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2014年5月

2014年5月27日 (火)

★ホールカバー15+タイル:2014春編

「ホールカバー15+タイル:2014春編」は、4月から5月にかけて訪れた路上で出会ったマンホールと路上のタイルを紹介します。

★東京台東区の合流ホール・2014.4.12

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*谷中・根津・千駄木巡りの際、谷中霊園前の路上で出会いました。

*東京都下水道局の合流ホールです。親子蓋になっていました。ホールの意匠は、東京都の花であるソメイヨシノと東京都の木であるイチョウ。周りは、東京都のシンボルマークである「イチョウマーク」です。

*“内蓋の中央にある4つの円(本当は八角形です)と文字はなんだろう?”と調べてみると、東京都下水道局のHPに「お知らせ」が掲載されていました。
『マンホールのふたが変わります-固有のマンホール番号を付けました-』  
「下水道局では、23区内のマンホールふたに、固有のマンホール番号および管きょの布設年度(西暦)を明示します。……ふたに設置した4つの文字キャップは、左3つの文字キャップはマンホール番号を、右端の文字キャップは管きょの布設年度(西暦)を表しております。」 
マンホールの蓋にも情報が隠されていたのですね。

★奈良県葛城市(旧當麻町)の下水ホール:2014.5.3

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*当麻寺駅から當麻寺(たいまでら)に向かう参道で出会ったカラーホールです。
*ホールのデザインは、二上山と當麻寺の三重の塔(西塔・東塔)と牡丹で、参道(舗道)の色合いとマッチしていました。

★奈良県高取町の汚水ホール:2014.5.18

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*高取城に向かう土佐街道で出会った汚水管・マンホールです。ホールの図柄は、中央が町章です。その周りを4分割し、向い合せて町の花・サツキと町の木・カエデを配しています。

土佐街道の路上には、マンホールとは別に、様々なタイルが埋め込まれていました。

◆町の花・サツキのタイル

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 *今も古い町屋が残る高取・土佐のメインストリート(石畳の道)が土佐街道です。このメインストリートは、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神国道の路面電車の石畳を利用して舗装されていました。

◆町の木・カエデのタイル

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高取は、薬草のルーツとして日本書紀にも登場するところです。石畳の路面には、所々に薬草を描いたタイルが点在していました。

①センブリ

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*「薬効:消化不良・脱毛症・水虫」と書いてありました。

②ナズナ

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*「薬効:ねつさまし・はらいた・充血」と書いてありました。ひらがなの薬効は分かり易いですね。

③タンポポ

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*「薬効:胃腸病・ねつさまし・ぜんそく」と書いてありました。

④ナンテン

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*「薬効:せき・すり傷・水虫」と書いてありました。

⑤キキョウ

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*「薬効:せき止め・ぜんそく・にきび」と書いてありました。

⑥ゲンノショウコ

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*「薬効:しもやけ・整腸・胃かいよう」と書いてありました。

歩いているうちに薬草と効能が学べました。

★ホールカバー+タイル:2014春編END

旧柳生街道・当尾ワンデリング:2014.5.24②

旧柳生街道・当尾ワンデリング:2014.5.24①から続く

円城寺から岩船寺(がんせんじ)までは、長い道のりでした。

円城寺からバス道でもある国道369号線を奈良方面に下り、新奈良ゴルフクラブから奈良県道・京都府道33号線を目指して、谷沿いの林道をひたすら歩きました。
岩船寺口に着いて、“もう少しだ!”と長い坂を上ると、そこからまた工事車両が通る府道が2kmほど続きました。
…結局、円成寺から岩船寺につながるミロクの辻(分岐)まで、約8㎞のアスファルト道を歩くことになりました。

ミロクの辻から広葉樹と杉の山道に入るとホッとしました。森の中を上ると、三体地蔵が見えてきました。

■三体地蔵①

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*ここで、おにぎりを食べてエネルギーを補給し、一休みして岩船寺に向かいました。

■三体地蔵②

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*近づいて撮影しました。地蔵さんの微笑みにホッとします。

京都府木津川市にある当尾(とうの)と呼ばれる里山には、平安時代に建立された名刹(岩船寺・浄瑠璃寺)があります。
両寺を結ぶ奥深い山道を歩くと、鎌倉時代に彫られた様々な石仏に出会えます。

【石仏の里MAP】

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*午後のコースが分かり易い「石仏の里MAP」です。
*MAP右下の道からミロクの辻に入り、オレンジ色の山道(三体地蔵が記載されています)を歩いて、岩船寺を訪ねました。岩船寺からは点線の山道を下りながら道沿いの石仏を拝観し、浄瑠璃寺を目指しました。

■岩船寺・本堂①

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*本堂には、中央に本尊の阿弥陀如来坐像(平安時代)が祀られ、周囲を四天王立像(鎌倉時代)が護っていました。
*本堂内に安置されている普賢菩薩騎象像は、京都国立博物館の「南山城の古寺巡礼」展にお出まし中でした。

■岩船寺・本堂②(阿字池側から撮影)

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*堂内で案内されていたご住職の説明では、「阿弥陀如来坐像は像高が280㎝を越えるケヤキの一木造です。947年頃に造られた十世紀中期を代表する尊像で、浄瑠璃寺の本尊より200年ほど古く、宇治平等院の本尊より100年ほど古い像です。このような大きな仏像が造られた時代は『乱世』であり、世の中が平和になるにつれ仏像が小さくなって行きます…」とのことでした。
*“本尊の大きさで時代の平安がわかる”とすると、“今まで拝観した仏像と造られた時代環境を比較してみるのも面白いな”と思いました。もっとも、岩船寺は承久の乱で大半の堂宇を焼失しているので、“戦争の時代は、仏像を造るのではなくいかに護るかが寺(僧)の使命だったのでは?”と考えてしまいました。

■岩船寺・三重塔①(阿字池【東南東】側から撮影)

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*阿宇池を挟んで、本堂と向かい合う形で三重塔が建っています。
*三重塔は、729年に聖武天皇の命で創建され、1221年の承久の乱によって焼失しました。その後、室町時代(1442年頃)に再建されるですが
2003年に大改修されたため、古びた感じがしませんでした。建立当時はこのような鮮やかな朱色だったのでしょう。木々の中で光輝いていました。

■岩船寺・三重塔②(山【西南】側から撮影)

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*上から間近に見下ろせる三重塔は、洛中には無いようです。近くから見ると、一層目の屋根の反りが美しい三重塔でした。

■岩船寺・三重塔・隅鬼

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*三重塔の四隅の垂木を支える隅鬼は、背中に圧倒的に重い荷物(垂木)を背負って支えているスーパー鬼でした。

岩船寺から、当尾の石仏群を観ながら浄瑠璃寺を目指しました。

■からすの壺二尊

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*東面の阿弥陀磨崖仏です。この岩の左側(南面)に地蔵磨崖仏が彫られていました。

■当尾の道

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*からすの壺二尊からやぶの中三尊の間で、落ちた竹の葉で埋めつされた道が現れました。この道を歩くと、竹の落葉でサラサラとした音が聞こえてきます。竹の葉の道は、当尾に風情と彩りを与えていました。

■やぶの中三尊

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*藪の中の岩に、舟形の光背を持つ地蔵(中央)と十一面観音(右)、向かって左に阿弥陀を配置した石仏です。1262年作と言われています。

やぶの中三尊から約200mで浄瑠璃寺バス停でした。バス停着が14時40分、一本前の奈良行きのバスが止まっていました。
バス停からは、浄瑠璃寺の参道となります。お土産屋を抜けて、さらに100m程歩くと浄瑠璃寺の山門でした。

■浄瑠璃寺・参道

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【当尾・案内板】

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*浄瑠璃寺参道に立っていました。当尾が良くわかる案内版です。(それにしても地図や観光案内の立看板・説明版を画面にまっすぐ写す技術が歩歩歩ポ~ンのブログ用の撮影によって格段に進歩しました。ほとんどが1枚撮りです。“自画自賛”。)

■浄瑠璃寺・山門

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■浄瑠璃寺・三重塔

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*浄瑠璃寺の三重塔は、藤原時代の建立だそうです。塔内には、薬師如来像が祀られていて、東方の浄土(浄瑠璃浄土)を護っているとのことです。
薬師如来像も京都国立博物館の「南山城の古寺巡礼」展に出展され、拝観できませんでした。

■浄瑠璃寺・本堂①(三重塔側・此岸から撮影)

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*本来は、本堂の九体阿弥陀如来像を三重塔側・此岸から宝池(阿字池)越しに拝観するそうです。

■浄瑠璃寺・本堂②(彼岸・南東側から撮影)

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*本堂の前面には、本来のお参りができるように障子が張られた大きな格子戸が9つありました。

■浄瑠璃寺・本堂③(正面・東側から撮影)

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*本堂の真正面格子戸の中央に格子窓がありました。

■浄瑠璃寺・本堂④(彼岸・北東側から撮影)

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■浄瑠璃寺・本堂⑤(本堂内から撮影)

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*本堂内の中央の窓から彼岸と宝池(阿字池)と此岸を写しました(仏像の撮影は禁止です)。“この窓は阿弥陀如来中尊像が常に彼岸と此岸を観ておられる窓なのだ”という絶妙な配置の格子窓でした。
*狭い本堂内で拝観した九体阿弥陀如来像(九体の阿弥陀如来像を横一列に配しています)は、素晴しい九体像でした。平安時代は、このような御堂が30以上あったそうですが、戦災等で焼失し、現在はこの浄瑠璃寺のみだそうです。

■浄瑠璃寺・バス停

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浄瑠璃寺バス停から奈良行き最終バス(16時46発)に乗り、近鉄奈良に戻りました。

旧柳生街道・当尾ワンデリングコース

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*PC画面では、上の地図を クリックすると拡大されます。

今日の歩歩歩数は、33,400歩でした。

2014年5月25日 (日)

旧柳生街道・当尾ワンデリング:2014.5.24①

今日は、奈良北部・柳生をスタート地点とし、午前中に江戸時代の剣豪が行き来した旧柳生街道を歩いて、円成寺を訪ねました。
午後は、京都府に足を延ばして、当尾(とうの)の岩船寺(がんせんじ)と石仏を巡り、浄瑠璃寺を訪ねしました。

柳生は、柳生石舟斎が開いた「柳生新陰流」の剣豪の里**です。
**剣豪の里と言われる由縁は、徳川将軍家の兵法指南役として柳生藩の大名になった柳生宗矩や柳生十兵衛など名だたる剣豪(宮本武蔵も柳生の里を訪れ柳生道場で指南を受けています)を輩出しているからでしょう。

…近鉄難波駅発(7時6分)の急行に乗り、奈良着7時43分。近鉄奈良駅前の奈良交通バス停から柳生方面への一番バス(8時19分)に乗り、柳生着は9時5分でした。

●柳生バス停

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バス亭から南に少し歩くと、右手の山裾に長い石垣と石塀が見えてきました。田植えが終わったばかりの田んぼの中の道をまっすぐ進み、左に曲がると柳生藩家老屋敷の入り口でした。

■旧柳生藩家老屋敷

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*旧柳生藩家老屋敷は、1826年に奈良に移り住み柳生藩1万石の藩財政の立て直しに成功した家老・小山田主鈴の旧邸です。
*この旧柳生藩家老屋敷は、1964年に小説『徳川家康』などで有名な作家・山岡荘八氏の所有となり、NHK大河ドラマになった「春の坂道」の構想がここで練られたそうです。

■小山田家分家

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*旧柳生藩家老屋敷の南側に建っていました。本家と同様の立派な石垣と長屋門です。

里道を歩き、柳生陣屋跡に立ち寄った後、今川を挟んだ東側の小高い山にある芳徳寺(ほうとくじ)に向かいました。

【柳生MAP】

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*芳徳寺・入り口(MAP上の「現在地」)に立っていました。MAPの右側が北方向です。

●芳徳寺・入り口の野菜スタンド

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*奥のチェックの缶に100円を入れ、スナックエンドウを買いました。

■芳徳寺・参道

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*芳徳寺は臨済宗の寺院で、柳生宗矩が父の石舟斎の菩提を弔うために建立した柳生一族の菩提寺です。

■芳徳寺・山門からみた本堂

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■柳生一族の墓

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*芳徳寺奥の杉山の中に、柳生一族の墓がありました。写真の墓石で、左端が柳生宗冬、左から2番目が宗矩(むねのり)、3番目が三厳(十兵衛)の墓です。

芳徳寺の本堂を参拝後、10時に神殿橋を渡りました。いよいよ旧柳生街道です。

*旧柳生街道から円成寺までのルート
●東海自然歩道・「16.旧柳生街道」URL

http://www.tokai-walk.jp/course_guide/course16.html

■ほうそう地蔵

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*柳生から坂原峠に向かう街道沿いに「ほうそう地蔵」と称される鎌倉時代の地蔵石仏がありました。右の道が柳生街道(奥に進むと柳生)です。

…江戸時代、名だたる剣豪が行き来した柳生街道。その一つの坂原峠を越えると、桃源郷のような大柳生盆地に出ました。

■大柳生の集落

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*旧柳生街道(東海自然歩道)は、左手の山沿いを縫って山向こうの円成寺に続いています。吹き抜ける風がすがすがしい大柳生盆地でした。

■水木古墳

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*水木古墳は、大柳生盆地が一望できる高台に造られていました。看板には、6世紀にこの地を治めた首長の墓だと書かれていました。

■水木古墳と夜支布山口神社間の道

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*写真右奥(東側)の小高い丘の向こうが、水木古墳です。この道標から左(北)に5分ほど歩くと夜支布山口神社に着きました。

■夜支布(やぎう)山口神社

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■摂社立磐神社・本殿

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*境内にある摂社立磐神社・本殿は、1747年に春日大社の第四殿をここに移したものだそうです。本殿の後ろには、ご神体の大きな岩(岩座)がありました。

■旧柳生街道の道

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*夜支布山口神社から円城寺方面へ向かう街道(山道)です。旧柳生街道は、里の道を除くと、このような雰囲気の道でした。この道を物資を運ぶ牛車や剣客が行き来していたのでしょう。

…夜支布山口神社から白砂川まで下り、そこからひたすら山道を登り詰めて、11時45分に円成寺のある忍辱山(にんにくせん)に着きました。

●忍辱山バス停

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●バス停前「一富久食堂」

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*朝、柳生行のバスが忍辱山バス停で停車したとき、「一富久食堂」が見え、店の人が暖簾をかけているところでした。“昼食は、雰囲気のあるこの食堂にしよう”と思っていました。

*一富久食堂では、玉子うどんを食べました。うどんを食べながら地図を確認していると、テーブルで横の席だった70代と思われる男性が、一足先に滝坂道を下って奈良に帰って行きました。店のおばちゃんが「あの人は、私の同級生で、2、3週間に一度奈良から旧柳生街道を歩いて、ここで昼食をとって帰って行くんだよ」と話してくれました。“約12Kmの山道を往復しているのはすごいなぁ!”と思いました。

昼食後、円成寺に向かいました。

円成寺は、奈良市街から柳生の里に向かう柳生街道きっての古刹で、山号を忍辱山(にんにくせん)といいます。

■円成寺・本堂

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*本堂で、ご本尊の阿弥陀如来坐像と四天王立像を参拝しました。また、内陣の柱に極彩色で描かれた聖衆来迎二十五菩薩も見事でした。

■円成寺・本堂から望む楼門と多宝塔

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*本堂東端の縁側から撮影しました。右の舞台は、寺院建築には珍しい舞台付寝殿造(本堂両脇に舞台スペースがあります)です。この舞台に座って、しばらくの間、楼門と多宝塔を眺めていました。とても優雅なひと時でした。

■円成寺・多宝塔

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*多宝塔内には、大日如来像(運慶の初期の作)が安置されていました。

■円成寺・石楠花(シャクナゲ)

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*多宝塔の北側に石楠花の花が咲いていました。赤い大輪の花も見事でした

●円成寺HP:URL
http://www.enjyouji.jp/

旧柳生街道・当尾ワンデリング:2014.5.24②に続く

2014年5月21日 (水)

壷阪寺・天竺渡来石仏巡り:2014.5.18

愛読書の『見仏記ガイドブック』で、壷阪寺のキャッチフレーズを見ると、「キーワードは“目”と“インド” 見どころ満載の古刹」と紹介されています。

また、壷阪寺『壷阪寺境内御案内』HP**では、「寺域の山の斜面には、インド天竺渡来の高さ20mの白い大観音石像が立ち、荘厳ながらも安らいだ空気をあたりに漂わせている。また、大観音石像の下には大涅槃石像も安置されている。」と紹介し、「21世紀初頭より、世界中で起こった暴力や中傷などによって痛んだ心を癒やすため建立された。また、先に招来した大観音石像、大涅槃石像も拝し、心を大きくして、周りの人へと自然に思いやりの心を広く、深くして頂きたい。」と案内しています。

『見仏記ガイドブック』
いとうせいこう・みうらじゅん共著、角川書店、2012.10.31刊

**壷阪寺境内御案内:
http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

壷阪寺では、最近まで『壷阪寺天竺渡来大石造巡り』のスタンプシートがあり、十三番+番外までの大仏・石仏を巡り、スタンプを押していたそうです。

今日は、その一部の大仏・石仏を拝観しました。

■天竺渡来 大釈迦如来石像①

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*普賢菩薩石像(前面左:身丈3m)十一面千手観音菩薩像(中央:身丈3.3m)、文殊菩薩石像(前面右:身丈3m)、大釈迦如来石像[壷阪大仏](奥:身丈10m)です。
インドでの奉仕活動の縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で製作されたそうです。


■天竺渡来 大釈迦如来石像②

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■十一面観音(夫婦観音)石像

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●十一面観音石像前のパワーストーン台座

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* 台座の模様と石(パワーストーン)は、アグラにあるタジ・マハールの装飾によく似ています。まるでインドのような雰囲気でした。

●パワーストーン台座・説明版

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■十一面観音(夫婦観音)石像・案内板

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■天竺渡来大観音石像①

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■天竺渡来大観音石像・案内板

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■天竺渡来大観音石像②

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*天竺渡来大観音石像(全長20m・全重量1200t)は、インドのデカン高原から切り出した石で作られているそうです。
圧倒的な石像でしたが、石の模様がとても綺麗で優美さを持った観音石像でした。

■天竺渡来大涅槃石像

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*天竺渡来大涅槃石像(全長8m)の奥に見えるのが天竺渡来大観音石像です。一回りして、全身のお姿を映しました。
柔らかな日差しのなかで横たわっているお姿を拝し、“大自然の中の涅槃像はいいなぁ”と思いました。

■天竺渡来大涅槃石像②・後頭部

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■天竺渡来大涅槃石像③・後姿

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■天竺渡来大涅槃石像④・御足

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■千手観音石像

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*石像の千手観音像は初めて見ました。

…壷阪寺に「おおらかで優しい壷阪寺」というという印象を持ったのは、境内に建っている石仏のお蔭でした。

END

2014年5月20日 (火)

霊験記の壷阪寺:2014.5.18②

風雲・高取城:2014.5.18①から続く

高取城から参道(山道)を下り、45分で壷阪寺に着きました(10時45分着)。
五百羅漢遊歩道では登りもありましたが、ほとんどが下り坂だったためコースタイムは逆コースの半分で済みました。

■参道から望む壷阪寺・本堂(八角円堂)

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*奥の山で左側が葛城山、右橋が二上山です。

■壷阪寺・仁王門

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■壷阪寺・三重塔

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*手前の屋根の庇は礼堂です。堂々とした三重塔でした。

■壷阪寺・本堂(八角円堂)

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*礼堂(左側)と本堂(中央)です。本堂内には、本尊の十一面千手観音菩薩像が祀られていました。

■壷阪寺・本尊・十一面千手観音菩薩像

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明治の頃、失明回復祈願にまつわる沢市・お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壺坂霊験記」は人々の共感を呼び、壷阪寺への信仰が拡がったそうです。

♪妻は夫をいたわりつ~、夫は妻に慕いつつ~♪ という浪曲[明治12年(1879年)初演]の一節が有名な壺坂霊験記は、壺坂寺の霊験を題材にした物語です。

■壷阪寺・夫婦観音像

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*本堂内に祀られた夫婦観音像の前には、「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」♪ の手ぬぐいと古くから伝わる沢市の杖??が特別出展されていました。説明板には、「さわると夫婦仲が円満になる」との効能が記されていました。

■壺坂霊験記ガイド

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■淡路人形座「壺坂霊験記」

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*2012年11月25日、淡路人形座で人形浄瑠璃「壺坂霊験記 山の段」を鑑賞しました。その時のお里の表情や壺阪の情景が鮮明に思い出されました。

■お里・沢市の像

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■お里・沢市投身の谷

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*お里・沢市の像の先にある谷は、深い谷でした。奥の山は、五百羅漢のある東側の山です。

■壷阪沢市清明水

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*本堂内で「壷阪沢市清明水」(中央の目薬)を購入しました。左の赤い袋で包装していただきました。袋には「壷阪観音施薬袋 当山秘宝のご祈祷で厳修致しております」と記されていました。

*“「沢市」「清明水」「壷阪観音施薬」「当山秘宝のご祈祷で厳修」のフレーズで効かない薬はあるますまい”と感激しました。

■壷阪沢市清明水・張り紙

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*ちなみに、「壷阪沢市清明水」の発売元は壷阪寺施薬堂で、製造販売元は佐賀県の佐賀製薬(株)でした。
また、今日は幸運にも年に2回(5月18日と10月18日)の「(春の)眼病封じ祈願会」だったので、特別販売が行われていました。
“佐賀県で作られた目薬で特別価格(消費税なしの千円)の目薬”ではありますが、“当山秘宝のご祈祷で厳修の目薬、春の眼病封じ祈願会の日に出会えた目薬”の効能を信じて使っています。

■壷阪寺・境内

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*主要な仏閣や塔、石仏の配置がよくわかりました。

■養護盲老人ホーム・慈母園

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*盲老人ホームが境内入口に建っていました。壷阪寺は昔から目の不自由な人たちの聖地であり、1961年に日本初の盲老人ホーム「慈母園」がこの地に誕生したのです。お里・沢市の願いは現代に受け継がれているのですね。

「おおらかで優しい壷阪寺」「目に優しい壷阪寺」という印象の壷阪寺でした。

…壷阪寺発11時45分。バス停横の細い道を下り、高取に向かいました。この道がお里が壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた道に当たります。
20分ほど下ると、沢市・お里の墓がある信楽寺に着きました。

■沢市・お里の墓

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高取着は、12時30分でした。街の駅内のレストランで昼食をとり、土佐街道を下って壺阪山駅に戻りました。

今日の歩歩歩数は、24,200歩でした。

風雲・高取城:2014.5.18①

奈良で訪ねたいお寺がありました。それは「壺坂霊験記」の舞台である壷阪寺です。
“午前中に壷阪寺を参拝、午後に飛鳥や藤原京の寺社を再訪しよう。”と計画していましたが、調べるうちに、日本一の山城と言われる「高取山の高取城跡」に惹かれ、眺望の良い朝方に登ることにしました。

近鉄阿部野橋駅(大阪の近鉄ターミナル駅としては、難波が有名ですが阿部野橋も大きなターミナル駅です)7時20分発吉野行急行に乗りました。

壺阪山駅着8時、降りたのは3人、他の2人(山ガール)は、壺阪寺に向かったようでした。

■壺阪山駅

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■高取・土佐街道

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*2万5千石の城下町として栄えた高取・土佐街道。その街道を歩いて高取山に登るのは私だけでした。

【高取MAP】

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■植村邸家老屋敷の長屋門①

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■植村邸家老屋敷の長屋門②

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*土佐街道に面した素晴らしい長屋門です。腰板張りの部分は、珍しい意匠の海鼠壁でした。

■高取城再現写真①

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*土佐街道沿いに「在りし日の高取城CG再現写真」の看板が立ってました。

…林道から山道に入ると、「七曲がり」「一升坂」と呼ばれる急登が続きました。急登を登り詰めて明日香への分岐路に出ると猿石がありました。

*一升坂は、運搬する人に米一升追加して運んでもらうくらいの長い急登という意味でした。

■猿石

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*この猿石と同様の猿石が、飛鳥(明日香)にあります。看板にも記されているように、高取城築城用に運ばれた際に、この場所に置かれたようです。高さは85㎝あり、重量もある石でした。“よく運んだ”と思いました。

猿石を過ぎると、二の門跡、宇多門跡、千早門跡が現れ、平たい稜線部をさらに進むと大手門跡に着きました。壺阪山駅発8時5分、大手門跡着9時15分でコースタイムは70分でした。

■大手門跡

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■大手門跡・高取城再現写真②

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*明治中期に取り壊されるまで、大手門から望む石垣の上に看板のような天守閣があったと考えると、まさに「風雲たなびく高取城」というキャッチフレーズが浮かびました。

■二の丸の「日本三大山城説明版」

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*日本三大山城(大和高取城、美濃岩村城、備中松山城)のなかで、高取城が「日本一の山城」と言われる理由は、城の規模にあります。

*高取城の城内(ニノ門より内)は、約10,000平方m、周囲約3Km、城郭は約60,000平方m、周囲約30Kmという広さです。建造物は三層の天守、小天守を擁し、27の櫓(内、多門櫓5)、33の門、土塀2,900m、石垣3,600m、橋梁9、堀切5ヶ所と記されていました。城跡を歩いてもその規模に驚かされました。

■本丸・石垣①

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■本丸・石垣②

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■本丸・天守閣跡地

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*手前が高取山(583.9m)三角点(山頂)です。奥の敷石が天守閣の礎石と思われました。

■本丸・天守閣跡地からの眺望

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*中央左の山が金剛山、右が葛城山です。右の木立の中に二の丸の石垣が見えました。

■本丸跡地と羅針盤

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*本丸跡地は広く、南側は吉野や大台ケ原、東側は葛城山、金剛山、北側は香久山や奈良方面が望めます(現在は、城跡の大木で見えない山もあります)。

*高取城は、南北朝時代に南朝方であった越智邦澄が1332年に築城したのが始まりと伝えられています。その後、戦国時代には大和国が豊臣秀長の支配下となり、高取城は秀長の重臣脇坂安治、後に本多利久に与えられ、1589年に築造されています。
高取城が明治時代まで存在していたことから考えると、500年以上、城主が変わっても城として機能してきたのですね。

10時に高取城を出て、壷阪寺に向かいました。山道を歩き、壷阪中門跡や壷阪口門跡を過ぎて車道と合流した所に高取城内図がありました。

【高取城内図】

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*この場内図を見ても、高取山の尾根を最大限に生かした城郭づくりと規模がわかります。

壷阪寺への参道(山道)を歩きました。途中、五百羅漢遊歩道に入ると、山の岩肌に五百羅漢の石仏群がありました。

■五百羅漢・石仏群①

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■五百羅漢・石仏群②

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*五百羅漢像が掘られたのは、関ヶ原の戦い前後の西暦1600年頃と伝えられています。

■五百羅漢・石仏群③

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五百羅漢遊歩道から再び壷阪寺参道に戻り、壷阪寺を目指しました。

霊験記の壷阪寺:2014.5.18②に続く

2014年5月12日 (月)

愛宕山・愛宕神社:2014.5.11

今日は、念願の愛宕山(890.06m)に登りました。
愛宕山(あたごやま)は、いつも嵐山渡月橋から眺めて、“登りたい”と思っていた山です。


5月4日に比叡山から望み、5月5日に保津川下りの舟から何度も眺めた愛宕山に、“週末、天気が良かったら登ろう”と決めていました。
今日は、京都駅発清滝行きの1番バス(7時30発)に乗り、8時25分に清滝バス停着。そこから下り渡猿橋を渡って、登山口の清滝口鳥居に着きました。

愛宕山と比叡山は、古から都を護る神聖な地(西北の愛宕山、東北の比叡山ですが、緯度もほぼ同じです【愛宕山:北緯35度03分36秒、比叡山:北緯35度03分57秒】)です。

【愛宕山登山MAP】

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*今日は、登り・表参道ルート、下山・月輪寺ルートを歩きました。

■清滝・清滝口鳥居

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*清滝口鳥居が登山口(85m)となります。これから山頂との標高差839mの登り・下りになるので、ゆっくり登ることにしました。

■愛宕山鉄道ケーブルカー軌道跡

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*ケーブルカー軌道がトンネル跡(写真奥)も含め、残っていました。
愛宕山鉄道のケーブルカーは、昭和4年~19年(1929年~1944年)の間、山上まで敷設されていました。山上にはホテルや愛宕山遊園地も造られて参拝者と観光客で賑わったそうです。
しかし、世界恐慌や戦争の影響で客足が落ち、第二次世界大戦末期にはケーブルカーが廃線になり遊園地やホテルも閉鎖されたとのこと。

■お助け水

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*ここで、持参のペットボトル(2L×2本、500mL)に湧水を詰めました。にわかに重くなった「愛宕山登山養成ザック」を背負い、200mごとに置かれたお地蔵様にお参りしながら足を進めました。

■水尾分れ

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*今日の道は、本能寺の変の直前に明智光秀が愛宕神社を参詣した道で「明智越え」と呼ばれていました。

【明智光秀と愛宕山】「敵は本能寺にあり!」

明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻める(本能寺の変)数日前の天正10年(1582年)5月下旬、愛宕山に参詣し愛宕五坊の一つである西坊威徳院で連歌を興行した。
発句を光秀が詠み、脇句を威徳院の行祐法印、第三句を連歌師の里村紹巴がつけた。全九名で100韻を詠み(愛宕百韻)、書き留めた懐紙を神前に捧げた。
その光秀の詠んだ発句『ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)』は有名であり、古来政治的な解釈がなされている。
出典:愛宕神社HPより

■愛宕神社・黒門

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*神仏習合時代の愛宕山には、愛宕権現を祀る白雲寺を含め6つの寺がありました。黒門は白雲寺の京側の惣門で京口惣門と呼ばれていたそうです。境内に寺の跡地を見かけました。神仏棄却の影響は、この地にも及んでいたのですね。

■愛宕神社・社殿

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*愛宕神社(旧称:旧称は阿多古神社)は、火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、全国約800社の分社の総本社です。

*愛宕神社は、京都で「愛宕さん」と呼ばれ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札を求める人たちが参拝します。

*3歳までに参拝すると一生火事に遭わないとも。今日、表参道で1、2歳の子供を背負った家族連れが数組いた理由が分かりました。また、愛宕神社は、家族連れの新生児から70~80代の御爺ちゃん、御婆ちゃんが個人やグループで三々五々に歩いていて、幅広い世代の人が身近にお参りする神社だと思いました。

愛宕神社・若宮(右)と奥宮(左奥)

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*社殿の奥が若宮、その奥に奥宮があります。社殿」・若宮・奥宮が愛宕山の山頂となります。

■愛宕神社・樒

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*神社といえば榊ですが、愛宕神社では樒(しきみ)が置かれていました。これは標高が高いので榊が育たないためだそうです(月輪寺ルートで自生する樒の木を見かけました)。

■愛宕神社・子守り

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愛宕神社を出て月輪寺(つきのわでら)を目指しました。

■愛宕山からの嵐山方面

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*月輪寺ルートに入ってすぐの稜線で撮影しました。写真中央の川がカーブして右の山(嵐山)と交差した所が渡月橋です。

月輪寺コースは、表参道と比べると狭い山道ですが、手入れが行き届いた登山道(山道)でした。
月輪寺は、愛宕山の東尾根の下(標高:560m)に建つ山岳寺院です。浄土宗の開祖・法然や九条兼実とゆかりある寺で、仏像にもその歴史を感じました。

■月輪寺・本堂

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■月輪寺・本堂・阿弥陀如来立像

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*月輪寺の本尊の阿弥陀如来立像は、親しみのある仏様でした。

■本堂・四天王像

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*四天王像の内、多聞天と広目天を写しました。明るい本堂の中で凛々しく立っていました。

月輪寺に着いた時、住職の方が谷沿いの水回りの修理をしていました。境内は土砂崩れや台風の影響で御堂のの痛みが激しい状況でした。
月輪寺は、愛宕山域の奥深いところに位置しています。境内には下から生活物資を運ぶ野猿があり、衣食住で大変な状況がうかがわれました。

…月輪寺から急登をひたすら下り、林道を経て、約1時間で清滝に着きました。

今日の歩歩歩数は、26,100歩でした。

保津川下り:2014.5.6②

【4日目:5月6日②】

高雄から歩いて、保津峡駅着が12時30分。
朝の計画では、二条城から西本願寺、東本願寺コースを考えていましたが、先ほど見た保津川下りで“乗ってみたい”ということになりました。

■JR保津峡駅①

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*撮影地点(壁岩横)から右に保津川沿いに歩き、水尾から流れる沢を渡りJR保津峡駅に着きました。

JR保津峡駅でスマートフォン(この山奥でもアンテナ3本です。流石に京都市内ですね)で遊船組合の電話番号を調べて訊くと、「今日は乗員数が集まり次第出ます。」とのこと。
亀岡方面行きの電車に乗り、亀岡に向かいました。

■JR保津峡駅②

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*JR保津峡駅ホームは、保津川に架かる橋梁です。左上のワッフルの様な護壁コンクリート下の道から「■JR保津峡駅①」の写真を撮りました。亀岡方面行き12時42分のの電車が来ました。

保津川下りの案内文には、次のように書いてあります。

『峻嶮な渓谷を縫って流れる、小津川下りの旅』
「保津川下りは、丹波亀岡から京都の名勝嵐山まで約16kmの渓流を約2時間で下るスリル満点の舟下りです。
熟練した船頭が棹、舵、櫂で操り、岩の間をすり抜けてゆきます。通常は船頭は3人ですが、風、水量によっては、4人または5人で操ることもあります。 四季を通じて保津渓谷にこだまする鳥たちの鳴き声と“ かい” の音や、それぞれ趣きをもった景観は保津川下りだからこそ味わえるのではないでしょうか?」【亀岡市観光協会HPより】

【保津川水運の歴史】
江戸時代の初期までは、丹波から京の都への物資(米、材木等)は険しい山道を通って運ばれていましたが、角倉了以が保津川を半年余りかけて開削し、保津川の水運によって運ばれるようになりました。
その後、国鉄山陰線の開通(明治32年)により、水運利用(昭和23年頃までは亀岡から京都へ水運輸送が行われていました)は、戦後のトラック輸送の発達によって姿を消していきました。
一方、明治28年頃から、保津川峡谷の景観を楽しむため遊船として観光客を乗せた川下りがはじまりました。そして、現在も保津川下り(亀岡から嵯峨まで)は、年間約30万の観光客が下っているそうです。

■保津川下り①:スタート地点

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*スタート地点の新保津大橋から5分ほど下流で撮影しました。中央奥の右側の山が愛宕山(924m)です。今日は、雲一つない晴天でした。

■保津川下り②:請田神社

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■保津川下り③:烏帽子岩付近

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*今日は、3名の船頭(前2人、後ろ1人)で下りました。

■保津川下り④:大高瀬付近

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*私たちは、運よく一番前の4人席に座われたので、2人の船頭さんの櫓と竿さばきがよくわかりました。急流でも、櫓と竿を巧みに操り、狭い岩と岩の間を滑る様に下って行きました。

■保津川下り⑤:保津峡駅付近

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*前方に保津峡駅橋梁ホームとその奥の山にワッフル護壁が見えます。保津峡駅から亀岡駅まで電車で約10分、亀岡乗船場からこのまでの川下り時間が50分、乗船場まで歩いた時間等うぃ入れても、ここまで80分で帰ってきたことになります。

■保津川下り⑥:嵐山トロッコ電車橋梁付近

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*嵐山トロッコ電車が橋梁を渡る所でした。この場所は思い出の場所で、2012年10月14日に嵐山から保津川の川岸を遡行したさ時、トンネル上(右の船頭さんの帽子奥)からトロッコ電車を撮影したのです。

*今日、改めて遡行した道や岩、崖を見ましたが、昨年の大水害の影響もあり、歩ける状態ではありませんでした。(船頭さんによると、スズメバチに襲われたり、歩けなくなり立ち往生している人を年に数名救助するとのこと。改めて「道のない廃道は歩いてはいけない」と肝に銘じました。)

…保津川下りの16㎞は、瀬では水しぶきを浴びながら急流を下り、淵ではゆっくり新緑を眺め、風の薫りを楽しむことができました。
嵐山の着船場で降り、1時間40分の保津川下りを終えました。

今日の歩歩歩数は、27,400歩でした。
5月2日~6日の「薫風満喫コース」のトータルは、97,000歩でした。

高雄・清滝・保津川:2014.5.6①

【4日目:5月6日①】

今日は、五条の京町屋「近よし」を出て、白山湯のある通りを南下し、京都駅まで歩きました。

■近よし

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■白山湯

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*白山湯は3月と昨日お世話になりました。

京都駅のロッカーに荷物を預け、6時50分発JRバスに乗車し、高雄に向かいました。
高雄は2013年3月24日以来です。“この季節の新緑は格別だよね”ということで、今回のワンデリング最終日のコースとし、高雄から清滝川の流域を歩き、保津川沿いの道を使って保津峡駅をゴールとしました。

【高山寺MAP】

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■高山寺・開山堂

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■高山寺境内の茶畑

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*高山寺の茶畑は日本最古で、昨日訪れた宇治からも毎年、新茶が奉納されるそうです。

■高山寺・石水院善財童子

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*善財童子は、今日も石水院から周りの景色を眺めて楽しんでいるようでした。

■石水院の東廊下

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*東廊下に座り、朝日を浴びながらゆっくり新緑の木々を眺めました。縁側から出した足がポカポカになり、の~んびりしたひとときとなりました。

■石水院の東庭

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*新緑の紅葉の庭です。枝が爽やかな風と朝陽を浴びて揺れていました。

■高山寺・石畳参道

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■高雄橋

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【神護寺MAP】

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■神護寺・山門

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*神護寺の山門をくぐると、天上の世界のような境内に続きます。

■神護寺・山門から見た境内

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*天上の世界のような境内を歩くと、その先に毘沙門堂と五大堂そして金堂があります。

■神護寺・金堂

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*神護寺は、今回訪ねた比叡山と高野山の開祖である伝教大師(最澄)と弘法大師(空海)が修行した寺です。

神護寺から望む錦雲渓①2013.3.24

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神護寺から望む錦雲渓②2014.5.6

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*錦雲峡(写真奥が清滝川下流の清滝です)が緑も濃くなっていました。ここで、厄除けの「かわらけ(素焼きの皿)」を投げました。

この後、神護寺を下り、参道の途中の硯石亭で、朝蕎麦とおはぎを食べました。

清滝川沿いの紅雲峡を歩き、清滝を経て保津峡まで歩きました。

■ルート沿いの北山杉

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■清滝・渡猿橋(とえんきょう)

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■清滝・保津峡間の道

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*昔は「鮎街道」と言われ、亀岡から鮎が運ばれたそうです。

■保津川下りの舟

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*保津峡に着くと、保津川下りの舟が下っていました。新緑の渓谷を川面から眺めながら嵐山まで行ってみたいと思いました。

保津川下り・天竜寺:2014.5.6②に続く

宇治の寺社と萬福寺巡り:2014.5.5

【3日目:5月5日】

阪急梅田駅から阪急電車に乗り、四条烏丸駅で降りて星乃珈琲店でモーニングを食べました。
今日と明日は、3月に利用した京町屋に宿泊し、京都の周りを散策する計画を立てました。
昨晩の気象予報では一日雨模様だったので、宇治を訪ねました。「3dayチケット」の最終日を使い、京都市営地下鉄に乗り、竹田駅で近鉄、丹波橋駅で京阪に乗り換えて宇治を目指しました。

■平等院鳳凰堂

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*前回訪れた時は、柱などの塗り直し修理前でしたが、今回は鮮やかな朱色の鳳凰堂でした。

■鳳凰堂と浄土式庭園

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降り始めた雨の中、鳳凰堂から宇治川を渡り、対岸のと福寿園・宇治茶工場に向かいました。

■福寿園

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■福寿園・抹茶ぜんざい

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*かぶせ茶(左奥)とお茶の佃煮(右の小皿)は、抹茶ぜんざいとの相性が抜群でした。器はすべて隣りの朝日焼です。

■朝日焼窯元

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観流橋を渡り、興聖寺に向かいました。興聖寺の参道である琴坂は素晴らしいモミジの参道でした。

■興聖寺・琴坂(山門から撮影)

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 *琴坂の紅葉は、雨に濡れて青々としていました。琴坂は100m以上のまっすぐな坂です。好きな構図(遠近法・シントリック)なので、何枚もの写真を撮ってしまいました。

興聖寺では、宇治観光ボランティアのガイドの方にお願いして、寺院内を案内していただきました。

■興聖寺・山門(境内から琴坂を撮影)

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■興聖寺・庫裡の開ぱん

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*午後、再訪した黄檗山萬福寺の開ぱんとも関係があるそうです。

興聖寺を出て、琴坂を下り、参道入口で振り返って写真を撮りました。

■興聖寺・琴坂(参道入口から撮影)

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【宇治MAP】

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*興聖寺の参道入口に宇治MAPの案内板が立っていました。

宇治神社、宇治上神社を拝観し、「さわらびの道」を歩いてて、三室戸寺(みむろとじ)に向かいました。

■三室戸寺・山門

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■三室戸寺・本堂

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■三室戸寺・つつじ園

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*三室戸寺は四季おりおりの花が見られ、一名『花の寺』とも言われています。5千坪の大庭園があり、『つつじ園』には、20000株のツツジが咲いていました(6月には『アジサイ園』に50種・10000株のアジサイが咲くそうです)。

三室戸寺からバスで宇治駅まで戻り、京阪電車で黄檗駅に向かいました。
…黄檗駅で下車し、今年の2月9日に訪ねた萬福寺に向かいました。萬福寺では、興聖寺と同様に宇治市のボランティアガイドの方に案内していただきました。

■萬福寺・境内の黄檗

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*黄檗(おうばく)は黄膚(キハダ)の別名で、樹皮の内皮が鮮黄色を呈するミカン科の落葉高木で、ガイドの方の説明では正露丸などの漢方の原料になっているとのことでした。

■萬福寺・伽藍堂華光菩薩像

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*伽藍堂は、普段鍵がかかっていて、中国や台湾の方が参拝希望した時にのみ開錠となるそうです。私たちが伽藍堂でガイドの方から説明を聞いているとき、ちょうど二人の方を住職の方が案内され、「ご一緒にどうぞ」と言っていただき、幸運にも華光菩薩像を参拝することができました。

■萬福寺・開ぱん

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*開ぱんが口にくわえている玉は廻ります。ガイドの方と検討し、同じ木を削って(一木で)作成されたのではないかという結論になりました。

■萬福寺・開ぱん(尾鰭の下から撮影)

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*木魚の原型と言われる開?は、腹部がくり抜かれて空洞になっています。

■萬福寺・大雄宝殿・本尊釈迦三尊像

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*大雄宝殿は、日本の寺院の「本堂」「仏殿」にあたる建物です。

■萬福寺・法堂

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*法堂の欄干は、卍崩しのデザインになっていました。

萬福寺から伏見に出ました。
15時になってしまいましたが、いつもの様に「鳥せい」で遅い昼食の後、四条烏丸駅まで戻り、ロッカーの荷物とともに京町屋「近よし」に向かいました。

今日の歩歩歩数は、22,700歩でした。

2014年5月11日 (日)

比叡山・大原:2014.5.4②

【3日目:5月5日②】

坂本ケーブルを利用して比叡山・延暦寺に向かいました。
今日は、まず東塔-西塔-横川を結ぶシャトルバスに乗り、横川(よかわ)に向かいました。

【横川MAP】

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■横川・中堂

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*中堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの寺院です。

■横川・元三大師堂

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*元三大師堂はおみくじ発祥の地と言われています。おみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、堂の前にはおみくじ発祥の碑が立っていました。

…横川からシャトルバスで西塔(さいとう)まで戻り、にない堂と釈迦堂を再訪しました。

■西塔・にない堂

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■西塔・釈迦堂(転法輪堂)

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西塔から東搭までは歩くことにしました。途中の伝教大師御廟を参拝し、また参道を歩いて東塔(とうどう)に向かいました。

■浄土院・伝教大師御廟

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■浄土院・伝教大師御廟の手水所

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■伝教大師御廟の手水所(2013.2.23)

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*浄土院・伝教大師御廟前の手水所を2013.2.23と2014.5.4で比べてみました。次の参道も同じ時期です。

 

■西塔と東塔を結ぶ参道①(2014.5.3)

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■西塔と東塔を結ぶ参道②(2013.2.23)

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*季節が同じ参道を全く異なる趣にしていますが、どちらも素晴らしい佇まいです。

東搭では、阿弥陀堂と法華総持院東塔、大講堂、そして根本中堂を再訪した後、シャトルバスで比叡山頂に向かいました。

■比叡山頂から見た北山

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*中央の山里が大原です。中央の山が横高山(767m)、右奥が比良山地・蓬莱山(1173.94m)です。

■比叡山頂から見た大原(望遠)

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*カメラを通した大原は、ウサギの形をしていました。中央のウサギの耳先が、これから向かう寂光院前の翠月がある集落です。

■大比叡山頂

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*比叡山は、滋賀県と京都府の県境に位置する大比叡と京都府に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称です。大比叡は一等三角点(848.3m)ですが、山頂からの眺望は望めませんでした。

叡山ロープウェイと叡山ケーブルを乗り継いで、八瀬比叡山口に下りました。

■叡山ロープウェイから見た京都市内

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*中央右側奥の山が愛宕山(あたごやま・924m:山頂には愛宕神社があります)で、中央の山で一番高い山が小塩山(おしお山・642m:山頂に淳和天皇陵がります)です。
比叡山を含むこれらの山々に都を護る位置(四方)に重要な神社や陵墓が置かれたことがわかります。

…ケーブル八瀬駅に着いたのが2時、昼食がまだだったので、近くの平八茶屋に行き、「2時を過ぎていますが大丈夫ですか?」と尋ねると、若いおかみさんが「大丈夫ですよ」との回答でほっとしました。

■平八茶屋からの高野川

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*通された部屋は旅館の一部屋でびっくりしましたが、高野川の流れと川岸を吹く風がモミジの枝を揺らしている風景が見える素晴らしい広間でした。

■平八茶屋・うなぎ丼

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*平八茶屋のHPには、「表の国道( 旧 鯖街道 )から、石畳を通って、中に足を進めると、そこは京の奥座敷。松ヶ崎を背景に高野川を見下ろす静かな座敷で、川音を聞きながら、お召し上がりいただく懐石料理。」とありましたが、懐石料理ではなく、ランチのうなぎ丼でした。

八瀬からバスの乗り、大原に向かいました。

…いつもお世話になる翠月ご一家と健一君(初節句を迎えます)に会うことができました。健ちゃんの元気な顔を見て元気をいただきました。

…大原バス停に向かう帰り路で、大原のから今日登った比叡山を写真に撮りました。

■大原・白藤と比叡山(望遠)

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 *翆月からの帰り道、わっぱ堂を過ぎてしばらく歩くと、白藤棚のある児童公園がありました。比叡山は中央奥の山です。

■大原・代掻きの水田と比叡山

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*大原は田植えの準備中でした。比叡山は中央奥の山です。

今日の歩歩歩数は、26,500歩でした。

滋賀・日吉大社:2014.5.4①

【2日目:5月4日】

“昨日は弘法大師・空海の高野山、今日は伝教大師・最澄の比叡山”ということで、今日は昨年の2月23日に訪れた比叡山を再訪しました。
前回行けなかった日吉大社と横川を訪ね、比叡山頂を目指すコースです。

淀屋橋駅発の京阪電車に乗車し、京阪三条駅で京都市営地下鉄、御陵駅で京阪電鉄京津線に乗り換え、浜大津を経て8時過ぎに坂本駅に着きました。
坂本駅から日吉大社に続く石垣の参道をゆっくり歩きました。

■日吉大社への参道

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*里坊と石垣が続く参道沿いには、比叡山の山麓から湧き出した凄烈な水が流れていました。

日吉大社は、全国3,800余の分霊社(日吉神社、日枝神社、山王神社)の総本宮です。また、平安京の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また比叡山・延暦寺(天台宗)の護法神という由緒ある神社です。

■日吉大社・ 大宮橋(二宮橋)

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■日吉大社・ 山王鳥居

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*明神鳥居の上部に、三角形の破風(屋根)が乗っていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているそうです。山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。

■日吉大社・西本宮楼門

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■西本宮本殿

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■東本宮楼門

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■東本宮本殿(楼門から撮影)

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■東本宮本殿(本殿裏の山から撮影)

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日吉大社の奥に位置する八王子山(378m)の山頂直下にある奥宮に登りました。七曲がりの山道(八丁坂)は、想像以上の急登で、約15分で奥宮に着きました。

■奥宮・三宮宮(左)・牛尾宮(右)

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*両社とも、急斜面の崖に柱を立て、その上に社殿を建てた「懸造り」です。

■三宮宮(左)・金大厳(磐座)・牛尾宮(右)

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*金大厳(コガネノオオイワ)は、神が降臨する聖なる磐座(イワクラ)で日吉大社の根元となる聖地とされています。

■金大厳からの眺め

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*金大厳と牛尾宮の間の道を上り磐座の上に出ると、眼下に坂本の町・遠くに琵琶湖と湖東の山々が見えました。

■日吉大社・八王子山

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*日吉大社の参拝後、再び、西受付に戻り、八王子山を写しました。中央の小高い山が八王子山で、山頂右下に奥宮の屋根が見えました。この地が160m位なので200mの標高差を登ったことになります。

日吉大社から坂本ケーブル駅に向かいました。

比叡山・大原:2014.5.4②に続く

奈良・當麻寺:2014.5.3②

【1日目:5月3日午後】

高野山からの帰途、二上山の麓にある當麻寺を訪ねました。

■当麻寺駅

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*当麻寺駅のホームには、「ぼたん祭り‐當麻寺‐」のポスターが貼ってありました。

当麻寺駅から、西にまっすぐ延びる参道を歩き當麻寺(たいまでら)を訪ねました。
當麻寺は、中将姫伝説で有名な寺院です。全国で唯一、天平時代の三重塔を東西に二基残していることでも知られています。

■當麻寺・仁王門

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【當麻寺・境内MAP】

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■當麻寺・金堂(左奥)と講堂(右側)

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*金堂の本尊である弥勒仏坐像(白鳳時代:日本最古の塑像)は、四方を西域の武人のような凛々しい四天王像に囲まれていました。

■當麻寺・本堂(曼荼羅堂)

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*本堂では、本尊の當麻曼荼羅(たいままんだら)と特別公開中の吉祥天像を拝観しました。

■當麻寺・西搭(右端)・東搭(左端)

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■當麻寺・中の坊・香藕園

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*中の坊・香藕園(こうぐうえん)は、東塔を借景とし、心字池を中心とした桃山期の名庭です。庭には色とりどりのぼたんが咲いていました。

■香藕園の牡丹

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…當麻寺を出て駅に向かって参道を歩いていると、道沿いの民家の玄関先に注連縄が飾り付けられている家が在りました。

■當麻民家の注連縄

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*後日、調べてみると、この注連縄は當麻に伝わる天神信仰「當麻天神講」**によるもので、縄注連縄は天神講の家の中に悪神が入ってこないよう、家族の安全を祈って掲げられているそうです。水引で括った三本の御幣(御幣・神が宿り、その下をくぐる人の身を清めるという)が珍しい形でした。

**當麻天神講:當麻寺山門の東にある天満宮周辺の民家によって作られる講の行事。毎年7月25日に注連縄を2つ作り、決められた2軒の家に掲げられ、注連縄を掲げる家を「頭屋(とや)」と言うそうです。

当麻寺駅前の中将堂本舗で、よもぎ餅を購入しました。(中将堂本舗は當麻寺に向かう時は長い行列でしたが、帰りは数名で5分待ち(店内では、今日最後のよもぎ餅を職人さんが丁寧に作っていました)でした。

■中将堂本舗前

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*新よもぎを使用した餅は、よもぎの香りとさらっとしたこし餡が絶妙でした。食べた感想は、“「赤福」を大きく超える「中将堂本舗・よもぎもち」!”でした。

●中将堂本舗URL:
http://www.chujodo.com/

今日の歩歩歩数は、20,400歩でした。

2014年5月10日 (土)

薫風満喫・高野山:2014.5.3①

5月3日~6日、「スルッとkansai 3dayチケット+1」を使って、家人と風薫る山々と寺社仏閣を巡りました。
“高野山と比叡山に行きたいね”というメイン・テーマはありましたが、“まだ訪ねていないところ、再び訪ねてみたいところへ行こう”(要するに“足の向くまま歩いてみよう”)というサブテーマもあったのです。
その結果、1日目は、高野山と奈良・當麻寺、2日目は比叡山と大原、3日目は宇治、4日目は別チケットで高雄・清滝・
保津川下り、という薫風満喫コースでした。

【1日目:5月3日】
今日は、2013年11月17日に訪れた高野山を再訪しました。
なんばから7時発の南海電車に乗り、極楽橋駅でケーブルに乗り換え、標高867mの高野山駅へ。
駅からりんかんバスを乗り継ぎ、高野山奥の院・一の橋に9時20分着。一の橋から参道沿いの墓石を見ながら2㎞先の奥の院に向かいました。

■織田信長の墓

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*前回は豊臣秀吉の墓を参拝しましたが、今日は織田信長の墓所まで歩き参拝しました。

奥の院・弘法大師御廟を参拝した後、東側のスロープを歩いていると、無縁仏の石塔が二基ありました。

■奥の院・無縁塚

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*高野山には約20万基の墓石があるといわれています。メインストリートには、著名な武士や大名家、僧侶などの大型の墓石が数多くありますが、その他にも、弘法大師を信奉する庶民たちが高野山に登り、密かに収めたといわれる小型の石塔が、奥の院周辺の土中に無数に埋まっています。
その一部が掘り出され、無縁仏の石塔として供養されていました。

奥の院からバスに乗り継ぎ、前回行けなかった大門を訪れました。

■大門

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*大門は高野山の総門(正門)です。風格のある門でした。

大門を起点に歩き始めると、参道の途中の店頭に「笹の葉寿司」が並んでいました。吉野山の柿の葉寿司は奈良で何度も食べましたが、高野山の笹の葉寿司は初めてだったので、“檀上伽藍で食べよう”ということになりました。

■小倉屋・笹の葉寿司

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…前回は、工事用フェンスで囲まれて見えなかった中門横を通り、伽藍地区に入りました。

■檀上伽藍・中門

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*1843年の焼失から172年ぶりに再建中の中門(幅25m、奥行き15m、高さ16mの赤い丹塗りの楼門となります。)です。
門柱は下塗り中でしたが、工事段階の漆の色合いが珍しく写真に収めました。中門再建は、高野山開創1200年記念大法会事業の中心に位置する大事業で、2014年末に完成予定とのことです。

■檀上伽藍・西搭(東側から撮影)

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*西搭東側の石垣(手前)で笹の葉寿司を食べました。ちなみに中門の門柱用として西搭・北側の300年杉(写真右側の杉林から切り出されました)が使われているそうです。
境内の古木が門柱となり、これから数百年も檀上伽藍の中門を支えていくことを想像すると、寺院建造の歴史の重みを感じました。

■檀上伽藍・根本大塔(南東側から撮影)

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*前回は入れなかった根本大塔(こんぽんだいとう)の内陣に入りました。
内陣には、檀上伽藍本尊の檀上伽藍大日如来と金剛界四仏が安置されていました。内陣は立体曼荼羅の世界そのものでした。

伽藍地区から金剛峯寺に向かいました。

■金剛峯寺・正門

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金剛峯寺・主殿廊下天井

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■書院上段の間・欄間と障子

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*最近、欄間、格子戸、障子にとても興味がありますが、素晴らしい意匠の欄間と障子でした。

高野山の標高は900m前後で、枝垂れ桜や山桜が満開でした。桜の開花も里に比べると、1ヶ月位遅くなるのですね。

…高野山極楽寺駅から、13時28分発・南海特急に乗り河内長野駅で近鉄線に乗り換えました。そして、古一駅を経由して当麻寺駅に向かいました。

奈良・當麻寺:2014.5.3②に続く

今日の歩歩歩数は、20,400歩でした。

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