晴れていれば、宗谷海峡の沖合にサハリンの島影が見える(距離・43㎞)とのことでした。

[3]稚内灯台と稚内港北防波堤ドーム に続く
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