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2014年6月10日 (火)

京都東山・秀吉と家康所縁の寺社巡り:2014.6.8①

今日は、未だ訪れていない京都・東山の寺社を巡りました。
朝方は、「東山・秀吉と家康所縁の寺社巡り」。午後は、「六道・東山山麓寺社巡り」です。

…朝、8時前に京都駅をスタートし、鴨川(七条大橋)を渡って京都博物館と三十三間堂の間の道を東に歩きました。そして、豊臣秀吉と徳川家康に関係の深い豊国廟(ほうこくびょう)、智積院(ちしゃくいん)、豊国神社を訪ねました。

■智積院・総門

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*豊国廟への参道は、智積院(総門の左側)と妙法院の間が起点となります。

■京都女子大学・BCE校舎正門

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*阿弥陀ヶ峰の豊国廟に向かう参道は、通称「女坂」というそうです。参道を挟んで、幼稚園・付属小、中高、短大、京都女子大学の校舎群があり、「女坂」の由来になっているとか…。歩くとアキレス腱のストレッチになるくらいの坂道でした。


■豊国廟参道①

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*参道途中にある大鳥居と太閤坦(たいこうだいら)です。写真奥が豊国神社社務所と拝殿(1600年前後は、ここに豊国社がありました)です。拝観券(100円)を納めて、豊国廟への長い石段に入りました。

*拝殿では、
茨城県から修学旅行で来た男子高校生(5名)と一緒になりました。豊国廟を参拝する修学旅行は、彼らが企画したのでしょう(偉い!)。日吉丸のような少年たちが、競争しながら元気に石段を駆け上って行きました。

■豊国廟参道②

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*参道入口と315段の石段(拝殿~中門) です。

■豊国廟参道③

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*中門から豊国廟までの石段は174段で、参道入口から豊国廟までの石段の合計は489段になりました。急勾配の石段を駆け上がっている高校生が見えます。

1598年8月18日、秀吉が伏見城で死去(享年63歳)しました。遺体は東山の阿弥陀ヶ峰山頂に葬られ、墓所には祠廟(豊国廟)、山麓には社殿が建立されました。

その後、大坂夏の陣により豊臣家が滅亡(1615年)し、徳川政権下になると、豊国廟と方広寺は、幕府によって徹底的に破却されました。

1897年の秀吉の300年忌に際し、今日見ることができる廟宇が再建され、墳上には巨大な五輪石塔が建てられました。(なお、社殿は、1880年に旧方広寺・大仏殿の地に豊国神社として再建されています。

…阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)山頂・193.5mにある豊臣秀吉の廟所(豊国廟)に着きました。

■豊国廟

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*豊国廟の五輪塔の高さは、10mあります。

*“秀吉は、何故この阿弥陀ヶ峰に自らを葬るよう遺言を残したのだろう…”と考えました。調べてみると、豊国廟-豊国神社-西本願寺が東から西に一直線に並んでいて、豊国廟から西方を護る説がありました。

*私は、“秀吉が亡くなる半年前に訪れた醍醐寺(醍醐の花見)を模して廟を造営した”という説を考えました。
つまり、「上醍醐が豊国廟」で「下醍醐が豊国神社(方向寺)」であり「上と下を結ぶ石段の参道で一体になっている」とう仮説です。

上醍醐と下醍醐を結ぶ参道と豊国廟と豊国神社を結ぶ参道を歩いた体験で実感しました。

■豊国廟参道④

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*帰路、再び中門下から豊国廟を振り返って撮影しました。

豊国廟で出会ったおじさんの話によると、1996年放映のNHK大河ドラマ「秀吉」のオープニングで藤吉郎が駆け上がる石段は、この階段だったそうです。

■豊国廟参道⑤

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*参道の踊り場と石段です。石段は、1段目が短い奥行で2段目が長い奥行が繰り返す構造でした。

*また、参道の石段は、途中4つの踊り場をはさんで63段が5つ続きました。石段の設計にあたっては、“秀吉が死去した63歳を意識して63段で設計されたのではないか”との説があります。

…豊国廟から石段を下り、中腹の新日吉(いまひえ)神宮を参拝しました。
新日吉神宮は、1160年に後白河法皇が近江日吉山王(5月に参拝した坂本の日吉大社です)の神を勧請したのが始まりで、江戸(徳川)時代に密かに豊臣秀吉の神霊をお守りしてきた神社です。

■新日吉神宮・楼門

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■新日吉神宮・拝殿

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新日吉神宮から参道を下り、家康と縁の深い智積院(ちしゃくいん)に向かいました。

【智積院・境内図】

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*1601年、徳川家康により東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、智積院が再興されました。その後、秀吉が建立した祥雲禅寺を拝領し、境内伽藍が拡充されたそうです。

■智積院・本堂

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*智積院は、成田山新勝寺や高雄山薬王院の大本院をはじめ、全国三千の末寺を擁する真言宗智山派(ちさんは)の総本山です。

■学侶・学侶墓地

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*本堂裏の阿弥陀ヶ峰の麓にありました。この地で修業し、亡くなった学侶の墓石群が智積院の歴史を物語っていました。

【学侶墓地・案内板】

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■智積院・収蔵庫

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*収蔵庫の扉に「自動ドア」と書かれていましたが、本当に自動ドアでした。

*収蔵庫には、長谷川等伯一門による「桜図」「楓図」「松と葵の図」「松に秋草図」等の桃山時代(16世紀)の障壁画が収められていました。

■智積院・庭園①

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■智積院・庭園②

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*智積院の庭園は、石(岩)と木と水と日光が調和した素晴らしい世界でした。



智積院から京都国立博物館を経て豊国神社に向かいました。

■豊国神社・鳥居

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■豊国神社・唐門

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*唐門は、伏見城の遺構と伝えられています。西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つです。唐門には豪華で精緻な彫刻が施されていました。

■豊国神社・唐門から見た本殿(奥)

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*唐門横には、秀吉の馬印「千成瓢箪」にちなんだ瓢箪形の絵馬が飾られていました。

■方広寺・釣鐘

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*方広寺鐘銘事件で有名な方広寺の釣鐘は、奈良の東大寺・知恩院とともに日本三釣鐘に指定されています。

【おまけ】
朝の「東山・秀吉と家康所縁の寺社巡り」の後、京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼」で先日訪れた岩船寺や浄瑠璃寺の仏像を拝観しました。

南山城は、いまの京都府南部、木津川の流域にあたります。奈良と京都の間であるこの地域には古い寺院が点在しており、奈良時代以来の信仰の姿を今に伝えています。

■「南山城の古寺巡礼」案内板

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■京都国立博物館

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京都国立博物館・西門(旧正門)

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*この京都国立博物館の敷地も南側の三十三間堂も、かっては方広寺の境内だったそうです。

六道、東山・山麓寺社巡り:2014.6.8②に続く

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