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2014年4月

2014年4月28日 (月)

陽春の天神山、長瀞:2014.4.27

春風の中、埼玉県神川町の天神山に行ってきました。  

8年前に原家所縁の方に招かれ、天神山を訪ねた家人から、“素晴らしい庭園で4月のみ特別公開”と聞いていたので、是非訪ねてみたいと思っていました。

…9時に家を出発。中央高速で八王子と鶴ヶ島ジャンクション(圏央道)を経由し、本庄児玉インターで降りました。そして、のどかな462号線を走り、11時過ぎに神川町渡瀬に到着しました。

■原善三郎・生家

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■蔵・観音開扉

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*原善三郎・生家の南側に建つ蔵の窓です。窓は観音開扉で、厚い土壁と銅製の扉が重量感を与えていました。

■天神山・門

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*天神山は、明治時代に生糸貿易で財を成した原善三郎(1827~1899)**が 故郷の渡瀬に作った回遊式庭園の総称です。

**原善三郎の孫娘と結婚し原家に入籍した原三渓(1868~1939)は、原善三郎の横浜の別邸跡に三渓園(さんけいえん)を作りました。三渓園は名刹を移築した庭園で、天神山の何倍もの規模ですが、この天神山が三渓園の源となった庭園だと思いました。

■筝曲・勉強会ポスター

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*門の扉に、筝曲・勉強会ポスターが貼られていました。29日は琴の音と春の花、神流川の川風が楽しめる宴になるのでしょう。

■天神山・「天神稲荷」

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*屋敷神の「天神稲荷」です。「天神社」は菅原道真公関連の神社で『災い除け』と『学問』を表し、「稲荷」は伏見稲荷のように『商売繁盛』を祈念しているのでしょう。

■天神山・水芭蕉園

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■天神山・小滝の池

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*水芭蕉園の先に小滝の池がありました。地形を活かし、池泉の周りを巡る回遊式になっていました。

■天神山・ミツバツツジの咲く道

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*小滝の池から続く道です。ミツバツツジの薄紫と山ツツジの赤が鮮やかでした。

■使いの牛

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*京都の北野天満宮でも見かけましたが、使いの牛は菅原道真が丑年生まれで、天神様の使いが牛であることに由縁しているそうです。家人の話だと、所縁の方が幼少の頃、よく使いの牛に乗って遊ばれたとか…。天神山全体が遊びの場とは素晴しいですね。

…天神山から神流川に降りました。

■神流川(下流方面を撮影)

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*天神山の西側は神流川です。石垣の門から神流川に降りると、舟溜まりの跡がありました。

■神流川(川岸から天神山の石垣を撮影)

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*西側は神流川の崖と石垣、東側は林の斜面になっているため、天神山(庭園)は外界から隔絶された別世界となっていました。

■石垣門跡

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*石垣には、神流川と天神山の出入口となる門跡がありました。左上が船溜まり跡です。

■天神山・別荘 

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*別荘の戸袋には、庭園内に植えられている亀甲竹(キッコウチク)が意匠として使われていました。

庭園の桜、ミツバツツジ、レンギョウの多くは、花が散った状態でしたが、天神山は神流川を借景とした自然と建物が調和した素晴らしい庭園でした。

…天神山を後にして、県道13号線を南下し、峠越えで長瀞に向かいました。
長瀞を訪ねるのは初めてです。昼食をとろうと立ち寄った長生館が今日は予約のみということで、フロントの方が岩畳に面した「見晴」という食堂を紹介してくれました。

「見晴」で、岩畳やライン下りを眺めながら昼食をとった後、岩畳に登りました。

■長瀞岩畳(下流側を撮影)

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■長瀞(カナディアンカヌー)

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岩畳の散策の後、北桜通りに入る前に見つけた「長瀞観光いちご園・福島農園」に向かいました。

■長瀞・福島農園

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■福島農園・イチゴハウス

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*おかみさんの話では、2月14-15日に降った雪が70cm位の記録的な大雪で、イチゴハウスが半分潰されたそうです。70cmの積雪となると、左のボイラータンクの底付近まで達していることになります。

■ハウスのイチゴ

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*無事だったイチゴハウスで、30分のイチゴ狩りを楽しみました(暑くて15分で外に出ましたが、3種類のイチゴを食べました)。

■ナショナル・セパレートステレオ

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*受付のある事務所は、解体した小屋の骨組みを使って2階建てにしたそうです(今年2月完成)。2階は休憩室になっていて、おかみさんからお茶と漬物をいただきました。

*2階の休憩室にはセパレートステレオがあり、おかみさんが70年代のベンチャーズのレコード【EP版・45回転は云十年ぶりでした】やムード歌謡【LP版・33回転】をかけてくれました。「レコード持って、いつでもおいで」という気さくなおかみさんにお礼を言って福島農園を後にしました。

●福島農園URL:
http://d.hatena.ne.jp/ichigopyon12/

■山小屋のランプ

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*「山小屋のランプ」 (清水武甲)が、2階の休憩室に掛けてありました。この写真を撮影した小屋は、奥秩父の雲取でしょうか?霧に浮かぶ木立ちと灯油ランプの灯りは山小屋そのものでした。

…長瀞からの帰路は、関越自動車道には戻らずに秩父に向かいました。秩父からは、武蔵の山々が見える西武秩父線沿いの299号線を走り、高麗に出て、入間インターから高尾(八王子JCT)経由で帰りました。

今日の歩歩歩数は、10,500歩でした。

2014年4月20日 (日)

高桐院・光悦寺:2014.4.19

今日は、12時に京都市営地下鉄北大路駅をスタートしました。

出発が午後になったのは、午前中に2週間前の落し物【カード入れ(京都市営地下鉄1dayパス、Sicaカード等】を引き取りに、山科警察署に出向いていたためです。
桜見物で混雑していた醍醐寺で落としたと思い、“雨の参道に埋もれたのでは…”と、あきらめていましたが、カード入れは勧修寺で観光者に拾われ届けられたとのこと。
“やはり、日本は誠実な人が多いなぁ”としみじみ思いました。(落とすほうがよくないですね。気を付けます。)

…北大路駅をスタートし、西側にまっすぐ延びる道を歩き、大徳寺と今宮神社を目指しました。

◆大徳寺・高桐院参道

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◆高桐院参道(境内側から撮影)


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*高桐院の参道は、竹林も紅葉も若葉の装いでした。

◆今宮神社・本殿(右)疫神社(左)

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*大徳寺と今宮神社は、いつもセットで参拝します。今日は昼食後だったため、神社前の「あぶり餅」は食べませんでした。

…今宮神社から鷹峯(たかがみね)街道の緩やかな坂道を登り、光悦寺に向かいました。
途中、「京の七口」** の一つの長坂口にあたる鷹ヶ峰の御土居(おどい)を見学しました。

**「京の七口」は、京都(洛中)から洛外(周辺地域)へ延びる街道の出入口の総称で、御土居築造時に開けられた出入口にはじまると言われています。

◆長坂口・御土居(おどい)

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*御土居は、豊臣秀吉によって作られた洛中を囲む土塁です。御土居は、豊臣秀吉が1591年に洛中を囲む22.5キロの土塁と堀を4ヶ月位の期間で築いたと言われています。

【御土居説明板】

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…御土居から鷹峯街道をしばらく歩き、松野醤油店から左(西側)の細い道に入りました。
突き当りの道を下ると、「しょうざんリゾート京都」の北側、紙屋川沿いの集落に出ました。ここから、再び、坂を上り、見晴らしの良い畑から鷹峯三山を写しました。
京都郊外とは思えない程の奥深さを感じた鷹峯三山の風景でした。

◆鷹峯三山(鷹峯・鷲峯・天峯)

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◆鷹峯・寺院案内板

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鷹峯三叉路から、まず吉野太夫ゆかりの常照寺(じょうしょうじ)に向かいました。彼女が寄進した朱塗りの門があり、吉野門と呼ばれています。

◆常照寺・参道と吉野門 

 
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◆源光庵

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源光庵から光悦寺に向かいました。
光悦寺は、本阿弥光悦(1558~1637)が、1615年に徳川家康から与えられた鷹峯の領地に草庵を結び、堂を建てたのが起こりと言われています。
その後、光悦町が生まれ、「日本最強のマルチアーティスト」または「日本のダ・ヴィンチ」とも言われる光悦を慕う芸術家達が移り住み、京都の芸術・文化のメッカとなったのです。

◆光悦寺・参道(入口から撮影)

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◆光悦寺・参道(境内側から撮影)

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*今日は光悦寺の境内には入らず、参道で引き返しました。参道は入口から緩やかに下っていて、その先に休憩用の東屋があります。参道の石畳や竹の囲いと苔の組み合わせが高桐院に似ていました。
次は、早朝からゆっくり訪れたいと思いました。

…光悦寺を出て、傍の光悦茶屋に立ち寄りました。
茶屋では、中庭を見ながらゆっくりし、昆布茶と和菓子をいただきました。
茶屋の方に、紙屋川に下る路を確認すると、「長坂道を下りて紙屋川沿いに歩いていくと金閣に繋がっていますよ。」と教えていただきました。

◆長坂道・入口

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◆吟松寺

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*吟松寺は、ガイドブックには載っていないのですが、地元では隠れた紅葉の名所として知られているそうです。寺の境内の紅葉の枝に葉が芽吹いていました。

吟松寺から紙屋川沿いに歩き、「しょうざんリゾート京都」の外周を金閣寺方面に進み、今日のゴールの「千本北大路バス停」まで歩きました。
市営バスで河原町に出て、錦天満宮で「錦の水」を汲んで帰途に着きました。

【今日のコースMAP】

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今日の歩歩歩数は、24,200歩でした。

2014年4月13日 (日)

谷・根・千散歩:2014.4.12

お昼から、家人と「谷・根・千」と呼ばれる谷中・根津・千駄木を訪ねました。

…JR西日暮里駅を降り、西日暮里公園への坂道を登り、公園から高台の道を歩いて谷中商店街へ下りる坂=「夕焼けだんだん」に向かいました。

●夕焼けだんだん

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*「夕焼けだんだん」を下った場所から振り向いて撮りました。

「夕焼けだんだん」に着いた時間は、14時20分。そこから1分のひみつ堂に氷を食べに行きました。

…ひみつ堂前の道は、店頭横と反対側の歩道の人を合わせて40名位の行列でした。今日は温かい昼下がりだったので、1時間半位の待ち時間を覚悟して並びました。

●ひみつ堂 ・看板

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*ひみつ堂の由来は、「氷の蜜」で「氷密(ひみつ)」と言うそうです。以前、TV番組でひみつ堂の氷が天然氷(日光天然氷蔵元・三ツ星氷室の天然氷)ということで、今日の谷・根・千散歩の一番目的でした。

*並んでから1時間10分が過ぎて、ようやく店内に入れました。店内では、氷を優しく削るリズミカルな音を聞きながら5分ほど待ち、席に案内されました。…春の限定「うぐいす桜」と「旬生ひみつのいちごみるく」を注文しました。

*氷が運ばれる前に、店の方から「今日はまだ寒いので…」とホカロンを2つ頂きました。結局使いませんでしたが、お店のスタッフの方(7名)の立ち居振る舞いがやさしく、店全体が“冷たい氷を食べても、体と心が温かくなる「ひみつ堂」”でした。

●うぐいす桜

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●旬生ひみつのいちごみるく

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*どちらも、期待以上の優しい天然氷の美味しさでした。土日も16時以降がすいているとのこと。今度はひみつ堂で氷を食べた後、「夕焼けだんだん」で夕焼けを待ちたいと思いました。

◆ひみつ堂
http://himitsudo.com/

…谷中の商店街から、谷中と千駄木の境の狭い道を南に歩きました。。道は「ヘビ道」と言われていて、東側の家の住所が「谷中○丁目」、西側が「千駄木○丁目」となっていました。
…路地で遊ぶ子供を見かけました。この道沿いに住む子どもたちは、はす向かい同士だと通う小学校が違ってしまうのですね…。今の時代は、越境可能なので大丈夫なのでしょうか…。いろいろな情景がイメージできる昭和の路地の佇まいでした。
…「ヘビ道」を5分ほど歩いて、着きあたりの道を西に向かい、不忍通りを渡って根津神社を参拝しました。


●根津神社・乙女稲荷神社

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●乙女稲荷神社へ続く鳥居群

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*伏見大社の「千本鳥居」のような鳥居群が、乙女稲荷神社への参道に連なっていました。

●唐門・瑞垣から見た楼門

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●根津神社・拝殿

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根津神社から根津教会を経て、谷中「澤の屋」の前を通り、谷中霊園に向かいました。

●根津教会

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*根津教会は、正式名が「日本基督教団根津教会」で、1919年 竣工の洋風建築ですが、周囲の民家の中に溶け込んでいました。

●みかどパン店・ヒマラヤ杉

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*みかどパン店(三叉路にあるから「みかど(三角)」という店名だそうです)は、谷中1丁目に古くからあるパン屋さんで、明治後期に建てられたと言われています。現在、三叉路にあるヒマラヤ杉の保護運動が行われているそうです。

*三叉路を左手に曲がり、50mほど歩くと、「繪処アランウエスト」(日本画家アラン・ウエストさんのアトリエ)がありました。ここの見学は事前予約が必要なので、今日は表から眺めて、谷中霊園に向かいました。


…谷中霊園は初めてでしたが、霊園の案内板を確認すると、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の墓があるとのこと。俄か墓マイラーとなって墓所を参拝しました。

●谷中霊園・徳川慶喜公墓所

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*徳川慶喜の墓地の所有を確認すると、「寛永寺墓地」と書いてありました。徳川慶喜の墓は写真左側、葵の紋の奥にある円墳の墓です。(規模は違いますが、京都・泉涌寺の天皇陵、伏見の明治天皇陵、そして多摩の大正、昭和の各天皇の陵墓も円墳状です)

*徳川慶喜(1868~1913没:第15代征夷大将軍、在職:1867年~1868年)の墓は、「なぜ徳川家の霊園ではなく谷中霊園にあるのだろう?(もしくは、歴代将軍が埋葬されている増上寺や寛永寺ではないのか?)」 と思い、調べてみると、
「…朝敵とされた自分を赦免した上、華族の最高位である公爵を親授した明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀を仏式ではなく神式で行なうよう遺言した。このため、慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳が建てられた。京都で歴代天皇陵が質素であることを見て感動したためである」
の説があり、納得しました。

●谷中霊園・横山大観の墓

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*横山大観(1837~1958没)の墓の隣は、鳩山一郎の墓でした。

●谷中霊園・天王寺五重塔跡 

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*幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった二代目の塔は、1791年の建立、高さ34.18mで関東一の高さを誇っていたそうです。五重塔は、関東大震災や戦災にも耐えていましたが、1956年7月6日に心中事件(放火)により焼失しました。

*五重塔跡地の後方は、小さな公園でした。20名くらいの人たちがベンチに座り、森林浴をしているようでした。皆、この場にいるとほっとするようです。東南側に見える東京スカイツリーも良い眺めなのですが、“谷中のランドマークとして、是非、三代目の再建を!
”と思わず祈念していました。

●谷中霊園・欝金(うこん)桜

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●欝金桜・説明版

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*「鬱金桜」の名前の由来は、ウコンの根を染料に用いた色を「鬱金色」と言い、その色に似ているからということのようです。これまで浅黄色のウコン桜を「右近桜」と思っていたので、間違いに気づきました。

…谷中霊園から日暮里駅に向かい、今日の「谷・根・千散歩」を終えました。

今日の歩歩歩数は、15,500歩でした。

京都・山科・桜巡り:2014.4.6

豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺を含め、今日は、山科の寺院の桜を見に出かけました。
桜のシーズンに醍醐寺を訪れるのは初めてでしたが、小雨の中で、枝垂れ桜をはじめ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラなど、多品種の桜が咲いていました。

●醍醐寺霊宝館・白山大手毬①

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●霊宝館・白山大手毬②

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●霊宝館・しだれ桜

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*霊宝館のしだれ桜は、3月末が満開で盛りを過ぎていました。しかしながら、花が散って見えてきた桜の幹と枝ぶりが見事でした。

●霊宝館から見た三宝院唐門

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*三宝院には、これまで3回訪ねましたが、いずれも奥の境内を回っていて、参拝時間の終了のため入れませんでした。今日は三宝院の境内に入ることができ、大紅枝垂れや豊臣秀吉が醍醐の花見のために作らせた素晴らしい庭園(回遊式庭園)を鑑賞することが出来ました。

●醍醐寺・理性院

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*今日も三宝院の北にある醍醐寺・理性院(りしょういん)を訪ねました。境内の赤い前掛けをした千体地蔵(中央)が、桜の花に映えていました。

…醍醐寺から北西に歩き、小野小町ゆかりの隋心院(ずいしんいん)に向かいました。

●隋心院・薬医門から見た表玄関

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●隋心院・入口

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●乙訓産たけのこ

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*薬医門の前の出店で、たけのこを3つ買い求めました。このたけのこは、糠や唐がらし等はいれない普通のお湯でゆでて、食べました。乙訓産の小さなものでしたが、とても美味しいたけのこでした。

【資料
京都市の乙訓地域で生産されるたけのこ(モウソウチク)の品質は日本一と言われています。 特に、「白子たけのこ」と呼ばれるたけのこは、軟らかく、えぐみが少なく、歯ざわりがよいのが特長です。
栽培方法は「京都式軟化栽培法」と呼ばれ、秋から冬にかけての敷きわら、土入れの作業を長年続けてきたことにより、やわらかな土壌となって、良質のたけのこが生産されます。
土壌が粘土質で酸性であることが栽培に適しているそうです。

隋心院の庫裡の前に、「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(百人一首 小野小町9番『古今集』春・113)の歌碑が立っていました。

…隋心院を出て、小野駅の西に位置する勧修寺に向かいました。

勧修寺(かじゅうじ)は、第60代・醍醐天皇が母の菩提を弔うために山荘を寺に改め、後に門跡寺院となった寺院です。

●勧修寺・築地塀

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*築地塀の桜並木がきれいでした。醍醐寺に比べると参拝客が少なく、静かに桜を観ることができました。

●勧修寺・観音堂

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…勧修寺から小野駅と山科駅を経由し、毘沙門堂に向かいました。
毘沙門堂は、703年に行基によって開かれ、1665年に山科の地に再建された門跡寺院(天台宗五箇室門跡のひとつ)です。

●毘沙門堂・勅使門と参道

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*これからモミジの若葉が広がる参道は、秋に「そうだ 京都、行こう。」のポスターになった参道です。2011年秋に訪れた際は、一度目は散る前で、二度目(12月3日)で紅葉のトンネルと参道一面に敷き詰められた紅葉を観ることができました。

◆21011,12,3の参道風景

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●毘沙門堂・宸殿前のオオシダレ

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*宸殿前の枝垂れ桜(オオシダレ)は、樹齢百年を超える巨木で、枝張りは30mあるそうです。桜の季節の毘沙門堂門跡には、浅黄色と薄桃色の風情がありました。

◆毘沙門堂HP:
http://www.bishamon.or.jp/

●毘沙門堂・春の宴

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*琴の演奏は生田流の方たちで、飛び入り参加で地元の耳鼻科クリニックの佐渡先生(住職が指揮者の佐渡裕氏の親戚の方[舞台左の石階段の上]と紹介されていました。)のバイオリンとのコラボレーションでした。

宸殿前で、琴とバイオリン、尺八の宴が始まりました。午前中の雨もやみ、春の日差しが奉納演奏の舞台と宸殿前のオオシダレを輝かせていました。

今日の歩歩歩数は、25,400歩でした。

2014年4月12日 (土)

京都・東山椿・桜巡り:2014.4.5②

吉田山と東山コース
吉田山【茂庵】→法然院→谷崎純一郎夫妻の墓→安楽寺→霊鑑寺→哲学の道→永観堂→円山公園→【阪急河原町駅】

吉田神社北参道の鳥居から茂庵に続く登山道は、広葉樹と松の混合林の中を縫うようにつくられていました。

●吉田山・茂庵

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*三つ葉つつじが咲く茂庵の庭です。今日は混んでいて、1階で約1時間待った後、2階のレストランに上がれました。

●茂庵内部①

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●茂庵内部②

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●茂庵・蔵書

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*ランチを待つ間、蔵書の中から「京都のキノコ図鑑」と大文字山のキノコを食べるエッセイ本を読みました。どちらもチーム芦生の師匠とメンバーが喜びそうな貴重本でした。

●茂庵・ランチ

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*タケノコと菜の花のサンドと豆のスープは、春の筍の味でした。

茂庵から、2週間前の道を逆に歩き、白川通りを渡って法然院に向かいました。

●法然院・山門

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●法然院・谷崎純一郎夫妻の墓

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*谷崎純一郎夫妻の墓の枝垂れ桜も満開でした。満開の枝垂れ桜は、梶井基次郎『桜の樹の下には』の世界のようでした。

●安楽寺・山門①

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*今日の山門は、二週間前に比べて緑の若葉が増えています。参拝の人も少なく、静かな境内でした。

●安楽寺・山門②

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*山門①は参道側から撮影し、山門②は境内から撮影しました。

●安楽寺・松虫姫と鈴虫姫の墓

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*松虫姫・鈴虫姫と住蓮上人・安楽上人のエピソードは悲しい由来でしたが、この墓を参拝したことで、安楽寺が「菩堤を弔うための草庵」ということがわかりました。“やはり、安楽寺は静けさが似合う”と思いました。

*安楽寺URL:
http://anrakuji-kyoto.com/about

「椿の寺」として知られる霊鑑寺は、春の特別公開日でした。

●霊鑑寺門跡の椿・日光(じっこう)

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*日光は、雄しべが小さな花弁状になって円形にまとまるツバキです。花弁の赤色と雄しべの形状は、初めて見る椿でした。

●霊鑑寺門跡の椿・月光(がっこう)

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●霊鑑寺門跡の椿・五色散椿(ごしきちりつばき)

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…霊鑑寺門跡から哲学の道を歩き、永観堂に向かいました。境内の釈迦堂から唐門を眺め、回廊を歩き、阿弥陀堂の「みかえり阿弥陀」を参拝しました。

●永観堂・唐門

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●永観堂・臥龍廊

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永観堂から、いつもの散策コースを歩き、今日の桜のフィナーレ「円山公園の枝垂れ桜」を見ました。円山公園は花見の宴で賑わっていました。

●円山公園・しだれ桜


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今日の歩歩歩数は、①、②合計で25,900歩でした。

京都・西山桜巡り:2014.4.5①

桜が満開になった4月5日と6日、家人とともに京都周辺の桜の名所を訪ねました。
5日は午前中に西山の善峯寺と十輪寺、午後は2週間前にも訪れた吉田山と東山の寺社を回りました。

西山桜巡りコース
【向日町駅】→善峯寺→十輪寺→【阪急東向日駅】→【阪急河原町駅】→【京阪祇園四条】→【京阪出町柳】→百万遍→吉田山・北登山道→【東山椿・桜巡りに続く】

●JR西日本電車(通勤電車用車両)

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*向日町駅手前で撮影しました。車両の中央部に液晶モニター(モニターには、JR西日本のCM「リメンバー九州(谷村新司夫妻出演)が映っていました」があり、そこから2つの吊り輪が出ていました。まさに吊り輪の共演という風景でした。

●向日町駅・「からっキー」

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*向日市の京都激辛商店街のマスコット「からっキー」です。向日町駅前ロータリーで阪急バスを待つ間に撮影しました。

…向日町駅前から善峯寺・小塩行きの阪急バスに乗りました。
バスは、8時35分発(朝一番目)で始発でしたが、十輪寺が今春の「そうだ 京都、行こう。」のキャンペーンで取り上げられたためか、次の阪急東向日駅で乗り切れない人が出るくらい混んでいました。
十輪寺で半分以上の人が降り、残りの乗客は終点の善峯寺バス停で降りました。
バス停から急坂の細い参道を登り、善峯寺を目指しました。

●善峯(よしみね)寺・山門

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【善峯寺境内図】

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●善峯寺・遊龍の松①

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*樹齢約600年 樹高2,3m、全長37mで、日本一の五葉松と言われています。中央の幹より、右側に伸びる幹が巨大で、龍のようでした。

●善峯寺・遊龍の松②

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*遊龍の松①の右側の幹が伸びた先に、桂昌院枝垂れ桜が咲いていました。

●善峯寺・桂昌院枝垂れ桜

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●善峯寺・薬師堂

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●薬師堂からの眺望

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*薬師堂からは、京都盆地が一望できました。中央の山が比叡山です。

●善峯寺・阿弥陀堂参道

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*阿弥陀堂から、参道を下った先に桂昌院枝垂れ桜が見えました。

…善峯寺を出て、十輪寺までの約1,5Kmの下り坂を歩きました。途中、昨年10月6日に登った小塩山の山頂と稜線が見えました。(この時は善峯寺の参道を横に見ながら急こう配の林道を登り、金蔵寺を経て小塩山の山頂にある淳和天皇陵を参拝しました)

●小塩山の山頂と稜線

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*中央の鉄塔群のある山頂が小塩山です。

【十輪寺前の西山・大原野MAP】

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*左下の善峯寺から「現在地」の十輪寺まで、赤い道を歩きました。この道は、「東海道自然歩道」でした。昔の人は、長岡京駅あたりから西国三十三所第20番札所でもある善峯寺まで一日をかけて参拝していたのでしょう。

●十輪寺・参道と山門

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*この参道は登れませんでした。右側の坂道を登り、通用門から境内に入りました。

●十輪寺・なりひら桜①

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*渡り廊下の上で咲く枝垂れ桜は、2014年の「そうだ 京都、行こう。」のCMで紹介されたなりひら桜です。まさに満開のなりひら桜でした。

●十輪寺・なりひら桜②

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*十輪寺の裏山から見た なりひら桜と本堂です。(本堂は、鳳輦形[ほうれんがた]という御輿の形をしたユニークな屋根でした)

●十輪寺・在原業平の墓

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*十輪寺の裏山にある在原業平の墓と伝えられる「宝篋印塔」です。椿が添えられていました。

…十輪寺から朝二番の善峯寺折り返しのバスに乗り、阪急東向日駅に向かいました。
そこから阪急電車で河原町に出て、京阪電車に乗り換え出町柳駅着。駅から百万遍、今出川通を歩き、吉田山の北側の登山道に着きました。

●百万遍今出川通・進々堂ビル

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*進々堂の会社案内には「1924年創業者の続木斉(つづきひとし)が、日本人最初のパン留学生として2年余パリでパンの理論・実技を学び、帰国後日本で初めてフランスパンを製造販売。1930年3月京都大学北門前に京都で初めての本格的フランス風喫茶店『カフェ進々堂』を建築。 」と書かれています。
今日はカフェには入らず、茂庵を目指しました。

●吉田山・北登山道(茂庵への道)

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京都・東山椿・桜巡り:2014.4.5②に続く

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