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2019年5月 3日 (金)

●[5]会津若松・戸ノ口堰洞穴と白虎隊

さざえ堂の北側の石段を下り、厳島神社に参拝しました。
*厳島神社の起源は宗像神社**で、その創建は、南北朝時代の1381年~1383年(永徳・弘和年間)といわれています。地域の豪族・石塚、石部、堂塚の三家により社殿が造営されました。
**宗像神社は、1700年(元禄13)年に第3代会津藩主・松平正容により、神像および飯盛山周辺の土地が寄進され、鳥居や仁王門、青銅造りの大仏も建立されました。また、1796年(寛政8)年には、さざえ堂も建てられました。


●厳島神社・鳥居
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*明治時代の神仏分離令で厳島神社に改名され、境内に安置されていた大仏は阿弥陀寺に移管されましたが鳥居は今も残っています。


●厳島神社・社殿
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*小さな社ですが、両脇には数百年の年輪をもつご神木が聳えていました。


●戸ノ口堰(戸ノ口堰洞穴)①
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*厳島神社の北側に流れる戸ノ口堰**です。
**戸ノロ堰は、猪苗代湖の水を会津地方に引くため水路で、1623(元和9)年から70年間もの工事を経て、1693(元禄6)年に鶴ヶ城下まで開かれました。
その後、戸ノロ堰では度重なる改修工事が行われ、1832(天保3)年には、飯盛山の山腹の150mがトンネル(洞門)化されました。


●戸ノ口堰(戸ノ口堰洞穴)②
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*戸ノロ堰洞門は、1868(慶応4)年に、戊辰戦争の戸ノロ原の戦いで新政府軍に敗れた白虎隊士中二番隊20名が鶴ヶ城に戻るためにこの洞門をくぐり抜けたことで有名です。


●戸ノ口堰(戸ノ口堰洞穴)③
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*戸ノ口堰から流れ出る猪苗代湖の水は、現在、会津若松市の灌漑用水、飲用水、工業用水、小水力発電用水等に利用されています。
江戸時代に会津藩が開いた戸ノ口堰は、後世の偉大な財産になっているのですね。


●白虎隊十九士の墓①
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*白虎隊(びゃっこたい)**は、戊辰戦争のおり会津藩が組織した、16歳から17歳の武 家の男子によつて構成された部隊です。
**名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からです。
その他に会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがありました。

●白虎隊十九士の墓②
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*墓石は19基でした。1868(慶応4)年、白虎隊士中二番隊の少年20人が洞門を抜けた後に自刃し、1名を残して19名が帰らぬ人となったのです。

●白虎隊士自刃の地
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*自刃の地には、鶴ヶ城の方向を見る少年の像が立っていました。


●鶴ヶ城遠景(望遠)

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*少年の像が見る方向に鶴ヶ城(中央の森のアンテナの奥)が確認できました。奥には、屏風のように見える博士山(1482m)が雪を被っていました。


●[6]会津若松・鶴ヶ城公園桜に続く
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