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2014年8月

2014年8月24日 (日)

日本のミケランジェロ・石川雲蝶:2014.8.20

小出に出て、「日本のミケランジェロ」と称される石川雲蝶縁の寺を訪ねました。
まずは、永林寺です。

*石川雲蝶 - にいがた観光ナビ
http://www.niigata-kankou.or.jp/shiru/rekishi/jinbutsu/uncho/index.html

●永林寺・本堂①

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●永林寺・本堂②

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永林寺は、石川雲蝶の作品が数多く残されていることで有名です。雲蝶が、13年の歳月をかけて作成した欄間の彫刻は、雲や波ばかりではなく人物や龍にも大きな躍動感がありました。

写真撮影は禁止なので、本堂内のポスターを撮影しました。

●永林寺・本堂ポスター①

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●永林寺・本堂ポスター②

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本堂の欄間は、生きているような天女、邪鬼や獅子、龍が、彫り物と思えない迫力で、御本尊が目立たなくなってしまいそうでした。

…11時過ぎに永林寺を出て、再び「いたや」に向かいましが、残念ながら今日も臨時休業でした。他の蕎麦屋も訪ねましたが定休日のため、初日に訪ねた道の駅「深雪の里」で昼食をとりました。

「深雪の里」で、開高めしと蕎麦を食べ、大満足でした。

●開高めし

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*開高めしの由来は、村杉小屋で山菜を入れた炒めご飯を食べた開高健氏が感動し、油を多く使わない、紅ショウガを付けるなどアドバイスで進化した炒めご飯です。その後、村杉小屋では、この炒めご飯を釣り客のお弁当としても出すようになったそうです。そして現在、開高さんが好んだ山菜めしは、「開高めし」と名付けられ、魚沼の名物料理として主な店のメニューになっています。

食事後、西福寺に向いました。
西福寺は、1534年に開創された曹洞宗の古刹です。ガイドには「石川雲蝶による開山堂の天井に広がる極彩色豊かな彫刻が必見の価値あり」とあり、永林寺の余韻を残しながらもワクワクしながら向かいました。

【開山堂境内図】

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■西福寺・山門(白門)

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■西福寺・本堂

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■西福寺・開山堂

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*開山堂は、雪囲い用の鉄骨屋根(やぐら)に護られていました。

■開山堂・向拝・烏天狗

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西福寺の石川雲蝶の作品群(内部の彫刻は撮影禁止です)も大感動でした。狭い開山堂の内部の彫刻は、直に見て初めて分かる構図、灯りのない時代でも鮮やかに写る色彩、これらが時空を超えた存在感で迫ってきました。

…開山堂内部を師匠と二人で静かに見ていると、観光バスのツアー客が押し寄せてきたので、早めに切り上げました。

●石川雲蝶生誕200年の幟と開山堂

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*今年が石川雲蝶生誕200年で、新潟県を挙げてPRしているようです。以前は「新潟のミケランジェロ」と称された雲蝶が、今は「日本のミケランジェロ」となっていることもあり、今後、多くの方に見ていただきたいと思いました。

●石川雲蝶の石碑

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今度は、京都・奈良の寺社のように、人が少ない季節に訪ねたいと思いました。

*西福寺HP
http://www.saifukuji-k.com/uncho.html

西福寺を出て、一路、館林に向い、16時前に館林駅に到着しました。

●館林駅前温度計②

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*15時53分の館林駅の温度計の温度は、見にくいですが38度でした。さすが日本一。木の後ろにはミスト通りとなっていました。

「夏の奥只見:2014.8.18-20」と「日本のミケランジェロ:2014.8.20」の3日間の歩歩歩数は、15,800歩でした。

夏の奥只見探訪:2014.8.18-20

夏休み・歩歩歩ポ~ン新潟編です。
8月18日から20日にかけて、新潟県の小出と奥只見に行ってきました。事前の3日間の計画は、ノグチ師匠と「小出でへぎ蕎麦、奥只見の山小屋で渓流釣りと温泉を楽しむ」スケジュールを立てていました。

【8月18日】

朝、新宿発7時22分の湘南ライナー宇都宮行きに乗車し、久喜駅経由で館林駅9時着でした。

●館林駅前温度計①

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*「日本一暑い」といわれる館林駅の温度計です。18日朝9時の温度は、すでに28度でした。

館林駅前で同行するノグチ師匠と合流し、師匠の車で館林ICから小出ICを目指しました。

●小出・「山岡荘八生誕の地」記念碑

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*小出の道の駅に建てられた「山岡荘八生誕の地」碑です。
小出は、最近読んでいる「柳生宗矩」「柳生石舟斎」「徳川家康」の著者・山岡荘八が生まれた所です。今回の旅では、小出駅近くの山岡荘八の碑に立ち寄るつもりでしたが、偶然見つけたこの記念碑で満足しました(幟の字は風で裏側になっています)。

「へぎ蕎麦」を食べに地元の名店「いたや」に向かいましたが、ようやく探し当てた「いたや」は、お盆明けの臨時休業でした。そこで、小出に戻り、車で街を廻りながら蕎麦屋を探しましたが、見つけることができず、結局、小出駅前の「富貴亭」に落ち着きました。ここで、二人で五合の「へぎ蕎麦」を食べ、第一の目的を達成しました。

「富貴亭」で、魚沼の観光案内誌『ぶらり魚沼』を見ていると、『日本のミケランジェロ石川雲蝶』の文字が目にとまりました。その頁を見ると、小出周辺の永林寺と西福寺に石川雲蝶の作品群があることが分かりました。「これ見たいね」と私。師匠も「帰りに見て帰ろう」と即答(見仏記のみうらじゅん氏といとうせいこう氏のような会話)でした。

*師匠は、今回の旅の前に小出情報を確認し、石川雲蝶の彫刻や欄間を見たいと思っていたそうです。そこで、夏休み・歩歩歩ポ~ン新潟編に石川雲蝶縁の永林寺と西福寺を加わえることにしました。

昼食後、「富貴亭」のおかみさんに教えていただいたスーパーで3日分の食料を買い出し、懐かしい「奥只見シルバーライン」を抜けて、奥只見銀山平の山小屋に向かいました。

*奥只見シルバーラインは、奥只見ダム建設用に造られたトンネル中心の道路(全長約22kmの内、約18kmがトンネル)です。
奥只見湖と奥只見ダムは、真保裕一原作の小説を映画化した『ホワイトアウト』で、テロリストに占拠された「奥遠和ダム」のモデルになりました。映画では、テロリストの要塞トンネルとしてシルバーラインのトンネルが映されていました。

**銀山平の名前の由来は、江戸時代に銀が産出されたためです。現在、坑道等は奥只見湖の湖底に沈んでいます。

伝の助小屋で入舎の手続きし、銀山平の小屋まで送っていただきました。
懐かしい山小屋(前回から、12年ぶりかな?)は、お盆のワークで来た方々と入れ違いになり、私達二人きりでした。
早速、水道の開栓、電気・ブレーカーON(前回まではランプだったので電灯が付いているのは「文明開化」のようでした)、窓開け、掃除を実施し、夕食の準備に取り掛かりました。

ワークが一段落すると、この10年できれいに整備された山小屋の周りを散策しました。

●山小屋付近のエゾアジサイ①

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*師匠の教え:「エゾアジサイの中心部・青淡色の小さな蕾のような部分が花(両性花)で、まわりに花弁4枚の青色の装飾花(花のように見えますがガク片です)をつけているよ。」「蜂は青色の装飾花に誘われて、エゾアジサイに寄せられ、中の小さな花に停まり受粉するんだよ。」

*エゾアジサイは「水無月の古都・寺社巡り③:2014.6.21」で紹介した「岩船寺・あじさい②・ヤマアジサイ」と似ていました。師匠に訊くと、エゾアジサイは、ヤマアジサイの変種とのことでした。【私が写した写真がぼけていて、①は師匠の写真を使用しました】

●山小屋付近のエゾアジサイ②

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*師匠の教え:「エゾアジサイの受粉が進むと、花が“蜂さんもう受粉しているから来なくていいよ~。”と青色の装飾花をひっくり返し薄紫の装飾花にするんだよ。」(この写真のエゾアジサイの上側はまだひっくり返る前の装飾花で、下の方はをひっくり返った後の装飾花です。“植物は黙っているけど動物をコントロールしていて偉い!”と思いました。

夕方、近くの銀山平温泉「白銀の湯」に浸かり、暮れなずむ駒ケ岳と中ノ岳を眺めました。
山小屋に帰り、ランプ風の灯りの下で夕食をとり、師匠と積もる話をしながら眠りにつきました。静かな、静かな夜でした。

●山小屋の灯り(ランプ風の電灯)

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【8月19日】

今日は、奥只見での渓流釣りの日です。

●朝焼けの銀山平

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*山小屋の周りは霧がかかっていました。荒沢岳の稜線から太陽が出ようとしています。

朝食後、釣りの準備をし、山小屋前の散策路で師匠からフライ(フィッシング)の投げ方の手ほどきを受けました。その後、伝の助小屋に遊魚券をとりに行き、石抱橋で餌となる水生昆虫をとって中ノ岐川に向かいました。

銀山湖の湖岸道路を尾瀬方面に走り、中ノ岐川に着きました。しかし、先着の車が3台駐車していて先に釣られている可能性大だったため、尾瀬寄りの恋ノ岐川に向かうことにしました。

●恋ノ岐乗越付近からの眺め

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*銀山湖と走ってきた湖岸道路が見えました。

恋ノ岐川に架かる橋の横にも、2台の車が駐車していました。師匠と私は出遅れたことを反省しながらも、恋ノ岐川に降りてみました。橋から上流の恋ノ岐川は渓谷でした。回廊部分もあり、高巻と渡渉(腰近くまでの深い淵もありましたが、師匠持参の防水服での渡渉は快適でした)を繰り返しました。

恋ノ岐川では、滝下や淵のポイントに釣り糸を投げましたが(魚影そのものがなく)、1時間ほど粘ったものの釣果ゼロ。お昼も近くなったので、一度山小屋に帰ることにしました。


山小屋で昼食をとり、釣りは、夕方に北ノ岐川で再挑戦することにし、昼寝をしました。小屋の窓から吹いてくる涼風を感じながらの昼寝は最高でした。

…夕方、開高 健の碑がある石抱橋の上から魚影が確認できたので、橋の右岸と左岸に分かれて、師匠はフライ(フィッシング)、私は餌釣り(再度、餌用の水性昆虫を採りました)で再開しました。
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【銀山平と開高健】
*前回、銀山平を訪れた時は、旧村杉小屋の2階に泊まりました。その部屋の床の間には、開高健(かいこうたけし・1930年12月30日-1989年12月9日)氏の色紙「明日世界が滅びるとしても 今日 あなたは リンゴの木を植える 開高健」が飾られ、サントリーオールドが1本花瓶の様に置かれていた事を思い出しました。

考資料:村杉と銀山平のあゆみ】
●1970(昭和45)年
5月 作家開高健氏フィッシュオンの取材に来る (和船4艘)
6月~8月 開高健氏逗留
10月 電気開通
 

●1971( 昭和46)年
6月 開高健氏一家とサントリー佐治氏一家6人で来訪 (アケビの木の芽に喜ぶ)
8月 奥只見シルバーライン有料道路として開通 
9月 電話開通 開高氏来訪(山芋を喜ぶ)

【出所:銀山平温泉の宿 村杉HP】より

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北ノ岐川での釣りは30分ほどでしたが、夕食分が確保できたので、早目に投了しました。

●釣果

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*虹鱒(18-20cm)4匹、ウグイ(12cm)3匹でした。北ノ岐川は岩魚は少ないようで、稚魚を放流し育った虹鱒が多く生息しています。

夕食は、虹鱒の塩焼きとムニエル風が加わり、豪華になりました。

夕食後は、棚にあった日誌や「旅杖」を読みながら、昔話に花が咲きました(今日、何人もの方々が原因不明のくしゃみをしたことでしょう)。
夜間は、強い雨で、小屋のトタン屋根が音を立てていましたが、電話もTVもラジオもない静かな銀山平でした。

【8月20日】

朝、快晴の銀山平で周囲の山々を撮影しました。

●小屋からの中ノ岳・望遠(左奥・2085m)

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●小屋からの駒ケ岳・望遠(右山頂・2003m)

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●山小屋と中ノ岳(左側)と駒ケ岳(右側)

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●山小屋・内部(今は未使用?の石油ランプ)

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●山小屋・内部(ストーブ)

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●伝の助小屋横の水車

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伝の助小屋で手続きを済ませ、再びシルバーラインで小出に降りました。

日本のミケランジェロ・石川雲蝶:2014.8.20に続く

2014年8月17日 (日)

鎌倉散策②:2014.8.15

鶴岡八幡宮・白旗神社から源頼朝の墓を目指しました。

●源頼朝の墓

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●源頼朝の墓・案内板①

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●源頼朝の墓・案内板②

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*墓の手前に、清泉小学校史跡委員による源頼朝のプロフィールと源氏系図を手書きした案内板がありました。

■白幡神社

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■鎌倉宮

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●鎌倉宮・案内板

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鎌倉宮から細い一般道を歩き、二階堂紅葉ヶ谷に夢窓国師によって建てられた瑞泉寺(ずいせんじ)を訪ねました。

●瑞泉寺・参道

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*参道は、深山に続くような佇まいでした。左側の石段を登りましたが、斜めに傾いた石段はすり減っていて、歴史の重みを感じました

●瑞泉寺・案内板

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■瑞泉寺・山門

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■瑞泉寺・庭園

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*仏殿背後にあるこの庭園は、京都の天龍寺、苔寺とともに夢窓国師の作です。

●瑞泉寺から鎌倉宮方面を望む

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*瑞泉寺境内からの眺めは、深山の趣でした。

瑞泉寺を後にして、鶴岡八幡宮に戻りました。
途中で昼食をしっかりとり、午後の鎌倉アルプス越えに備えました。

…午後から、源頼朝の妻で源頼家、実朝の母であった北条政子と源頼家の墓がある壽福寺を訪ねました。

●壽福寺・案内板

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■壽福寺・山門

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●北条政子・源頼実朝の墓

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*壽福寺の奥の崖下に北条政子の墓(左奥)と源実朝の墓(右手前)がありました。

●北条政子の墓

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壽福寺の墓地の途中から、源氏山に向かう細い登山道を登りました。

●源氏山・山頂(92m)

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源氏山から急坂を下り、銭洗弁財天を訪ねました。

●銭洗弁財天・案内板

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*銭洗弁財天の正式名は、銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)と言います。

●銭洗弁財天・入り口の隧道

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*第二次世界大戦中に掘られた隧道ということです。

■銭洗弁財天・奥宮

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*帰りは昔の参道(山道)を下り、佐助稲荷神社へ向かいました。

■佐助稲荷神社・参道

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■佐助稲荷神社・本殿

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佐助稲荷神社から葛原岡・大仏ハイキングコースと(途中で道を間違えてしまい)一般道を歩き、長谷寺方面を目指しました。

途中、観光客でいっぱいの高徳院(鎌倉大仏)と長谷寺を避けて、御霊神社に向かいました。

■御霊神社・本殿

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●御霊神社参道と江ノ電

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●力餅家

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*鎌倉のお土産として力餅を買いました。

力餅家から極楽寺切通に向かい、坂下から南側に造られた成就院の参道を登りました。

●成就院参道から望む鎌倉①

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*参道から由比ヶ浜海岸と材木座海岸を写しました。

●成就院参道から望む鎌倉②(望遠)

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*材木座海岸の右手奥に光明寺の山門と本殿(大殿)が見えました。

■成就院山門と本堂(奥)

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成就院から切通を右手に見ながら、極楽寺に向かいました。

●極楽寺・案内板

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■極楽寺・山門

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●江ノ電と極楽寺トンネル 

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●極楽寺駅

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今日は、途中でハイキング道を間違えて迂回したりしましたが、鎌倉の出入り口となる切通を横切りながら鎌倉を囲む周辺の道を歩くことが出来ました。

今日の歩歩歩数は、①と②を合わせて37,100歩でした。

2014年8月16日 (土)

鎌倉散策①:2014.8.15

…8月15日、鎌倉を散策しました。

*京都・奈良では、①奈良時代と②平安時代、④室町時代、⑤安土桃山時代、⑥江戸時代の寺社や仏像、遺跡を訪れました。そして、これからの鎌倉散策では、②と④の間にある③鎌倉時代の寺社や仏像、遺跡を訪ねたいと思います。

鎌倉は、東西と北を100m前後の低山に囲まれ、南が海(相模湾)という天然の要塞の地です。

今日は、③の鎌倉幕府をこの地に置いた、源頼朝の視点で鎌倉全域を歩いてみたいと思いました。

スタートは、JR鎌倉駅。そこから、由比ヶ浜海岸と材木座海岸を分ける滑川が相模湾に流れ込む河口まで歩きました。
今日のコースは、滑川河口から鶴岡八幡宮まで頼朝が造営した「若宮大路」と鶴岡八幡宮を中心に、南東の寺院(光明寺)、北東の寺院(瑞泉寺)、北西の銭洗い弁天・佐助神社、そして南西の成就院と極楽寺を結ぶ20Km以上のロングコースです。

【鎌倉散策①・②ルート】

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*黄色の点線の東西南北を結ぶコースです。東西約6km、南北約3kmの圏内を、海岸、一般道、鎌倉アルプス(山道)、古道をつないで歩きました。

8時40分JR鎌倉駅着。ここから、若宮大路に出て一路海を目指しました。1kmほど歩くと一の鳥居が見えてきました。

●鶴岡八幡宮参道・一の鳥居

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一の鳥居から500m位で滑川河口(材木座海岸)に出ました。

●材木座海岸①

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*材木座海岸(滑川河口)より由比ヶ浜海岸・稲村ケ崎方面を写しました。

鎌倉の南東に位置する寺院が光明寺(こうみょうじ)です。海水浴でにぎわう材木座海岸を歩き、光明寺に向かいました。

■光明寺・山門

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*光明寺の境内は海水浴客用の臨時駐車場になっていました。海水浴に向かう兄弟が山門から出てきました。

【光明寺・案内図】

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●光明寺・案内板

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■光明寺・本殿(大殿)

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■本殿(大殿)・阿弥陀三尊像

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*本尊阿弥陀如来像は、鎌倉六阿弥陀の一つ。脇侍の観音菩薩像、勢至菩薩像は、鎌倉時代前期の仏像で京風の様式と言われています。

 

■光明寺・記主庭園池と大聖閣

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*小堀遠州の作と伝わる庭園です。

●記主庭園池・古代ハス

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*庭園池のハスは約2000年前の種から発芽したといわれる古代ハスです。

…光明寺から材木座の街中を通り、元八幡に向かいました。

■元鶴岡八幡宮(由比若宮)

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*平安時代に河源頼義が前九年の役で東北に赴く際、この地に岩清水八幡宮を祀りました。後に頼朝が現在の鶴岡八幡宮がある場所に社殿を移してからは、ここは「元鶴岡八幡宮」「元八幡」と呼ばれるようになりました。

元鶴岡八幡宮から若宮大路へ出ました。若宮大路には、3つの鳥居があり、由比ヶ浜側から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居の順で建っています。
二の鳥居・三の鳥居間は、道の中央が盛土で一段高くなっており、段葛(だんかずら)と呼ばれています。

●鶴岡八幡宮参道・二の鳥居

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*ここから段葛となります。

●鶴岡八幡宮参道・三の鳥居

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■鶴岡八幡宮・旗上弁財天社

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●鶴岡八幡宮・源氏池の亀

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*源氏池のハスの葉の上で亀が日向ぼっこしていました。池で泳ぐ鯉が葉を揺らしていました。

■鶴岡八幡宮・下拝殿と本宮

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■鶴岡八幡宮・大イチョウ(倒木)と若木

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*鶴岡八幡宮は、1063年に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した元八幡(由比若宮)を前身とし、1180年に源頼朝が現在地に遷しました。

■下拝殿と三の鳥居

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*本宮から見た下拝殿と若宮大路方面です。三の鳥居の上に二の鳥居が見えています。

■鶴岡八幡宮・白旗神社(しらはたじんじゃ)

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*白旗神社の名は、源氏の白旗にちなむもので、全国に70社ほどあるといわれています。

鎌倉散策②:2014.8.15に続く

2014年8月 2日 (土)

霧ヶ峰逍遙:2014.7.27

7月27日(日)、学生時代のクラブメンバーからのお誘いで「夏山逍遥~くぼたよぐけえったなハイク~」に家人と参加しました。

…新宿駅・7時00分発のスーパーあずさ1号に乗りました。

前々日の切符購入の際、指定をとろうとしましたが、スーパーあずさ1号の指定席は満席でした。そこで、オマタさんのアドバイスを受けて、入線前の6時30分ではなく6時5分に10番線に着くと、5号車前の列に一番乗りでした。

入線前、指定がとれていたナカハラさん・ユキさん、オマタさんと挨拶した後、5号車に乗車しました。
その後、出発前までの時間は“俄か撮り鉄ちゃん”となり、スーパーあずさ1号の車両を写しました。

●スーパーあずさ1号のテールビュー

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*スーパーあずさ1号は、E351系の基本編成の8両と付属編成4両を連結した12両編成です。写真は1号車で、12号車が松本寄りの先頭車両になります。

●4号車と5号車の連結部①

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*手前がスーパーあずさ1号付属編成4両の4号車で、右奥が席のある5号車です。

●4号車と5号車の連結部②

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*横から見ると、運転車両の前の扉がスライドしています。撮影後、車内を通り4号車から5号車に向かいました。車内はS字の通路で通行できるようになっていました。

…立川駅でタカハシさん、八王子駅でヤスダさんが乗車したスーパーあずさ1号は、車両を右に左にくねらせながら大月、塩山、山梨の山間を走り、9時8分に茅野駅に着きました(夏休みの絵日記に書くような文章ですね)

…茅野駅で、師匠(ノグチさん)が待つ車に乗り込み、一行(8名のアタック隊?)は、八ヶ岳の西側を北に走り、ビーナスラインを経て霧ヶ峰に向かいました。

10時30分、アタック隊は車山肩のコロポックルヒュッテ脇から歩き始め、車山湿原へ向かいました。

【霧ヶ峰・散策MAP】

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①コロポックルヒュッテの脇の散策MAP(10:47)

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*( )は、コースタイムです。

30分ほど歩いたところで、ノグチ師匠の観天望気があたり、霧ヶ峰を寒冷前線が通過しました。
前線の通過は20分ほどでしたが、車山湿原の周りは一面の霧と雨で、まさに「霧ヶ峰」でした。
師匠のメールコメントは、「風と本降りの雨。もたもたカッパを着てたら、お尻が濡れて靴にも雨が入ってしまいました。」でした。

②雨の中の標識(11:40)

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③雨上がりの標識(11:57)

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*②と同じ標識です。分岐から車山湿原に向かい、途中で引き返した後に写しました。20分の間に霧ヶ峰一帯は幕を曳くように晴れ、真っ白な雲と緑の草原となりました。まさに「ハイジの世界」でした。

④車山湿原・シシウド

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⑤車山湿原・ノアザミと高山蝶ウラギンヒョウモン

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*雨があがり、高山蝶が蜜をもとめてがアザミの花の上を舞っていました。師匠が蝶の名前を教えてくれましたが、忘れてしまいました。広げた羽の文様が鮮やかな蝶でした。

⑥ウスユキソウ

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*ウスユキソウはエーデルワイスの仲間でしたね、師匠。霧ヶ峰でのエーデルワイスは「サウンド・オブ・ミュージック」の世界でした。

⑦エゾカワラナデシコ

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⑧縦走風景(13:27)

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*アタック隊の最後尾しか写っていませんが、縦走する7名の精鋭メンバーです。前方の山(気象レーダーの左)が車山山頂です。

⑨ニッコウキスゲ 

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*師匠が「シカの食害を防ぐ電気柵に守られた所だけになっていたのが、ちょっと切ないです。」とメールでコメントしていましたが、本当にニッコウキスゲの群生は少なく、この花も車山の登山道脇の電気柵に囲まれた中で咲いていました(柵越しに撮影しました)。

⑩車山神社(13:57)

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●車山神社・案内板

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⑪車山気象レーダー

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●車山気象レーダー・案内板

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⑫車山山頂・1925m三角点(14:00)

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⑬車山湿原・八島湿原の遠望

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*車山山頂から車山湿原(右下)・八島湿原(中央)を眺めました。左手前がスタート/ゴール地点の車山肩で、左奥の山は美ヶ原です。

⑭車山・遠望(14:55)

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*ゴール間近。振り返ると、頂きに車山気象レーダーのドームが見えました。

…15時過ぎに車山肩にゴールし、ノグチ師匠の車で佐久平駅に向かいました。

16時25分、佐久平駅着。
駅前では、『佐久長聖、逆転で甲子園出場』の号外が配られていました。ここでノグチ師匠の車を見送り、アタック隊は解散しました。

東京組は、16時35分発・あさま572号に乗車しました。各人が1号車から4号車に分散して並びましたが、全員なんとか座れたようでした。

…私と家人は、隣駅の軽井沢であさま572号を下車。駅前のアウトレットで夕食とウィンドゥショッピングと芝生の散歩を楽しみ、19時18分発のあさま546号に乗り込みました。

あさま546号は、金曜日に指定が取れていたのですが、入線してきた車両が新型車両(来年の北陸新幹線開通に向け、今年3月に導入されたE7)でした。何という幸運!
新車の香りがするE7の車両(現在、毎月新車両を投入しているようです)は、揺れも少なく、静かで、普通車両の椅子の枕も快適でした。
高崎~上野間は寝てしまいましたが、東京駅では朝同じように“俄か撮り鉄ちゃん”となり、ホームを走って「E7」のロゴマークと最後尾の車両を写しました。

●あさま546号・7号車座席

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●あさま546号・E7のロゴマーク

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●あさま546号・テールビュー

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東京駅着20時24分。

楽しい夏山逍遙をつくってもらったクラブメンバーとユキちゃんに感謝します。

今日の、歩歩歩数は、14.200歩でした。

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