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2021年6月21日 (月)

深大寺城址と水生植物園:2021.6.18

今回の歩歩歩ポ~ンは、深大寺城址(じんだいじじょうし)と水生植物園です。

5月10日の桝形城址と5月15日の小沢城址に続き、家から最も近い深大寺城址を訪ねました。
深大寺城は、戦国時代、関東の覇権争いで、北条方の拠点の一つ・多摩丘陵の小沢城に対して、敵対する扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)が多摩川を挟んだ深大寺に築いた平山城です。
*文献によると、深大寺城は、1537(天文6)年に扇谷上杉朝定が家臣に命じて、小沢城に対抗する位置にある深大寺の台地に築かれました。

6月上旬に緊急事態宣言で閉園していた神代植物公園・水生植物園が再開園し、ようやく深大寺城址を訪ねることができました。

●神代植物公園・案内図
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*深大寺城址は、水生植物園に隣接していて、この植物園から坂を上った台地にあります。

●第二郭への道
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*水生植物園から、第二郭(曲輪・くるわ)へ上りました。

●そば畑
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*第二郭の隅にそば畑が広がっていました。この畑は、神代植物公園・深大寺そば組合・深大寺小学校が共同で管理しているとのことです。

●そばの花
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*この畑には春と夏の2回そばの種がまかれるそうですが、今は春まきのそばの開花期でした。

●深大寺城・空堀
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*第二郭と第一郭を繋ぐ土橋から空堀を写しました。

●土橋・空堀・説明板
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●深大寺城跡石碑
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*第一郭の入口に津立つ「深大寺城跡」の石碑です。右側の道は櫓台(やぐらだい)に登る道です。

●第一郭跡・説明板①
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*深大寺城の城跡図(昔)と公園図(今)を比較すると、第一郭と第二郭がほぼ原形をとどめていることが分かります。

●第一郭跡・説明板②
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*①の拡大図です。深大寺城は、武蔵野台地(標高約50mの舌上台地)・突端部に築かれた平山城で第一郭、第二郭、第三郭から成り、それぞれの郭が空堀と土塁で囲まれていました。
深大寺城は、発掘調査**により、第一郭(本丸)を中心として、空堀と土塁に囲まれた3つの郭(曲輪)を直線上に配置した連郭(れんかく)式縄張の城郭であることが明らかになっています。
**1958(昭和33)年から1969(昭和44)年にかけて行われた発掘調査から第一郭内で少なくとも4棟、第二郭内で9棟の掘立柱建物群と新旧の空堀跡が確認されました。また、第二郭の西側で空堀跡の一部が確認され、第三郭の存在とともに城郭の縄張が明らかになりました。

●第一郭跡
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*右端が深大寺城跡石碑です。奥に第一郭(本丸)跡が広がっていました。

第一郭跡の虎口から土橋を通って、広大な第二郭跡に向かいました。

●第二郭跡①
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*北東側から見た第二郭跡の広場です。左側が土塁で、右側の石柱が第二郭内の発掘調査で確認された掘立柱建物群の一部です。

第二郭を一回りして土塁を確認しました。

●第二郭南西側の土塁
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●第二郭西側の土塁
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●第二郭跡②
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*南西側から見た第二郭跡の広場です。中央に掘立柱建物群の石柱が並んでいました。しかし、深大寺城は戦いのないまま廃城**となりました。
**北条氏綱は、深大寺城を攻めずに直接扇谷上杉氏方の河越城を攻撃したため、朝定は松山城に敗走しました。 これによって関東の勢力図が塗り替えられ、深大寺城の軍事的意義が喪失し廃城となったと考えられています。

●掘立柱建物群の石柱
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*掘立柱建物群に近づいて、石柱を写しました。

●建物群・説明碑
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第二郭跡から再度第一郭跡に戻り、東側の腰郭(こしぐるわ)を経て、水生植物園に向かいました。

●紫陽花
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*第一郭跡から腰郭に降りた所に、鮮やかなブルーの紫陽花が咲いていました。

●第一郭跡の断崖
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*腰郭から水生植物園に下る道です。左下の空堀跡の道を曲がると、第二郭跡の土塁を囲む崖(左側)が見えました。

●水生植物園の風景①
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*断崖の道を下りると、水生植物園に出ました。①の風景は、水生植物園・南東側の葦原です。

木道を歩きながら、園内に咲く草花をカメラに収めました。

●キツネノボタン
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*キツネノボタン(狐の牡丹)は、キンポウゲ科の多年草で、本州・四国・九州・沖縄の田んぼの畦など湿ったところに生える毒草です。「キツネ」には毒という意味があり、深い切れ込みのある葉が牡丹に似ているところから「狐の牡丹」の名前が付けられました。

●ハンゲショウ
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*ハンゲショウ**が花を開き、葉が白く色づいていました。ハンゲショウ(半夏生・半化粧) の名は、七十二候の1つ・半夏の頃に咲くという説や葉が半分白くなって化粧しているように見える説などがあるそうです。
**半分白くなった葉は、昨年7月に訪れた半夏生で有名な等持院***でも観ていました。
***[5]嵐電・雨の中の寺社(車降神社・芸能神社・等持院)巡り

●ハナショウブの群生
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*水生植物園の一角に、ハナショウブが植えられていました。

●水生植物園の風景②
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*水生植物園・入口のデッキから、南に広がる水生植物園の風景を写しました。右側が深大寺城址の台地で、麓の水生植物園は湿地帯です。麓から武蔵野台地の縁の舌状台地(ぜつじょうだいち)に築かれた深大寺城址を見ると、難攻不落の城だったのではと思いました。

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【おまけ】
5月23日にもジョギングの後に、深大寺城址を訪ねていました。しかし、コロナ禍の緊急事態宣言中で、神代植物公園・水生植物園ともに閉園中だったため、深大寺城址の内部にも入るこができませんでした。
そこで、この日は 深大寺城址の外部をフェンスに沿って歩きました。

●西側の第三郭跡地①
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*深大寺城址の西側の住宅地を抜けると、第三郭跡はフェンスに囲まれた空地で 「国史跡深大寺城跡」と書かれていました。一帯の住宅地も第三郭跡で、住宅の奥(右側)が第二郭です。

●西側の第三郭跡地②
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*①の住宅地の北側も第三郭の跡地で、現在は日本有数のテニススクール(桜田倶楽部)のコートになっています。

●桜田倶楽部・看板
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●南側の帯郭(帯曲輪)
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*ここは、深大寺城の南側・第二郭(右側のフェンスの奥)下の帯郭(おびくるわ)です。帯郭から麓にかけては切岸(きりぎし)となっていて、城に登る道(左下)がありました。竹林の奥は、中央高速道です。

5月23日の歩歩歩数は19,500歩、今日は5,700歩でした。

END
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