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2014年6月28日 (土)

水無月の古都・寺社巡り⑥:2014.4.22

水無月の古都・寺社巡り⑥は、鷹峯の常照寺と源光庵を訪ね、北に歩いて西賀茂の正伝寺を参拝しました。

光悦寺の近くの源光庵では法要が執り行なわれていたので、まず常照寺に向かいました。

◆常照寺・案内板

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◆常照寺・参道と山門(赤門)

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 ◆吉野門札

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*吉野太夫が寄進した朱塗りの門は、吉野門とも呼ばれています。

◆常照寺・遺芳庵

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*遺芳庵・茶席には、吉野太夫の好んだ大丸窓(吉野窓)がありました。

◆常照寺・吉野太夫の墓

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【2代目・吉野太夫MEMO】
*吉野太夫は、京都の遊里の一つ、島原で江戸時代初期に遊女をしていた実在の人物です。

*太夫は遊女の最高位で、容姿に加え、高い教養と書画・和歌・俳句・花道・聞香・太鼓・三味線など、諸芸にも優れた人物の位です。吉野は14歳で太夫に上り詰めました。

*吉野に恋心を抱いた人物が灰屋紹益(はいやじょうえき・光悦の甥の子で京都の豪商で文化人)です。26歳の時、22歳の紹益に身請けされた吉野は、その後38歳で亡くなり、遺言により常照寺に葬られました。常照寺では、毎年4月に吉野を偲んで花供養が行われます。

◆源光庵・案内板

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◆源光庵・山門

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◆源光庵・悟りの窓・迷いの窓

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*源光庵の本堂には、悟りの窓(丸窓)と迷いの窓(四角い窓)があります。

*悟りの窓は、円型に「禅の円通の心」を表し、円は大宇宙を表現しています。迷いの窓は、角窓に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表わしています。

*悟りの窓と迷いの窓は並んで一度に観ることができます。“人生は悟りの窓と迷いの窓の移ろい”という意味も込められているのでしょう。窓に映る若葉が美しい悟りの窓と迷いの窓でした。

源光庵から北に歩いて西賀茂の正伝寺を目指しました。

◆正伝寺・山門

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*この山門から、雨に濡れた静かな参道を5分ほど上ると正伝寺の庫裡が見えてきました。

正伝寺で拝観料を納め、廊下を進むと左手(東側)に庭園が広がっていました。庭園の奥に借景の比叡山が見えました。比叡山には雲がたなびいていました。

◆正伝寺・枯山水庭園

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*枯山水庭園は、江戸時代初期に小堀遠州による作庭と言われています。白砂敷平庭に刈り込まれたサツキが7・5・3(写真右に7、中央に5、左に3)に配され、「獅子の子渡し」とも呼ばれています。

*縁側の赤い毛せんに座って庭園を観ていると、ご住職が「ご自由にご覧ください」と庭園の写真集を持ってこられました。拝観者は3組で静かな縁側です。“まったり”気分で写真と目の前の庭園を見比べながら過ごしました。

◆正伝寺・庭園前から臨む庫裡

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*白い長塀の内部が枯山水庭園です。

正伝寺からの帰路、参道の途中から南側の竹林の道を下りて、西方寺・小谷墓地の中にある北大路魯山人の墓を訪ねました。

●北大路魯山人の墓

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*墓誌に北大路魯山人の文字が書かれていました。

今日は“俄墓マイラー”となり、本阿弥光悦、吉野太夫、北大路魯山人の墓をお参りしたことになります。

西方寺から船岡東通まで歩き、大宮総門口町バス停から北大路バスターミナルに向かいました。
北大路で、遅い昼食をとり、朝の逆コースのバスに乗り、今日のゴールの京都駅に着きました。

今日の歩歩歩数は、18,600歩でした。

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