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2014年6月

2014年6月28日 (土)

●京阪神不思議シリーズ2

京阪神不思議シリーズの第2弾です。5月から6月に見た(体験した)7つのケースを紹介します。

●鉄塔剣山の烏:2014.5.5

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*竹田駅ホームで近鉄電車を待っていた時、目の前に剣山のような長い釘が打たれた送電線の鉄塔がありました。

*この様な大がかりな鳥よけは初めて見たので確認していると、上部になんと烏が“涼しい顔?”で止まっていました。嘴の形からハシボソカラスだと思われますが、「恐るべし!都の烏」でした。

●柳生の里の廃車:2014.5.24

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*柳生の里から「ほうそう地蔵」に向かう柳生街道沿いの畑で見つけました。廃車は周りの自然に溶け込んでいましたが、柳生街道は細い石畳の道で、どのようにしてこの車を運んできたか不思議でした。

●豊祝①:2014.5.24

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*柳生、円成寺、岩船寺、浄瑠璃寺を巡り、近鉄奈良駅の地下にある「豊祝」で乾杯しました。その「豊祝」の不思議です。

●豊祝②:豊祝セット

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*「豊祝」は、奈良市にある蔵元の銘柄であり、店名です。店の豊祝セットは1コイン(500円)で驚き以上の不思議です(写真が光って見にくいですが…)。

*私は、奈良方面への歩歩歩ポ~ンの帰りに、この店か近鉄難波駅ホーム内の姉妹店に何度か立ち寄り、その都度、豊祝セットで乾杯しました。立ち飲みですが地元の粋な人たちでにぎわっていました。

●豊祝③:紅ショウガフライ

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*豊祝の紅ショウガフライ(160円)は、価格以上の価値(味)でした。
*豊祝では、清酒に弱い私が割水をリクエストしても(左のグラスは割水です)、仕込み水(市販のペットボトルを開けて)を無料でグラスに入れてもらえます。素晴らしいクォリティのスタンド・バーです。

●新日吉神宮・狛猿①(北側):2014.6.8

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*豊国廟参道の途中にある新日吉神宮(いまひえじんぐう)の拝殿の両側には、狛犬ならぬ狛猿がいます。

●新日吉神宮・狛猿(南側)②

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*神猿(真猿)と呼ばれ、夜な夜な動き出してしまうということで、逃げ出さないように金網の中にいます。
* 「さる」という響きから「魔が去る」とか「何ものにも勝る」などの意味が重ね合わされて、厄よけの御利益があると言われるようになったそうです。

●京都国立博物館・考える人①:2014.6.8

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*博物館前の丸池のほとりにロダン作の「考える人」が建っていました。

●京都国立博物館・考える人②

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*「考える人」を後ろから見たのは初めてでしたが、この角度からは、「考え込む人」か「困惑する人」に見えてしまいました。

●修学院離宮・浴龍池の鹿:2014.6.20

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*修学院離宮の上離宮にある浴龍池(よくりゅうち)で、水浴びに来ている鹿を見つけました。ガイドの方によると、猪や鹿がよく来園しているとのこと。不思議なことではないそうですが、不思議シリーズのケースにしました。

●正伝寺・血天井:2014.6.22

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*写真・『嗜み』2013.No.19 文芸春秋」より

*正伝寺の住職さんから見せていただいた雑誌の「怖いもの見たさ」考で、京都で血天井のある8つの寺が特集されていました。
今日訪ねた源光庵にも血天井があり、血の足跡がはっきり確認できました。そして、正伝寺も血の天井板でした【写真地図・左上】。
*これまでに訪ねた寺では、大原の宝泉院【写真地図・右上】の血天井を見ましたが、住職のおどろおどろしい説明が印象的でした。他にも5つの寺の天井として使われていたのですね。
*これらの血天井は、怖いもの見たさで見ながら手を合わせますが、さすがにカメラはむけられませんでした。

【血天井MEMO】
*血天井は、1600年、徳川家康の忠臣、鳥居元忠以下1800名と石田三成の軍勢9万が伏見城で戦い、鳥居元忠とその部下は三成軍を少しでも長く京に留まらせようと奮戦しましたが遂に力尽き、落城の際に鳥居元忠ら380名以上が自刃して相果てた痕跡です。

 *鳥居元忠達の遺骸は、関ヶ原の戦いが終わるまでの約2ヶ月間、伏見城に放置され、その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、落ちなくなりました。そこで、供養のため縁側の板を外し寺に移しました。その際に床を床板にしては供養にならないからと、天井にして手厚く供養しているのが血天井として京都各地に残っているのです。

END

水無月の古都・寺社巡り⑥:2014.4.22

水無月の古都・寺社巡り⑥は、鷹峯の常照寺と源光庵を訪ね、北に歩いて西賀茂の正伝寺を参拝しました。

光悦寺の近くの源光庵では法要が執り行なわれていたので、まず常照寺に向かいました。

◆常照寺・案内板

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◆常照寺・参道と山門(赤門)

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 ◆吉野門札

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*吉野太夫が寄進した朱塗りの門は、吉野門とも呼ばれています。

◆常照寺・遺芳庵

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*遺芳庵・茶席には、吉野太夫の好んだ大丸窓(吉野窓)がありました。

◆常照寺・吉野太夫の墓

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【2代目・吉野太夫MEMO】
*吉野太夫は、京都の遊里の一つ、島原で江戸時代初期に遊女をしていた実在の人物です。

*太夫は遊女の最高位で、容姿に加え、高い教養と書画・和歌・俳句・花道・聞香・太鼓・三味線など、諸芸にも優れた人物の位です。吉野は14歳で太夫に上り詰めました。

*吉野に恋心を抱いた人物が灰屋紹益(はいやじょうえき・光悦の甥の子で京都の豪商で文化人)です。26歳の時、22歳の紹益に身請けされた吉野は、その後38歳で亡くなり、遺言により常照寺に葬られました。常照寺では、毎年4月に吉野を偲んで花供養が行われます。

◆源光庵・案内板

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◆源光庵・山門

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◆源光庵・悟りの窓・迷いの窓

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*源光庵の本堂には、悟りの窓(丸窓)と迷いの窓(四角い窓)があります。

*悟りの窓は、円型に「禅の円通の心」を表し、円は大宇宙を表現しています。迷いの窓は、角窓に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表わしています。

*悟りの窓と迷いの窓は並んで一度に観ることができます。“人生は悟りの窓と迷いの窓の移ろい”という意味も込められているのでしょう。窓に映る若葉が美しい悟りの窓と迷いの窓でした。

源光庵から北に歩いて西賀茂の正伝寺を目指しました。

◆正伝寺・山門

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*この山門から、雨に濡れた静かな参道を5分ほど上ると正伝寺の庫裡が見えてきました。

正伝寺で拝観料を納め、廊下を進むと左手(東側)に庭園が広がっていました。庭園の奥に借景の比叡山が見えました。比叡山には雲がたなびいていました。

◆正伝寺・枯山水庭園

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*枯山水庭園は、江戸時代初期に小堀遠州による作庭と言われています。白砂敷平庭に刈り込まれたサツキが7・5・3(写真右に7、中央に5、左に3)に配され、「獅子の子渡し」とも呼ばれています。

*縁側の赤い毛せんに座って庭園を観ていると、ご住職が「ご自由にご覧ください」と庭園の写真集を持ってこられました。拝観者は3組で静かな縁側です。“まったり”気分で写真と目の前の庭園を見比べながら過ごしました。

◆正伝寺・庭園前から臨む庫裡

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*白い長塀の内部が枯山水庭園です。

正伝寺からの帰路、参道の途中から南側の竹林の道を下りて、西方寺・小谷墓地の中にある北大路魯山人の墓を訪ねました。

●北大路魯山人の墓

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*墓誌に北大路魯山人の文字が書かれていました。

今日は“俄墓マイラー”となり、本阿弥光悦、吉野太夫、北大路魯山人の墓をお参りしたことになります。

西方寺から船岡東通まで歩き、大宮総門口町バス停から北大路バスターミナルに向かいました。
北大路で、遅い昼食をとり、朝の逆コースのバスに乗り、今日のゴールの京都駅に着きました。

今日の歩歩歩数は、18,600歩でした。

水無月の古都・寺社巡り⑤:2014.4.22

水無月の古都・寺社巡り⑤は、鷹峯の光悦寺再訪編です。

京都駅バスターミナルは、小糠雨が降っていました。
今日は、「市バス1日乗車券カード」を使って、洛北の寺院を巡ります。

京都駅前から市バスに乗り、約1時間で北大路バスターミナル着、そこで玄琢行きに乗換えて鷹峯(たかがみね)に向かいました。バスは地下鉄に比べると遠回りになりますが、車窓から西本願寺や大徳寺、そして通り沿いの風景を見ることができました。

…鷹峯街道沿いの土天井町バス停で下車、隣りあわせの松野醤油店からスタートしました。

●土天井町バス停

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*左奥に鷹ヶ峰(314m)の頂が見えました。

●松野醤油店

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*1805年創業の老舗です。店頭と裏庭には味噌蔵の中のような醤油の香りが漂っていました。

■松野醤油店HP:
http://www.matsunoshouyu.co.jp/

松野醤油店から西側の細い道に入り、紙屋川沿いの長坂道を歩いて光悦寺を訪ねました。

光悦寺は、前回(高桐院・光悦寺:2014.4.19)参道を見ただけで引き返しましたが、今日は雨上がりの風情のある庭を含め、境内をゆっくり散策しました。

◆光悦寺・案内板

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◆光悦寺・参道①(入口側から撮影)

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*雨に濡れた参道は、敷石も苔も輝いていました。

◆光悦寺・参道② (2014.4.19境内側から撮影)

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◆光悦寺・参道③ (2014.6.22境内側から撮影)

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*2か月前の②の参道に比べると木々の緑が濃くなり、四季の移ろいを感じました。

◆光悦寺・本堂

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◆光悦寺・光悦垣①

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◆光悦寺・光悦垣②

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光悦寺の境内には三巴亭を含め7つの茶室(大虚庵、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵)が散在していました。

◆庭園・東屋から臨む鷹ヶ峰(左)鷲ヶ峰(右)

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◆光悦寺・本阿弥光悦の墓

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◆庭園の梔子(クチナシ)

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境内を散策し、光悦寺を出ました。最後に参道を振り返り、雨上がりの参道の敷石と苔を写しました。

◆光悦寺・参道④

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*「日本参道研究会」会員?である私の個人的な参道ランキングでは、BEST3に入る参道です。

光悦寺を離れ、同じ鷹峯の常照寺と源光庵に向かいました。

水無月の古都・寺社巡り⑥に続く

2014年6月26日 (木)

水無月の古都・寺社巡り④:2014.6.21

水無月の古都・寺社巡り④は、岩船寺から当尾(とうの)の石仏群を辿りながら、浄瑠璃寺に向かいました。

■一眼不動

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*何か一つだけ願い事をかなえてくれるという一眼不動です。

■わらい仏

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*阿弥陀三尊磨崖仏(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)は、皆微笑んでいるような表情なので、わらい仏と呼ばれています。わらい仏は、当尾を代表する石仏です。

■眠り仏

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*わらい仏の横で、首元まで埋まった眠り仏が横たわっていました。

■からすの壺二尊①

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*東面の阿弥陀磨崖仏です。

■からすの壺二尊②

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*前回は、撮影できなかった南面の地蔵磨崖仏です。

愛宕(あたご)灯篭

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*三叉路に立っていました。鬼太郎のねずみ男をスマートにしたような石灯篭でした。

■やぶの中三尊

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*中央が地蔵、右側に十一面観音、左に阿弥陀を配置した石仏です。再び観ることができてヨカッタ。

浄瑠璃寺から約3㎞の道を時計回りに歩いて、点在する石仏を辿り、再び浄瑠璃寺に戻りました。

■ 長尾の阿弥陀 

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*浄瑠璃寺から西小墓地へ向うバス通りに面していました。阿弥陀坐像の上には、笠石が置かれています。

■大門仏谷の磨崖仏

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*当尾では最大(像高288cm)の阿弥陀磨崖仏です。林道から谷越しに撮影しました。

■大門の石仏群

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■首切り地蔵 

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*首のくびれが深く切れて見えるため、首切り地蔵と呼ばれています。当尾の中では最古の阿弥陀石仏です。

浄瑠璃寺発13時46分のバスに乗り、朝、出発した近鉄奈良駅に戻りました。

…近鉄奈良駅から、バスと徒歩で、東大寺・三月堂(法華堂)に向かいました。

途中の東大寺の南大門は、修学旅行中の中高生と海外からの観光客であふれていました。鹿と観光客の間をくぐり抜け、中門前から鏡池の先にある東塔跡を観に行きました。

■東大寺・東塔跡の基壇

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*東大寺には、かつて高さ100m超える東西2つの七重塔が建っていたという言い伝えがあります。東西に塔が聳える様子は、大仏殿内の惰廬舎那仏の後ろにある創建当初の境内を示す伽藍模型と七重塔復元模型で知ることができます。

*記録によれば、東西塔の竣工は764年頃であり、西塔は934年に雷火で焼失し、その後は再建されませんでした。東塔は平安時代に火災や落雷の被害を受け、その度に修理されています。1180年の平重衡の焼き討ちで焼失した後も再建(1227年)されました。しかし、1362年の落雷で焼失し、その後は再建されませんでした。

…東塔跡から三月堂への参道を登りました。
これまでも、東大寺を訪れると、二月堂の舞台から東大寺の甍や奈良盆地を眺めた後に、必ず三月堂の前を通っていました。しかし、三月堂の拝観停止が長かったこともあり、御堂に入らないまま春日大社に向かっていたのです。

最近、『見仏記ガイドブック』を読んだとき、「見仏記の著者の一人であるみうら氏が、三月堂がどこよりも好きな御堂」であることがわかり、“次に東大寺に行くときは必ず見仏しよう”と思っていました。

今日、初めて三月堂の中に入りました。三月堂では、内陣に安置された不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)をはじめとした仏像(梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳)を畳じきの縁から、ゆっくり見仏することができました。
10名前後の人が、縁側に座り場所を変えながら拝観していました。中には、船を漕いでいる人もいて静かで微笑ましい空間でした。

三月堂を後にして、春日大社の参道をゆっくり歩いて、猿沢の池を周りながら近鉄奈良駅にゴールしました。

今日の歩歩歩数は、20,900歩でした。

水無月の古都・寺社巡り⑤に続く

水無月の古都・寺社巡り③:2014.6.21

水無月の古都・寺社巡り③は、岩船寺・浄瑠璃寺再訪編です。

今日(6月21日)は夏至です。 運よく梅雨の晴れ間が今日も続いていました。
近鉄奈良駅発9時11分の一番バスに乗り、浄瑠璃寺に向かいました。
浄瑠璃寺前のバス停で10分待ち、9時44分発のコミュニティバス加茂駅行きに乗車し、9時51分に岩船寺に着きました。

岩船寺・浄瑠璃寺は、「旧柳生街道・当尾歩き:2014.5.24②」から1ヶ月ぶりの再訪となります。
今日は、家人とあじさいの花が咲く岩船寺と浄瑠璃寺を訪ね、当尾(とうの)の石仏群は、前回見れなかった石仏を含めて辿りました。

■岩船寺・石風呂

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*山門前の石段の入口に石風呂があります。案内板には、「石風呂(いしぶろ) 寺塔三十九坊の僧が身を清めた 鎌倉時代」と書かれていました。

 ■岩船寺・山門

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*山門には「関西花の寺 第十五番 岩船寺」と書かれた表札があり、鎌倉彫り風のあじさいが彫られていました。

 ■岩船寺・三重塔(阿字池から撮影)

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*三重塔は、阿宇池を挟んで本堂と向かい合っています。本堂前で、あじさいと三重塔を写しました。

■阿字池の蓮①

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■阿字池の蓮②

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■岩船寺・あじさい①・カシワバアジサイ

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■岩船寺・あじさい②・ヤマアジサイ 

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■岩船寺・あじさい③・ガクアジサイ

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岩船寺は、あじさいを鑑賞する人でにぎわっていました。三脚と望遠レンズで撮影する人(全て中高年の男性でした)も多く見かけました。
前回、本堂で説明されていたご住職は、今日も多くの参拝者に岩船寺の縁起と阿弥陀如来坐像、四天王立像について語られていました。

■岩船寺・参道・無人スタンド

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岩船寺から当尾(とのお)の石仏群を辿り、浄瑠璃寺に向かいました。

■浄瑠璃寺・山門

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■浄瑠璃寺・本堂①(三重塔側・此岸から撮影)

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■浄瑠璃寺・三重塔側石灯籠(此岸)

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■浄瑠璃寺・本堂側側石灯籠(彼岸)

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*宝池(阿字池)を挟んで、三重塔側と本堂側の石灯籠の穴から撮影しました。互いの石灯籠が間に入り、此岸の三重塔と彼岸の本堂を東西に一直線に結ばれていることがよくわかりました。

■浄瑠璃寺・本堂

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*本堂の九体阿弥陀如来像は、11世紀の作と言われています。九体阿弥陀如来像を拝観していると、“1000年、東を向いてそこに御座す”という“大きな存在”を感じました。

■浄瑠璃寺・あじさい①

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●あせび(馬酔木)乃店

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*浄瑠璃寺の参道にある食事処「あせび乃店」で、とろろそばを食べました。蕎麦は、マイタケととろろが絶品でした。店内に堀辰雄**夫人が訪れた時の新聞記事と写真が飾ってありました。
**堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」では、浄瑠璃寺の小さな門、岸べの菖蒲、山門の馬酔木、阿弥陀堂の九体仏、三重塔などが綴られています。

水無月の古都・寺社巡り④に続く

2014年6月24日 (火)

水無月の古都・寺社巡り②:2014.6.20

水無月の古都・寺社巡り②は、修学院離宮と赤山禅院を訪ねました。

鴨川を渡り、出町柳を経由して修学院離宮に向かいました。

■丸太町橋から見た鴨川上流

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出町柳から叡山電鉄に乗り、修学院駅で下車。そこから音羽川沿いの修学院離宮道を歩き、修学院離宮に向かいました。

修学院離宮は、17世紀中頃に後水尾上皇によって造営されました。上・中・下の3つの離宮からなり、借景の手法を採り入れた庭園として、我が国を代表する庭園です。

修学院離宮は、1時30分からの参観コースでしたが、京都御所と同様に宮内庁京都事務所職員の方2名(ガイド役と最後尾の監視役)の案内でした。

■下離宮・御幸門

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■下離宮・寿月観

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*寿月観(じゅげつかん)は、後水尾院の御座所となった所です。

■下離宮裏門から比叡山方面を望む

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*左奥が比叡山の山頂です。下離宮、中離宮、上離宮の間には田植え後の水田が広がっていました。

■中離宮・客殿

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■中離宮・客殿一ノ間

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*客殿の一ノ間の霞棚は「天下三棚」の一つで、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに知られています。

■上離宮に向かう松並木

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*松並木の道を上りつめ、上離宮に入る御成門を潜って急な石段を登った丘の上に隣雲亭(りんうんてい)がありました。

■上離宮・隣雲亭

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*隣雲亭は、上離宮の中で最も高所に建てられていています。浴龍池をはじめ洛中や北山を眺望するために建てられた茶室で、余分な飾りのない建造物です。

■隣雲亭・一二三石

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*隣雲亭の軒の床には、小石が1つ、2つ、3つとちりばめられていて、一二三石(ひふみいし)と呼ばれています。ガイドの方の説明では「一二三石の黒色は加茂川、赤色は鞍馬山から集めてきた」とのことでした。

■隣雲亭から臨む洛中

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*南西の方向に京都御苑(御所)の森が見えました。

■隣雲亭から臨む浴龍池

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■上離宮・窮邃亭

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■上離宮・浴龍池

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■上離宮・大刈込み(奥)

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*下離宮と上離宮を繋ぐ松並木から大刈込み(奥)が見えました。

修学院離宮を出て、北側に隣接する赤山禅院に向かいました。

■赤山禅院・山門

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■赤山禅院・拝殿

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■拝殿・鬼門除けの猿

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*屋根の上には、鬼門除けの猿。御幣とかぐら鈴を持ち、皇城(京都御所)を守護しています。

*表鬼門を守護するしるしとして、赤山禅院の拝殿の屋根には、鬼門除けの猿が置かれています。
猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。金網の中にいるのは、かつて夜になると暴れだし、いたずらを繰り返したため閉じこめたのだと言われています。
ちなみに、京都御所の東北の角にある猿ヶ辻や、滋賀県大津市の日吉大社にも鬼門除けの猿が置かれていることが知られています。
【赤山禅院HP:
http://www.sekizanzenin.com/kimon.html より】

■赤山禅院・赤山大名神(本殿)と正念珠

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赤山禅院の参拝後、修学院駅に向かって歩いていると、燕の巣がありました。雛に餌を与えるため、両親(両燕)が絶え間なく巣に行き来ししていました。

 ●燕の巣

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今日の歩歩歩数は、28,600歩でした。

 水無月の古都・寺社巡り③に続く

水無月の古都・寺社巡り①:2014.6.20

京都には、あらかじめ手続きをしないと拝観(参観)できない特別なところがあります。

まず、西芳寺(苔寺)です。苔寺は往復はがきで申し込み、冥加料3000円を納め、本堂での写経の後に庭園を参観することができました(「東山・西山・嵐山巡り②:2013.2.25」参照)。

残りは、京都御所、仙洞御所、修学院離宮、桂離宮です。家人にインターネットで申し込んでもらい、京都御所と修学院離宮を訪ねることになりました(いずれも平日のみの受付で、参観料は無料です)。

水無月の古都・寺社巡り①は、家人と京都御所と周辺の名所を訪ねました。

京都市営地下鉄・今出川で下車し、乾御門から京都御苑に入りました。京都御所は、京都御苑(東西約700m、南北約1300m)の中にあり、東西約250m、南北約450mの築地塀で囲まれた内裏です。

■京都御所・西側

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【京都御所・案内図】

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*最初は、今日回るコースの説明です。ガイド役の方の手が映っています。

*御所は、宮内庁京都事務所職員の方2名(ガイド役と最後尾の監視役?)の案内で進みます。ガイド役の方は、90分の間、約70名の参観者全員に届く大きな関西弁で説明していました。流石、宮内庁職員、ユーモアあふれる説明でも立居振舞が優雅でした。

■宣秋門

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*京都御所は、1331年(北朝初代・光厳天皇)から1869年(第121代・考明天皇)までの期間、歴代天皇が居住し儀式や公務を執り行う場所(皇居・禁裏)でした。

*宜秋門(ぎしゅうもん)は、公卿たちのうち昇殿を許された親王、摂家などが正式な参内の際に使用されました。

■承明門と紫宸殿(奥)

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*承明門(じょうめいもん). 紫宸殿(ししんでん)の南正面の門です。天皇行幸や上皇御即位後の出入りに用いられました。

*紫宸殿は御所の中で最も格の高い正殿で、即位の礼や節会などの儀式が行われ、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位の儀式もここで執り行われました。

■建礼門

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*建礼門(けんれいもん) は、京都御所の正門です。天皇が臨幸されるときに開かれます。

*ちなみに建礼門院は、「建礼門の近くで生まれた女性」という意味だそうです。

■建春門

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*建春門(けんしゅんもん) は、皇太子の出入りに用いられました。

■小御所・御学問所

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*小御所(左)と御学問所(奥)の間にある砂利の広場が蹴鞠の庭です。

■御常御殿・御内庭

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*御常御殿(おつねごてん) は室町から近世まで天皇の日常の御座所として用いられていました。

*御常御殿は、明治天皇も17歳まで住まわれた御殿で、御殿の東側に遣水を中心とした御内庭(ごないてい) があります。

御所の拝観を終え、御所の東北角の鬼門にあたる猿が辻を観に行きました。

■猿が辻①

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*猿ヶ辻の角は、直角ではなく一部が切られています。 山王権現日吉社の猿は、左側の軒先にありました。

■猿が辻②

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*京都御所の鬼門にあたるところに、御幣を担ぐ山王権現日吉社の猿の浮き彫りがありました。

京都御苑の東北にある石薬師御門を出て、南に向かって歩いていると社らしき森がありました。

…急に気圧が変化したようで耳がツーンとしてきた所が梨木(なしのき)神社だったのです(家人も同じ状態で、不思議なパワー・スポットの神社でした)。

■梨木神社

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*三条家の邸宅跡に、王政復古を唱え、明治維新の原動力となったといわれる三條實萬(さねつむ)・實美(さねとみ)父子を祀るため、1885年に創建された神社です。

*梨木神社の境内には、京都の三名水の一つ染井(そめい)の井戸がありました。

染井の井戸で喉を潤した後、丸太町橋の側にある山紫水明処(頼山陽の書斎)を観に行きました。

■頼山陽山紫水明処①

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■頼山陽山紫水明処②

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*山紫水明処の見学は、往復はがきによる事前の手続きが必要でした。

山紫水明処を見学できなかったのは残念でしたが、御所で予約を入れた京料理みこうのランチで気分上々となりました。

●京料理みこう

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●みこう・町屋点心と鱧の湯引き

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●みこう・鱧焼き

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*夏鱧の湯引きは梅肉でいただきました。鱧焼きは、ゆず胡椒が効いていて「The HAMO!」という味でした。

京料理みこうHP:
http://kyo-mikoh.com

水無月の古都・寺社巡り②に続く

2014年6月17日 (火)

●名水・湧水シリーズ:その5

【名水・湧水シリーズ:その5】では、5月から6月にかけて訪ねた奈良、京都の寺社の近くに湧き出る、名水・湧水を紹介します。

●壷阪寺の水

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*5月18日に訪ねた壷阪寺のお里・沢市の像の側にある水です。近くの椅子に座っていたおじさんが「この水は目に良いの?」と話しかけて来たので、「目にも良いといいですね」と応えました。

*「壷阪沢市清明水」(壷阪寺で購入した目薬)ではありませんが、まさに清明水のような味でした。

●浄瑠璃寺の水

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*5月24日に訪ねた浄瑠璃寺・本堂の北側にありました。拝観受付の御住職に「飲めますか?」と尋ねると、「美味しいですよ。蛇口から直接汲んでください。」とのこと。後ろは井戸の石積みの様で、蛇口の周りの苔が鮮やかでした。

●八坂神社・祇園の御神水(湧水)

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*6月8日、長楽寺に向かう前に八坂神社で「祇園の御神水」を汲みました。「飲料水ではありません」と書いてあるので、私の前に汲んでいたご婦人に尋ねると「毎日飲んでいますが美味しいですよ。近所の料亭や喫茶店の方も汲みに来ていらっしやるようです。」とのこと。

*まず、小さなペットボトルに汲んで飲んでみました。祇園の御神水は地下90mから湧き出しているとのことで、気のエネルギーを得る力水なのだとか。“まろやかでおいしい力水”でした。
その後、4Lをザックに詰めていると。若いカップルが並んでいたので、「美味しいですよ」と伝えました。

●長楽寺・八功徳水(湧水)

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*長楽寺の「平安の滝」に落ちる水は、東山奥院の山中からの湧き水で「八功徳水(はっくどくすい)」と呼ばれています。「八功徳水」は、名前の様に八種の功徳があるといわれています。八種とは、「甘い、冷たい、軟らかい、軽く、清浄、無臭、飲時不損喉、飲己不傷腹」の徳性があるとのこと。

*右手の柄杓で、落ちてくる八功徳水を汲んで飲みました。

●金剛山・金剛の水

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*金剛山から下山し、林道に出て水越峠へ3分ほど歩いた水場が「金剛の水」です。

*まず、喉を潤し、それから持参していたペットボトル全てに詰めました。6L近くの名水は、その後の葛城山の登りでペースダウンに繋がりましたが、背中で運んだ「金剛の水」は、飲むたびに付加価値があり、+αの美味しさです。

END

2014年6月15日 (日)

金剛山・葛城山ダイヤモンドトレール縦走:2014.6.14

今日は、金剛山と葛城山と両山系をつなぐダイヤモンドトレールを縦走しました。

ダイヤモンドトレールは、屯鶴峯‐二上山‐岩橋山‐葛城山‐金剛山‐岩湧山‐槇尾山を結ぶ総延長約45kmの縦走路で、大阪府・奈良県・和歌山県にまたがっています。また、六甲山系、比良山系とならぶ関西地方を代表する縦走路です。

南海線河内長野駅7:45発の南海バスに乗りました。
バスは、以前訪れた観心寺(後村上天皇陵と楠木正成の首塚があり、南朝と楠公にゆかりの深い寺です)の前を通り、30分ほどで金剛登山口(標高・500m)に着きました。

■金剛登山口・バス停【8:15】

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【千早城MAP】

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■千早城跡案内板【8:25】

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*この案内板から500段程の石段を登りつめると、四の丸跡に達します。

■千早城からの眺め【8:30】

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*千早城は、楠木正成が建造(鎌倉時代末期から南北朝時代に存在)した城です。四の丸跡から観心寺方面と河内長野方面が望めました。

■千早神社【8:35】

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■千早ルート・五合目【8:55】

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*五合目にウルトラマンとバルタン星人の石像がありました。

*千早ルートを登っていると、男女を問わず年配の方が下りてきます(また、登っている中高年も多く見かけました)。しかも皆さん空身で軽快な足取りです。“ロープウェイ運行前なのに何故?”と思っていましたが、山頂の転法輪寺前の捺印所で分かりました。

■金剛山・国見城跡【9:30】

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*金剛山頂の看板がありますが、実際の最高点(標高1125m)は葛木神社の裏です。国見城跡からは、大阪市内や大阪湾、六甲山系が一望できるそうですが、今日は霞がかっていて大阪市内のビルが確認できたのみでした。

■金剛山・登拝記録板

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*金剛山頂で、転法輪寺登拝記録板を見つけました。登拝記録板には、100回以上の登拝者の氏名が記載されていました。この記録版は1,000回以上の登拝記録板(奥に100回以上の記録板がありました)です。

*金剛山1,000回、2,000回登山でもすごいのに、10,000回以上の登拝者として5名の記載がありました。10,000回は毎日登山しても27年間以上の年月が必要です。1日2回以上
の登山もあったのでしょう。まさに「阿闍梨の千日回峰行満行のような荒行」に思えました。

■金剛山・転法輪寺(てんぽうりんじ)

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*転法輪寺は葛城修験道の大本山で、役小角(えんのおづめ)が修業した寺でもあります。

■豊太閤・瓢池(ひさごいけ)

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*ひさご池は、転法輪寺の境内にありました。ひさご(瓢)とは瓢箪のことだったのですね。先週、豊臣秀吉所縁の所を訪ねましたが、金剛山にも秀吉の足跡がありました。

転法輪寺から杉並木の参道を通り、葛木神社に向かいました。

■葛木神社・参道【9:40】

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*参道の右手に夫婦杉が聳えていました。

■夫婦杉・石碑

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*石碑に刻まれていた銘文(迷文?)です。しばらく立ち止まり確認してしまいました。

 『夫婦 二十代は愛で  三十代は努力で  四十代は我慢で  五十代は諦めで 六十代は信頼で  七十代は感謝で  八十代は一心同体で  そしてそれからは空気のようなふれ愛で』

 

■金剛山・葛木神社【9:50】

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■葛木神社・由緒案内板

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■葛木神社・神殿と十三末社

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■一の鳥居【10:00】

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*一の鳥居から、葛城山につながるダイヤモンドトレールを歩きました。

■葛城山・南尾根から葛城山を望む【10:10】

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金剛山から南尾根を下り、水越峠(515m)に続く林道に出ました。

途中の水場(金剛水)で昼食のおにぎりを食べ、いつもの様にペットボトルに金剛の水を汲みました。 

…水越峠から葛城山への登り(標高差約450m)は、思った以上にハードでした。

■ダイヤモンドトレール石碑【12:00】

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*ダイヤモンドトレールの石碑は、縦走路脇に数百mごとにた立っていました。この名称は、「ダイヤモンド(金剛)トレール」という意味を込めて命名されたのでしょうね。

■葛城山・山頂付近のアザミ【12:35】

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*朝方から標高差のある上り下りを繰り返したこと、そしてハイペースの影響で、両足(脹脛と太もも)が攣ってきました。ストレッチをしようと立ち止まった所に、鮮やかなアザミが咲いていたので写真に収めました。良く見ると蕾にテントウムシがいました。

■葛城山頂直下から金剛山を望む【12:40】

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*葛城山の山肌には、大規模なツツジ園が広がっています。“真っ赤なツツジ花が咲きほころぶ頃の金剛山は、ツツジ越しの景色でさらに見ごたえがあるだろうな”と思いました。

■葛城山・山頂【13:10】

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*葛城山山頂の三角点(959.7m)とモニュメントです。山頂は広く“葛城平(高原)”のような印象でした。

両足の攣りは、山上のロッジで休憩し、ポカリスエットを飲んで少し改善しましたが、山頂でも足が攣らないよう慎重に歩きました。

…山頂からは、自然観察路を通って北尾根コースを下りました。
自然観察路の先に葛城ロープウェイ山上駅があり、登山口駅との標高差600mを6分で下るのは魅力的でした。一瞬“ロープウェイで降りよう…”という囁きがありましたが、歩歩歩ポ~ンの方針(初志貫徹)により、山上駅手前の自然観察路に入りました。

自然観察路は予想以上の素晴らしい道でした。広葉樹林が拡がり、鶯をはじめとした山鳥の囀りが近くで聞える登山道でした。

歩きながら、“こんなに山鳥の囀りが大きくて絶え間なく聞こえるのは何故だろう…?”と考えてみました。すると“今、子育ての期間で、いろんな山鳥の雛が(親鳥から餌をもらうために)いっせいに鳴いているのでは”という結論に至りました。この季節は、雛鳥が大きく育つエネルギーあふれる森でした。

■御所遠景【14:10】

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*見晴らしの良いパノラマ台で撮影しました。御所市の盆地がよく見えます。また、奥右側の山並みで一番高い山が高取山=高取城です。

ロープウェイ登山駅に【14:25】着。下りは約70分のコースタイムでした。20分ほど休憩し、奈良交通バスで近鉄御所駅に出て、近鉄電車で尺土駅経由阿倍野(天王寺)に向かいました。

【金剛山・葛城山縦走ルート】

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今日の歩歩歩数は、32,000歩でした。

2014年6月13日 (金)

六道、東山・山麓寺社巡り:2014.6.8②

お昼から、六道と東山の山麓にある寺社を巡りました。

豊国神社から町屋の間の路地を歩いて北に向かい、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)と六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を訪ねました。

六波羅蜜寺は、第60代醍醐天皇の第二皇子である空也上人により951年に開創されました。

■六波羅蜜寺①

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*六波羅蜜とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。
出展:六波羅蜜寺HP:「六波羅蜜とは」

■六波羅蜜寺②

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■六波羅蜜寺③

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六波羅蜜寺から六道珍皇寺に向かう路地で、小さなおばんざいの店(ゆたか屋)を見つけ、そこで昼食をとりました。

■おばんざいの店「ゆたか屋」

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■おばんざい

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*おばんざい(お番菜、お晩菜、お万菜)は、「昔から京都の一般家庭で作られてきた家庭料理・惣菜のことで、旬の素材、手近な食材を、手間をかけずに使い切る献立」のことだそうです。今日の昼食メニューは、ごはんに魚、味噌汁、7つの小皿の惣菜でした。

六道珍皇寺は、平安京の葬送地であった鳥辺野(平安時代の京都の葬送地は、東の鳥辺野、西の化野、北の蓮台野があり、風葬だったそうです。そのため、葬送地一帯は数多くの野ざらしの亡骸があったといわれています)に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」が行われていました。

■六道珍皇寺山門と六道の辻の碑

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*六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境の辻(六道の辻)が、古来より六道珍皇寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきました。

■六道珍皇寺・冥土への通路と伝わる井戸

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*六道の辻にある六道珍皇寺には、小野篁(たかむら)が夜毎冥府通いのため、本堂・裏庭にある井戸をその入口に使っていたという伝説があります。

六道珍皇寺から、東山の麓を北に向かいました。そして八坂神社の境内に入り参拝した後、円山公園を経て大谷祖廟にある親鸞聖人御廟を目指しました。

■大谷祖廟・親鸞聖人御廟

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*親鸞聖人御廟は、以前参拝した知恩院(浄土宗の総本山)の法然上人(親鸞聖人の師)の御廟と同じような佇まいで、東山の中腹から洛中を見護る位置に造営されていました。また、朝、訪れた豊国廟も東山の一峰である阿弥陀ヶ峰から洛中を見護る構造になっていました。

*東山に多くの寺社仏閣が東山三十六峰に建立(造営)されたのは、奈良・平安時代からこのエリアが人びとにとって神域となっていたからなのでしょう。

…大原の寂光院に通う中で、建礼門院に所縁のある長楽寺を訪ねようと思っていました(また、天皇陵の参拝は現在123陵目ですが、下関にある第81代・安徳天皇【建礼門院と第80代・高倉天皇の第1皇子】の阿弥陀寺陵を124番目に参拝したいと思っています)。

大谷祖廟の北側に沿って東山三十六峰の長楽寺山に向かう参道は、長楽寺に続いています。この参道を登り、長楽寺を目指しました。

【長楽寺境内MAP】

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■長楽寺・山門

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*長楽寺には、大原の寂光院横に眠る建礼門院が出家した寺で、安徳天皇や建礼門院に所縁の品々が御遺宝として収蔵されていました。

■長楽寺・建礼門院塔

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■長楽寺・平安の滝

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*平安の滝を囲む石組みには、室町時代から近世までの石仏が組み込まれていました。

■長楽寺・頼山陽の墓

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*長楽寺の裏山に、幕末の志士に影響を与えた『日本外史』の著者で「山紫水明」という言葉が広まるきっかけの書斎(山紫水明処)を造った頼山陽の墓がありました。

■長楽寺墓地からの遠望

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*市街の手前が円山公園で奥の山並の一番高い頂が愛宕山です。

長楽寺の締めくくりは庭園です。誰もいない拝観所で、ゆっくり庭園(相阿弥作)を眺めました。

■長楽寺・庭園

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長楽寺から再び、円山公園と八坂神社を散策し、鴨川を渡ってゴールの河原町に着きました。

【今日のコースMAP】

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今日の歩歩歩数は、28,200歩でした。

2014年6月10日 (火)

京都東山・秀吉と家康所縁の寺社巡り:2014.6.8①

今日は、未だ訪れていない京都・東山の寺社を巡りました。
朝方は、「東山・秀吉と家康所縁の寺社巡り」。午後は、「六道・東山山麓寺社巡り」です。

…朝、8時前に京都駅をスタートし、鴨川(七条大橋)を渡って京都博物館と三十三間堂の間の道を東に歩きました。そして、豊臣秀吉と徳川家康に関係の深い豊国廟(ほうこくびょう)、智積院(ちしゃくいん)、豊国神社を訪ねました。

■智積院・総門

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*豊国廟への参道は、智積院(総門の左側)と妙法院の間が起点となります。

■京都女子大学・BCE校舎正門

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*阿弥陀ヶ峰の豊国廟に向かう参道は、通称「女坂」というそうです。参道を挟んで、幼稚園・付属小、中高、短大、京都女子大学の校舎群があり、「女坂」の由来になっているとか…。歩くとアキレス腱のストレッチになるくらいの坂道でした。


■豊国廟参道①

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*参道途中にある大鳥居と太閤坦(たいこうだいら)です。写真奥が豊国神社社務所と拝殿(1600年前後は、ここに豊国社がありました)です。拝観券(100円)を納めて、豊国廟への長い石段に入りました。

*拝殿では、
茨城県から修学旅行で来た男子高校生(5名)と一緒になりました。豊国廟を参拝する修学旅行は、彼らが企画したのでしょう(偉い!)。日吉丸のような少年たちが、競争しながら元気に石段を駆け上って行きました。

■豊国廟参道②

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*参道入口と315段の石段(拝殿~中門) です。

■豊国廟参道③

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*中門から豊国廟までの石段は174段で、参道入口から豊国廟までの石段の合計は489段になりました。急勾配の石段を駆け上がっている高校生が見えます。

1598年8月18日、秀吉が伏見城で死去(享年63歳)しました。遺体は東山の阿弥陀ヶ峰山頂に葬られ、墓所には祠廟(豊国廟)、山麓には社殿が建立されました。

その後、大坂夏の陣により豊臣家が滅亡(1615年)し、徳川政権下になると、豊国廟と方広寺は、幕府によって徹底的に破却されました。

1897年の秀吉の300年忌に際し、今日見ることができる廟宇が再建され、墳上には巨大な五輪石塔が建てられました。(なお、社殿は、1880年に旧方広寺・大仏殿の地に豊国神社として再建されています。

…阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)山頂・193.5mにある豊臣秀吉の廟所(豊国廟)に着きました。

■豊国廟

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*豊国廟の五輪塔の高さは、10mあります。

*“秀吉は、何故この阿弥陀ヶ峰に自らを葬るよう遺言を残したのだろう…”と考えました。調べてみると、豊国廟-豊国神社-西本願寺が東から西に一直線に並んでいて、豊国廟から西方を護る説がありました。

*私は、“秀吉が亡くなる半年前に訪れた醍醐寺(醍醐の花見)を模して廟を造営した”という説を考えました。
つまり、「上醍醐が豊国廟」で「下醍醐が豊国神社(方向寺)」であり「上と下を結ぶ石段の参道で一体になっている」とう仮説です。

上醍醐と下醍醐を結ぶ参道と豊国廟と豊国神社を結ぶ参道を歩いた体験で実感しました。

■豊国廟参道④

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*帰路、再び中門下から豊国廟を振り返って撮影しました。

豊国廟で出会ったおじさんの話によると、1996年放映のNHK大河ドラマ「秀吉」のオープニングで藤吉郎が駆け上がる石段は、この階段だったそうです。

■豊国廟参道⑤

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*参道の踊り場と石段です。石段は、1段目が短い奥行で2段目が長い奥行が繰り返す構造でした。

*また、参道の石段は、途中4つの踊り場をはさんで63段が5つ続きました。石段の設計にあたっては、“秀吉が死去した63歳を意識して63段で設計されたのではないか”との説があります。

…豊国廟から石段を下り、中腹の新日吉(いまひえ)神宮を参拝しました。
新日吉神宮は、1160年に後白河法皇が近江日吉山王(5月に参拝した坂本の日吉大社です)の神を勧請したのが始まりで、江戸(徳川)時代に密かに豊臣秀吉の神霊をお守りしてきた神社です。

■新日吉神宮・楼門

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■新日吉神宮・拝殿

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新日吉神宮から参道を下り、家康と縁の深い智積院(ちしゃくいん)に向かいました。

【智積院・境内図】

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*1601年、徳川家康により東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、智積院が再興されました。その後、秀吉が建立した祥雲禅寺を拝領し、境内伽藍が拡充されたそうです。

■智積院・本堂

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*智積院は、成田山新勝寺や高雄山薬王院の大本院をはじめ、全国三千の末寺を擁する真言宗智山派(ちさんは)の総本山です。

■学侶・学侶墓地

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*本堂裏の阿弥陀ヶ峰の麓にありました。この地で修業し、亡くなった学侶の墓石群が智積院の歴史を物語っていました。

【学侶墓地・案内板】

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■智積院・収蔵庫

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*収蔵庫の扉に「自動ドア」と書かれていましたが、本当に自動ドアでした。

*収蔵庫には、長谷川等伯一門による「桜図」「楓図」「松と葵の図」「松に秋草図」等の桃山時代(16世紀)の障壁画が収められていました。

■智積院・庭園①

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■智積院・庭園②

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*智積院の庭園は、石(岩)と木と水と日光が調和した素晴らしい世界でした。



智積院から京都国立博物館を経て豊国神社に向かいました。

■豊国神社・鳥居

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■豊国神社・唐門

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*唐門は、伏見城の遺構と伝えられています。西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つです。唐門には豪華で精緻な彫刻が施されていました。

■豊国神社・唐門から見た本殿(奥)

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*唐門横には、秀吉の馬印「千成瓢箪」にちなんだ瓢箪形の絵馬が飾られていました。

■方広寺・釣鐘

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*方広寺鐘銘事件で有名な方広寺の釣鐘は、奈良の東大寺・知恩院とともに日本三釣鐘に指定されています。

【おまけ】
朝の「東山・秀吉と家康所縁の寺社巡り」の後、京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼」で先日訪れた岩船寺や浄瑠璃寺の仏像を拝観しました。

南山城は、いまの京都府南部、木津川の流域にあたります。奈良と京都の間であるこの地域には古い寺院が点在しており、奈良時代以来の信仰の姿を今に伝えています。

■「南山城の古寺巡礼」案内板

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■京都国立博物館

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京都国立博物館・西門(旧正門)

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*この京都国立博物館の敷地も南側の三十三間堂も、かっては方広寺の境内だったそうです。

六道、東山・山麓寺社巡り:2014.6.8②に続く

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